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純白の扉を抜けた先、そこはこれまでのどの場所よりも「完璧」で、そして「残酷」なほどに輝く大聖堂のような玉座の間だった。
磨き上げられた純白の壁は、返り血で汚れた僕の姿を鏡のように鮮明に映し出し、金色の装飾は、僕が犯してきた「救済」という名の虐殺を祝福するようにギラギラと光を反射している。
見上げれば、果てしなく高い場所に据えられた黄金の玉座。
そこに、彼は座っていた。
「……ようやく来ましたか。汚れ仕事をご苦労様です、神の『お人形』さん」
低く、けれど氷のように冷たい声が、高い天井に反響して降り注ぐ。
Prideは糸のような細い目を開けることすらせず、退屈そうに頬杖をついていた。
彼の頭上には、権威の象徴である王冠が、重力に逆らって静かに浮いている。淡い黄色の肌は、大理石の彫刻のように一滴の汗も、血の通った赤みも許さない。
「汚いですね。あの方の愛を一身に受けながら、その無様な姿……。彼が残した羽が、貴方の放つ安っぽい鉄錆の匂いで汚れてしまう」
彼はそう言うと、震える指先で自身の肩にかけられた真っ黒なマントを唯一の温もりをすがるように強く握りしめた。
その指先が、白手袋越しでも分かるほど、かすかに、けれど絶え間なく痙攣している。
「……貴方のその『空っぽな正解』が、私の前でどれほど無価値か……教えてあげましょう」
僕は警戒するかのように斧を片手に握りしめ、その傲慢な王を睨むかのように見つめていた。
彼は立ち上がることすら「面倒」だと言わんばかりに、高い玉座から僕を見下ろしたまま、ゆっくりと黒い扇子を開く。
「何故睨むのですか? ……あはは、貴方は本当に野蛮ですね。誰が許可を出しましたか?」
パチリ、と扇子が閉じられる音が、静まり返った城内に響き渡る。その音は、Wrathが消えたあの闇の中で聞いた音と寸分違わない。
僕の耳羽が、屈辱と怒りでピコピコと激しく跳ねるけれど、Prideはそれすら「愛玩動物の反応」として鼻で笑う。
「貴方がしてきたことは『救済』などではない。ただの虐殺だ。……Wrathが、Greedが、そしてあの哀れなEnvyたちが、どれほど貴方のその『無知』に傷ついたか。貴方には想像もつかないのでしょうね」
彼はそう言って、わざとらしくため息をつき、手首に絡みついた赤い瞳の白い蛇の頭を優しく撫でた。
蛇はチロチロと舌を出し、獲物を定めるように僕をじっと見つめている。
「貴方は神に愛されているのではなく、ただ『便利だから』置いてあるだけ。……あの方の隣に立つのにふさわしいのは、完璧な秩序を理解し、この世界をあるべき姿に導ける、この私だけなのです」
Prideの言葉は、一言ごとに僕の存在を削り取ろうとする毒を含んでいる。
「……なぜ、まだ立っているのです? 許可なく呼吸をすることすら、本来の貴方には許されていないはずですが」
Prideは、玉座に深く背を預け、まるで見苦しいゴミを見るような目で僕を射抜いた。その糸目がわずかに開き、中から濁った「羨望」の光が漏れ出す。
「貴方は、あの方の慈愛を独占していると思い込んでいる。……笑わせないでください。貴方は、あの方が飽きれば即座に廃棄される『消耗品』に過ぎない。貴方の代わりなど、この城の石畳を数えるよりも多く用意されています」
彼は黒い扇子を口元に当て、クスクスと、けれど心底蔑むように笑う。
「WrathやGreedたちは、歪んでいたとしても『自ら』の意志で罪を背負った。けれど貴方はどうです? 言われたままに救済し、言われたままに歩く。中身のない、ただの空っぽな『器』。……貴方のその耳羽が震えるのは、感情があるからではない。ただの、故障した機械のノイズだ」
Prideが立ち上がり、ゆっくりと一段、階段を降りる。マントを握る指先に力がこもり、白い羽毛がミシリと音を立てた。
「貴方が今日まで生きてこられたのは、運が良かったからではありません。あの方が、貴方という『おもちゃ』がどこまで壊れずに使い物になるか、試しているだけ。……貴方の存在には、最初から一欠片の価値もない。……ただの一度も、あの方は貴方自身を『愛した』ことなどないのですよ」
