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契りとて 羽ばたく松葉ひかふとも とどみかねつと禍事や たちばなさくら守らへて 我にはえせじ ひとの世の わくらば落とす血刀も あやめも知らぬ徒なれば なつかしゆかし 夏のさくらを
お久しくございます。 史さま、穂葉さま。
その後、いかがお過ごしでしょうか?
お変わりなく、過ごされておいででしょうか?
いえ……、そうですね。
あなた方に、私がこのように問うのは、やはり無礼にあたるのかも知れませんね………?
“姨捨”という物々しい地名の由来には、諸説ある。
一つは、何とも空恐ろしい“棄老伝説”に因むというもの。
もう一つは、元の地名が単に転訛しただけという説。
もっとも、前者はあくまで眉唾物であり、後世人の創作と考えるのが、今日では一般的な学説だと言われている。
尾羽出という地名もまた、殺伐とした時流の中で、一度は“姨捨”に変化を遂げた。
しかし、時代はくだり、明治政府が行った土地政策の一環で、元の名称を取り戻すに至った経緯を持つ。
土地の者は、“おわって”と発音する。
高羽市の在所からすると、おおよそ西南西の方角に位置し、山深い土地柄で知られている。
夏休みに入って間もない頃、幸介のお姉さんが運転する車で、私たちはこの地を訪れた。
“心霊体験ツアー”という、愚にも付かない名目を掲げてはいたが、実態はそれほど浮ついた企画じゃない。
話は、数日前に遡る。
その日、炎天下の街路にカラコロと下駄を引いて、結桜ちゃんが天野商店を訪ねてきた。
何やら、ほのっちに相談事があるらしく、いつにも増して神妙な面持ちが印象的だった。
つい忘れがちになるが、聡明な大妖怪という彼女の有り様を慮るには、充分すぎる雰囲気を醸していた。
そんな彼女は、リビングのソファにちょこんと腰をかけ、こんな風に切り出した。
「逆立ちした女性が追いかけてくるそうなのです」
「え?」
前置きも脈絡も無いものだから、思わず聞き直してしまった。
一方、こちらは早くも事態を察したのか、友人は小難しい表情で頷いた。
「なるほど。 それは事ですね……」
「はい。まこと………」
さすがに、これまで踏みしめた場数が違う。
一般人には抽象的に聞こえる物言いも、彼女の経験則をもってすれば、一を聞いて十を知ることができる。
そんな風に感心していたところ、当人は小難しい顔のまま、徐ろに語をついだ。
「つまり、どういうことです?」
「え?」
「あ、いえ。 もう少しだけ詳しく聞かせてもらえると」
道理である。
どれほど専門的な知識を持っていようと、初めての事態は手に余る。
怜悧な結桜ちゃんとは違い、私たちの頭では、氷山の一角から全容を把握することは難しい。
「尾羽出のほうに、知己の古狐がおりまして。 その者から聞いた話になるのですが」
そんな私たちの体たらくにもめげず、彼女は丁寧に語ってくれた。
なんでも、山道を車で走っていると、逆立ちした女性が恐ろしいスピードで追いかけてくるという。
尾羽出と言えば、見渡す限り山々が連なり、市道沿いに民家がポツポツと点在する、絵に描いたような過疎地帯だ。
人口は少なく、近隣に単線軌道すら設けられていない。
そういった土地柄ゆえか、寄る辺のない万妖が、人知れず闊歩していても不思議じゃない。
恐らく、結桜ちゃんの知己という古狐もまた、長命のうちに霊威を得た格別の存在だろう。
人妖を問わず、彼女がこちらで着々と友達の輪を広げていることに、微笑ましさを覚える一方、やはり薄ら寒いものを感じずには居られない。
逆立ちして、車を猛追する女性の絵面。
想像するだに笑い……、恐怖が込み上げてくる。