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───翌朝。
チュンチュンと小鳥の奏でる音色で、アネモネは目を覚ました。
ただ目を覚ましたのはいいけれど、仰向けになったまま静止してしまった。今いる場所がわからなかったのだ。
現状を把握するのにしばらく時間を要したアネモネだが、ここが人畜無害のソレールの家であることを思い出し、アネモネは、枕に頭を付けたままぐるりと身体の向きを変えた。
ソレールはベッドにいなかったが、すぐ傍にいた。
既に身支度を終えた彼は、立ったままベッド横の文机で何か書き物をしていた。
「……あ、おはよう。すまない、起こしてしまったようだね」
アネモネの視線に気付いたソレールは、こちらを見てにこりと笑った。
「いえ。むしろ寝すぎたようです。おはようございます」
窓から差し込む陽の明かりで、大体の時間はわかる。普段ならもうとっくに起きている時間だ。
でもアネモネは、ベッドの中でもぞもぞと転がっている。
「やっぱりまだ眠そうだね。私が出勤したらもう少し眠るといい」
「あ、いえ。大丈夫です」
「無理しなくていいよ。今日は家政婦さんが来る日だけれど、この部屋には入らないようにしておくから」
疲れが取れていないわけではなく、ダラダラしていたアネモネは、その気遣いに耐え切れず、むくりと上半身を起こした。
「あの、違う……違うんです!ふかふかの掛布と、さらさらのシーツが気持ち良くて、起きるのがもったいなかっただけなんです。……でも、もう起きます」
「どうして?寝てていいのに」
「だって、ソレールがいなかったら、寝心地はあんまり良くないと思うので」
瞬間、ソレールは変な顔をした。
その顔を見られたくなかったのか、彼は顔を背けて小さく咳払いをした。
「ぅおっほん!……わ、わかった。朝食は用意しておいたから、後でゆっくり食べなさい」
「はい」
「じゃあ、私は仕事に行くから。家政婦さんは午後に来ると思うけど、気にしないで好きにしていて構わないからね」
「は……はぁ。わかりました」
未婚の女性を連れ込んだというのに、堂々としたものだ。
寝起きのアネモネは、寝癖を手櫛で梳かしながらそんなことを考えつつ、文机にある紙に視線を向けた。
「これ、簡単な地図を書いておいたから、外に出るなら持って行くといいよ。それと……」
途中で言葉を止めたソレールはポケットの中からある物を取り出すと、そのままアネモネの首に掛けた。
首に掛けられたのは、鈍色に光るこの家の鍵だった。
「……あのう、ソレール。お節介かもしれないけど、もう少し人を疑ったほうがいいですよ」
「ん?どうしてかな??アネモネになら、渡しても絶対に大丈夫さ」
その確信はどこから来るのか。
アネモネが怪訝な顔になると、ソレールは片方の眉を器用に持ち上げた。
「もし君が悪人なら、昨晩、私が寝てる隙に金品を奪っていただろう?」
「あ」
「でも君は朝までぐっすり寝ていた。アネモネは悪い人なんかじゃないよ。だから、この家の鍵を託しても大丈夫」
さすが、あの性根の腐ったアニスに仕えるだけある。この善人騎士は、ちゃんと人を見ている。
やましいことなど何一つないアネモネは、鍵をぎゅっと握ったまま口を閉じざるを得なかった。
「じゃあ、そういうことで。出かけたかったら、地図を持って行くように。……おっと、ゆっくりし過ぎてしまったな。じゃ、行ってくるね」
口早にそう言うと、ソレールは大股で部屋を出て行ってしまった。
「あっ、ちょっと……!」
大事なことに気付いたアネモネは、裸足のまま慌てて追いかける。
「どうかしたかい?」
後ろから小走りに近付いてきたアネモネに気づいたソレールが、足を止めて振り返った。
「何か聞き忘れたことでもあったかな?」
「あ、いいえ。お見送りを……」
首にかけられた鍵を少し持ち上げながら、アネモネは質問に答える。
「ああ、それは助かるな。ありがとう」
率先して手伝いをする子供を誉めるように、ソレールはアネモネの頭に手を置いてポンポンと軽く叩いた。
会って2日目なのに、このスキンシップ。なかなかの距離感だ。
でも、一晩同じベッドで過ごした仲なら、不思議ではないし、アネモネはソレールにそうされるのは不快ではなかった。
「じゃあ、行ってくるよ」
「行ってらっしゃいませ、道中お気をつけて」
新婚夫婦というより、年の離れた仲の良い兄弟のように手を振りあって、ソレールは職場へと向かった。