「……そうか。……そうなんだろうな、きっと」
僕は俯いたまま、掠れた声でこぼした。耳羽はもう、怯えてピコピコと動くのをやめている。代わりに、死んだ魚のような静かな重みを湛えていた。
「愛されてない。替えはいくらでもいる。言われた通りに動くだけの、ただの空っぽな機械……。お前の言うことは、全部正しいんだろうよ、Pride」
僕はゆっくりと顔を上げた。返り血で汚れた顔に、初めて神の写し鏡ではない、僕自身の歪な「笑み」が浮かぶ。
「けどさ……お前が言うその『価値のない空っぽ』に、お前の大事な仲間たちは全員ぶち壊されたんだぜ? お前の傍に居てくれたWrathも、お前を羨んでいたGreedも……みんな、この中身のない道具に、跡形もなく消されたんだ」
僕は一歩、また一歩と、純白の階段を踏みしめて登る。重い斧の先が石畳を削り、不快な音を立てる。
「愛されてるかどうかなんて、もうどうでもいい。僕は空っぽで、機械で、ただのゴミかもしれない。……でも、今ここでお前の喉元を狙っているこの『苛立ち』だけは、父上から貰った命令なんかじゃない。僕自身のものだ」
僕は斧を正眼に構え、階段の上でノイローゼ気味に指を震わせているPrideを、冷たく射抜いた。
「お前は神に近いんだろ? 完璧なんだろ? ……だったら、その完璧なプライドごと、僕という『憎しみ』に食い破られて消えろよ」
「……食い破られる?」
僕の言葉が終わるか終わらないかのうちに、彼の口角がわずかに、引き攣るように持ち上がった。
一瞬だけ、その糸のような瞳の奥に、沸騰するような憎悪と「認めたくない」という恐怖が混ざり合った、どろりとした色が走る。だが、彼はその「淀み」を瞬時に飲み込み、再び彫刻のような無表情へと回帰した。
「ふっ…あははは! 素晴らしい。……実に、滑稽で素晴らしいですよ」
Prideは黒い扇子をパチリと閉じ、それを自分のこめかみに押し当てた。
嘲笑う声は高く、美しい。けれど、その響きには、今にも千切れそうなほど細く張り詰めた糸のような、危うい狂気が混ざり始めている。
「憎しみ? ……ええ、そうですね。貴方はまさに、この完璧な庭園に紛れ込んだ汚らわしい害虫だ。貴方のその歪な『自分自身の意志』とやらが、どれほど矮小で、どれほど脆いものか……今すぐその身に刻んであげましょう」
彼はゆっくりと、腰に下げていた黒い扇子を床へと投げ捨てた。
カラン……という乾いた音が、静寂に満ちた城内に不吉な余韻を残す。
「……あの方に頂いたこの手、汚したくはなかったのですが」
Prideはそう呟くと、空間の「継ぎ目」を指先でなぞるように、虚空へ手を伸ばした。
何もないはずの純白の空気が、まるで硝子が割れるような音を立てて裂ける。
そこから彼が引き抜いたのは、柄の先から刃の先端までが、一切の濁りがない純銀で鋳造された「巨大な鎌」だった。
刃は三日月のように鋭く、月明かりを凝縮したような白光を放っている。そのあまりの美しさに、網膜が焼けるような錯覚さえ覚える。
「貴方のその重く、錆びた、野蛮な斧……。私の『審判』に耐えられるでしょうか?」
手首の白い蛇が、彼の喉元まで這い上がり、チロチロと赤い舌を出して僕を威嚇する。
Prideは鎌を優雅に一閃させた。
ただ空気を切っただけのはずなのに、僕の頬に鋭い痛みが走る。
切られたことにすら気づかない、絶対的な速度と鋭さ。
彼は音もなく石畳を滑るように距離を詰め、銀色の死神の刃を、僕の首筋目掛けて振り下ろした。
銀色の鎌が、僕の喉元をコンマ数ミリの差で通り過ぎる。
「……っ…はぁ……はぁ……!」
肺が焼ける。脳内では警告音が鳴り止まず、耳羽はもはやピコピコと動く余裕すらなく、恐怖で耳に張り付いたままだ。
避けるたびに、頬を、腕を、太ももを、見えない刃の風圧が切り裂いていく。返り血ではない、僕自身の鮮血が純白の石畳に点々と赤い模様を作っていく。
対するPrideは、依然として無言だった。
一歩も走らず、ただ滑るように近づき、淡々と鎌を振り下ろす。その機械的なまでの正確さが、僕の消耗をより一層際立たせていた。
「……はぁ……はぁ……この……っ!!!」
僕は斧の柄を盾にして、振り下ろされた鎌を強引に受け止めた。
―キィィィィィィンッ!!!
