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1 - 第1話 真夜中の夢

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2025年06月23日

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羽鳥大智。都内の芸術大学に通う、ごく普通の大学生だ。


 彼が籍を置くのは演芸研究会。しかし、発表会ではいつも脇役で、舞台袖から送る拍手はどこか他人事のようだった。

そんな彼に、人知れず抱き続けている夢がある。

それは、手品師になること。

幼い頃、父が披露してくれた手品に心を奪われた。その驚きと感動は、今も彼の心を鮮やかに照らしている。以来、独学で練習を重ね、今では宴会芸くらいなら難なくこなせる腕前だ。


自分の夢に一番近づける気がして入ったこのサークルで、彼はまだ、本当の自分を見せられずにいた。


ゼミ帰り、サークルの仲間に誘われて飲み会に顔を出した。

盛り上げ役として呼ばれたようなものだったが、反応はまちまちだった。


気の進まない場では、酔いもやけに早く回る。


酔い覚ましも兼ねて、羽鳥は帰り道にイベントスペースのある大きな公園を抜けていくことにした。


深夜二時。

月は、雲の向こうに隠れている。

街灯のない道を、ぼんやりと歩いていると——

視界の端に、妙な“白”が入り込んだ。


草地の向こうに、大きなテントが建っている。

不自然なほど白く、まるで闇を押し返すような光を放っていた。

その白さは人工的で、どこか冷たく、現実味に欠けていた。


見れば見るほど、その存在が夢か現か、わからなくなる。

酔いのせいで視界が揺れる。

その揺れの向こうから、一人の男が歩いてきた。


「ようこそ。シャングリ・ラ・ガーデンへ」


「……はい?」

聞き返してしまった。

聞きなれない横文字。見慣れない異質な男。

脳の処理が、追いつかなかった。


光沢のあるスーツに、飾り羽根のついたシルクハット。

そして、顔を覆う仮面。


派手な出で立ちのわりに、男からは騒がしさの欠片も感じられなかった。


物腰は淡々としている。

声は低く、乾いていた。

“招いている”というより、“こちらが近づくのを待っている”ような空気。


羽鳥は、酒の残る頭で問いかけた。


「……サーカスですか?」


男は仮面の奥で、微笑んだような気配を見せる。


「“見世物”と言えば、そうかもしれませんね。

中へ入れば、退屈も日常も、すべて忘れられます。

どうぞ……あなたも、ひとときの逃避を」


押しつけがましくない、静かな語り口。

だが、それがかえって不気味だった。

羽鳥は眉をひそめる。


「こんな場所で、ですか?」


「当サーカス団は、予告も宣伝も一切いたしません。

常に神出鬼没。だからこそ、神秘が生まれるのです」


「……そう……なんですか?」


冷静に考えれば、突っ込める点はいくらでもあった。

だが、その思考を酔いが奪っていた。


異質なはずなのに、妙に納得してしまう。

それがさらに奇妙だった。


気づけば、突拍子もない質問を口にしていた。


「……動物も出るんですか?」


「もちろん。本物の虎と毒蜘蛛を、間近でご覧いただけますよ」


その一言で、背筋がぞくりとした。

猛獣と危険生物が、すぐそばにいる。

虎が急に暴れだしたら。

蜘蛛の毒にやられたら。

恐ろしい想像が次々と脳裏をかすめた。


会話の端々に、妙なリアルさと、感情の抜けた冷たさが混ざっている。

それが、言葉の意味以上に、不気味だった。

テントの布が、ふわりと揺れた。

そこから、もう一人の男が現れる。


白いスーツに、涼しげな笑み。

サラリとした長い髪に、軽やかな物腰。

まるで、中世の貴公子のような佇まいだった。


「あれ? キョウ、お客さんかい?」

「ええ。迷い込んだみたいで」


仮面の男――斬島凶と呼ばれたその男は、微かに肩をすくめた。

そのやり取りは、まるで台本でもあったかのように滑らかで、どこか芝居がかっていた。


「えっ!? いや、僕は……!」

慌てて否定しかけた羽鳥に、白スーツの男――東堂喜代彦は、にっこりと微笑みかける。


「まぁまぁ、いいじゃないか。

せっかくだし……僕たちの“庭”を、ちょっとだけ覗いていかないか?」


その誘いは、甘く、そして抗いがたい力を帯びていた。


羽鳥は、無意識のうちに頷いていた。

断る言葉が、浮かばなかった。


まるで深い眠気に引きずられるように、足が前へと出る。


羽鳥は、思わず目を見開いた。


「庭」と呼ぶにふさわしく、内装は豪華な花々で飾られていた。

テントの中は想像を超える広さで、大きく湾曲した観客席が空間を取り囲んでいる。


深夜二時とは思えない熱気が、場内に充満していた。

匂い、音、光、すべてが現実離れしている。


「普段は、深夜公演なんてやってないんだけどね。今日だけは特別さ」


東堂喜代彦が言うと、すぐ隣で斬島凶が静かに続けた。


「常に新たな挑戦を成し遂げること──

それこそが、シャングリ・ラの本懐であると言えましょう」


まるで用意された台詞のように、二人の言葉は滑らかに繋がっていた。


座る場所を探して立ち尽くしていると、

背後から、不意に声をかけられた。


「お、兄ちゃん学生か?」


「はい……大学生です」


「そっかぁ。

いやしかし、こんな真夜中にサーカスだなんて、なかなかぶっ飛んでるよなぁ」


男は人懐っこく笑った。

けれど、その顔はどこか影のように暗く、

羽鳥は、返す言葉を探しながら妙な居心地の悪さを覚えた。


「でもまぁ、こんな時間にサーカス見にきちまってる俺たちのほうが、よっぽどぶっ飛んでるかもしれねぇな! ガハハ!」


「はは……そう、ですね」


男の明るさが、妙に頭に響いた。

テンションの落差に、自分だけ置いてけぼりにされたような感覚を覚える。


やはり、真っ直ぐ帰るべきだったか。

そんな後悔が、胸をかすめた。


だが、公演はもうすぐ始まるようだった。


「お待たせいたしました!!

Shangri-La Garden 公演・深夜の部──ただいまより、開幕いたします!!」


司会の男が高らかに叫ぶと、場内は一気に歓声に包まれた。


羽鳥も、流されるように空いていた席へと腰を下ろす。


目の前に広がる非現実に、ただ、呑まれていくしかなかった。

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