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そんな真帆の思いが僕の中に流れ込んできた時、僕は「それは、本当に?」と真帆の顔を見つめてしまった。
真帆は僕の視線から逃れるように、気まずそうに足下に顔を向ける。
そこまで深く思い詰めてしまうほど、真帆にとってその問題は大きかったのだ。
――でも、誰に? 真帆は誰に自分の子供を産んでもらおうと考えたのだろう。
そして、誰との子供を。
「だから、楸さんだけじゃなくて、あなたにも関わる話だって言ってるじゃないの」
そう口にしたのは、乙守先生だった。
「さすがにもう解っているでしょう?」
「――っ」
僕はいま一度真帆を――真帆の横顔を見つめた。
真帆は俯いたまま、ゆっくりと、視線だけをこちらに向ける。
「私は、その魔術書を、お医者さんのところに持っていきました。もし次にチャンスが訪れた時、この魔法を使うことはできないのか、と」
真帆の言葉に、またしても周囲の様子がぼやけていく。霧や霞の如く靄と化し、再び情景が再構築されていった。
やがて真帆とあの医者が、再び古めかしい診療所の中で向かい合っている。
真帆は榎先輩のお爺さんが記した借り腹の魔法のページを開いて掲げたまま、熱心に魔法医を説得しているところだった。
『――しかし、いったい誰に産んでもらうつもりなんだい? お婆さんには――加帆子さんには相談したんだろうね?』
『おばあちゃんなんて関係ありません! 今ここに可能性があるんですよ? もしおばあちゃんに相談して反対なんてされたら、その可能性すら失ってしまうかもしれないじゃないですか!』
『いやいや、だからって、黙ってこんな魔法を使うわけにもいかないだろう。解っているのか? 子供を産み、育てるということがどういうことなのか。もし誰かに代理出産してもらうとして、真帆ちゃんにその子供を育てられるのかい? それに、父親になってくれそうな人に心当たりでもあるのかい? さっきも聞いたけど、産んでもらう人は? 別にわざわざこんな魔法を使うまでもない。これを榎先生が発案した当時には確かに先進的な医療魔術だったかもしれない。けれど、今の医療なら人工授精がある。未受精卵子凍結をして、将来に備えることができる。だから、そんなに焦る必要もないだろう?』
『でも、私の生理周期はどんどん伸びていっているんですよね? いつ生理が来るのか、排卵されるのか、確かなことはわからないんですよね? それを待てって言うんですか? それに、その費用ってどれくらいかかるんですか? 誰がそれを出してくれるんですか?』
『それこそ、おばあさんに相談しなさい。加帆子さんなら、真帆ちゃんのためにそれくらいのお金は出してくれるはずだよ』
『……おばあちゃんに、そこまで負担はかけられません。ただでさえ私の存在自体が重荷になっているのに』
『真帆ちゃん、そんなこと言うもんじゃない。加帆子さんが真帆ちゃんのことを重荷に思っているわけないじゃないか。いつも真帆ちゃんのことを気にかけて――』
『だからこそですよ!』
真帆の必死な剣幕に、けれど魔法医は深い深いため息を漏らしてから、
『……とにかく、私は同意できない。こんな魔法の手伝いなんかできない。どうしても借り腹の魔法を使いたいというのなら、ひとりでやってくれ! 私は反対だ! まずは加帆子さんに相談しなさい! 話はそれからだ!』
そんな魔法医の言葉に、真帆は顔を真っ赤にして歯を食いしばり、そして大きく鼻を鳴らしてから、
『わかりました! そうします!』
そうこたえて、診療所を飛び出したのだった。
真帆は憤慨したまま箒で空を飛び帰宅した。
その日の夕食時、真帆はおばあさんに相談するべきかどうか散々迷った。でも、真帆はそうしなかった。
真帆は今まで誰にも話したことはなかったが、真帆は真帆なりに、家族に対してある種の負い目を感じていたのである。
夢魔のこと、夢魔によって自身の魔力が他の魔法使いより高くなっていること、そしてそのために、全魔協から目をつけられていること。他にもあれやこれや、真帆は真帆なりに色々なことを思い、感じ、そしてできることならば自分一人で解決したい、自分の力だけで何とかしたい、そんなふうに考えるようになっていたのだ。
そしてそれが、それこそが、真帆に借り腹の魔法を使わせてしまう要因になってしまったのだった。
借り腹の魔法は複雑な魔法手順を踏むものであったが、簡単に言ってしまえば魔法医の言っていた医療的なことと同じことを魔法で行うもの。対象者の精子と卵子を取り出し、魔術的に掛け合わせ、そして空間転移魔法を用いてその掛け合わせた受精卵を母体となるものの子宮に転移させる――そういうものだったのだ。
もちろん、そんな魔法が簡単にできるわけがない。一朝一夕に会得できるはずがない。
けれど真帆は、それをやってのけた。どうやって、なんてわからない。僕には魔法の知識も技術もまるでないから、その場面を目にしてもまるで理解が追いつかなかった。けれど逆に言えば、実に魔法使いらしいことだった。強い思いが奇跡を起こした、そう言っても過言じゃないと僕は思う。
そしてそれは同時に、奇しくも真帆の排卵日と見事に合致していたのである。
真帆は自身の卵子を、転移魔法を用いて自ら採取してみせたのだ。
次に必要な精子を真帆がどうやって入手したのか――誰から手に入れ(それはもうこの際誰からなんていう意味すらないのかもしれないのだけれど)、そして誰の子宮に転移させたのかといえば。
真帆はすっと顔を前に向ける。
「……私は、あの夜。緒方先生と対峙した日曜日の夜。ユウくんの家に忍び込みました。ユウくんの部屋に侵入して、目を覚ましてしまったユウくんに眠り薬を口移しに飲ませて、その隙に――」
僕から精子を採取した、そういうことだったのである。
あれは夢なんかじゃなかったんだ……僕は開いた口が塞がらなかった。
その為に、真帆はあの時、僕に……
そして真帆は僕の精子と自身の卵子を掛け合わせ、受精卵を作り出した。そのとんでもない光景を目の当たりにした僕は、真帆の必死さだけではなく、それを榎先輩のお爺さんが残した魔術書から実現してしまった真帆のその魔法技術にも驚きを隠せなかった。
真帆はその受精卵を――あろうことか、従兄弟の奥さんの体内にこっそりと転移させた。
それがどんなにとんでもないことか、わざわざ言葉にする必要もないだろう。
真帆が「嫌われるかもしれない、ドン引きするかもしれない」と言っていた理由が、確かにそこにはあったのだ。
そうして昨年の春に生まれてきたのが、カケルと名付けられた男の子だったのである。
……衝撃的な真実だった――とても。
そして僕は、そのカケルくんを見たことが一度だけあった。
それは昨年の、あの馬屋原先生の一件でのことだ。
馬屋原先生のせいで夢魔を暴走させてしまった真帆の前に、突然姿を現したあの赤ん坊こそ、僕と真帆の遺伝子によって産まれた存在、僕と真帆の――子供だったというのである。