耳を刺すような金属音が、静まり返った城内に響き渡る。斧を支える両腕が、その圧倒的な「重圧」でミシミシと悲鳴を上げた。
「……無意味な…抵抗を」
Prideが、初めて僕の目を真っ向から見据えた。
糸目がわずかに開き、中から覗くのは、狂気すら感じさせるほど透き通った虚無。
彼は力任せに押し切るのではなく、鎌の刃を滑らせるようにして、僕の斧を無力化し、そのまま喉元を掻き切ろうとする。
彼は力任せに押し切るのではなく、鎌の刃を滑らせるようにして、僕の斧を無力化し、そのまま喉元を掻き切ろうとする。
「……あの方の……期待に……値しない……ゴミ……」
呪文のように、掠れた声が彼の口から漏れる。
指が鎌の柄に食い込むほど強く、白手袋が擦り切れるほど激しく握りしめていた。その指の震えは、僕への怒りか、それとも自分を縛る「完璧」への恐怖か。
僕は、喉に突きつけられた刃の冷たさを感じながら、血の混じった唾を吐き捨てた。
「……はぁ……お前さ…。ずっとそうやって……自分を騙して…疲れないのかよ……!?」
石畳に斧を突き立て、膝をつきそうになりながらも、僕はPrideを真っ直ぐに見据えた。肩で激しく息をするたびに、肺が焼けるような音を立てる。
対するPrideは、微動だにせず鎌を構えていた。
「……何を……言って……」
Prideの声が、これまでになく低く、地を這うような不快感を帯びた。
「知ってるんだよ。Wrathが死んだあの場所で、お前がどんな顔で扇子を閉じたのかがさ……。神に近い? 笑わせんな。お前はただ、あの方に見捨てられるのが怖くて、鏡の前で『完璧な自分』を作り物にしてるだけだ」
「黙れ……黙りなさい……ッ!!」
「Wrathは言ってたぞ。お前が神に近づこうとするたびに、心から温もりが零れ落ちてるって。……なぁ、Pride。そうやって無理して背伸びして、冷たい石像のふりをして……。一人になった今、本当は叫び出したいほど、寂しくて仕方ないんだろ?」
一瞬、Prideの動きが凍りついた。
完璧な仮面の下、彼の糸目が驚愕に、そして耐え難い屈辱に大きく見開かれる。
その瞳に宿ったのは、聖人君子の余裕ではなく、自分の最も醜い「内面」を暴かれた、一人の脆い人間の恐怖だった。
「……不良品が……私の……心に……触れるな……ッ!!!」
Prideの喉の奥から、押し殺したような、けれど正気を失った叫びが漏れた。
彼は左手でマントを引きちぎらんばかりに強く握りしめると、銀の鎌を狂ったように振り上げ、僕の脳天目掛けて一気に踏み込んできた。
―ドシュッ、ガギィィィィンッ!! !
僕の頭を割るはずだった銀の刃が、わずか数ミリ横の石畳を粉砕する。
「……っぶねぇ……っ!!」
飛び散る火花と石の礫を顔に浴びながら、僕は咄嗟に身体を捻った。至近距離。Prideの顔がすぐそこにある。糸目は完全に剥かれ、その瞳には高潔さのカケラもない、ドロリとした殺意が煮え立っていた。
Prideが鎌を引き戻そうと腕に力を込めた、その一瞬。
僕は持っていた斧をPrideに向けて投げた。
「……お返しだ、傲慢野郎!!」
至近距離から、砲弾のような勢いで放たれた重い斧。
Prideは避けようとしたが、逆上して踏み込みすぎた足元が、自ら砕いた石畳の破片でわずかに滑った。
―ギィ、ザシュゥゥゥッ!!
「……っ!?」
鈍い音。斧の刃は、Prideの右腕の袖を切り裂き、その下の象牙のような白い肌へと鋭く食い込んだ。
切り落とすまでには至らない。だが、これまで一分の隙も、一筋の汚れも許さなかった彼の「完璧な肉体」に、深い、生々しい亀裂が刻まれた。
「……あ、……ぁ……」
Prideはたじろぎ、数メートル後ずさった。
切り裂かれた右腕の傷口から、金色の粒子を孕んだどす黒い液体が、ドクドクと溢れ出し、白手袋を汚していく。
彼は信じられないという顔で、自分の腕に刻まれた傷を見つめた。
「……傷……? 私に……傷をつけたのか……? 貴様のような……不浄な……機械が……ッ!!」
Prideの顔が、屈辱で土色に染まる。
彼にとって、この傷はただの負傷ではない。自分が「神に近い完璧な彫刻」ではなく、ただの「壊れやすい生き物」であることを突きつけられた、耐え難い敗北の証だった。
「……許さない。……絶対に……許さない……!!!」
「……あ、……ぁ、……ああああああああああああッ!!!」
Prideは、自分の右腕に刻まれた赤い裂傷を見つめ、耳を劈くような絶叫を上げた。
高潔な王の顔はどこにもない。そこにあるのは、自慢の玩具を汚された子供のような、浅ましくも凄まじい「拒絶」の表情だった。
「汚い……! 汚れた……! 完璧な……私の……あの方に頂いた……この体がぁっ!!」
彼は狂ったように叫ぶと、先ほどまで縋り付くように握っていた肩のマントを、忌々しそうに掴み取った。
Wrathが自らの羽を毟って贈った、あの温かな「プロポーズ」の結晶。
それを、彼はゴミでも捨てるような動作で、無造作に、床の血溜まりの中へと放り投げた。
「……っ、Pride……お前、……それを……!」
僕が思わず声を上げたが、彼の耳にはもう届かない。
マントは、冷たい石畳の上で、僕と彼の血に汚れながら、力なく広がった。
それはPrideが持っていた最後の「人間らしさ」が、音を立てて死んだ瞬間だった。
「……もういい。……何もいらない。……あんな者の羽も、……偽りの慈愛も……。私は、……私は……!!!… …もう、どうでもいい。……壊して、……何もかも……白紙に戻してあげます……!!!」
マントを脱ぎ捨てたPrideの体は、驚くほど細く、そして不気味なほど「軽く」なっていた。
彼は左手一本で銀の鎌を握り直すと、それを自身の頭上で、目にも留まらぬ速さで回転させ始めた。
―シュルルルルルッ、ギィィィィィィンッ!!!
鎌が空気を切り裂く高周波が、城内の窓 ガラスを一斉に粉砕する。
回転する銀の刃は、もはや一つの「盾」であり、同時に触れるものすべてを微塵切りにする「円形の鋸」と化していた。
「あはははは! 見なさい、美しいでしょう!? これこそが、私の……真の審判だ!!」
Prideは石畳を蹴り、駒のように回転しながら僕目掛けて突進してきた。
「……っ、この、速さ……!?」
僕は慌てて斧を構えるが、回転しながら迫る鎌の猛攻に、防戦一方になる。
―ガガガガガガガガガッ!!!
火花が滝のように溢れ、僕の視界をオレンジ色に染め上げる。一撃一撃が重い。いや、重さというよりは、凄まじい遠心力が斧を弾き飛ばそうと腕を痺れさせる。
「逃がさない……! 逃がさない……! 貴方のその醜い、……泥にまみれた『生』を、……一ミリも残さず削ぎ落としてあげます……!!」
Prideの瞳は、もう僕を見ていない。
ただ、自分の右腕に刻まれた「傷」という不潔な現実を消し去るために、狂ったかのように鎌を回し続けていた。
その時、僕の身体が不自然に、まるで重力を無視したような速度で真横へと引き寄せられた。
―ドォォォォォォンッ!!!
僕がいた場所を、Prideの鎌の旋律が抉り取る。石畳が粉々に爆ぜ、僕の頬を切り裂く暴風が吹き抜けた。
「……っ、な、に……!?」
回避した自覚さえない。ただ、肺の空気をすべて搾り出されるような、凄まじい「力」に抗えなかった。
視線を落とすと、僕の左腕、そして首筋に、冷たく、硬質な感触が這い回っていた。
「……蛇……!?」
Prideの手首にいたはずの、あの赤い瞳の白い蛇。それがいつの間にか僕に絡みつき、その細い体からは想像もできない膂力で、僕を死の直撃から「引き摺り下ろした」のだ。
白い鱗が僕の肌に食い込み、赤い瞳が僕の目をじっと見据える。それは捕食者の視線ではなく、まるで主人の暴走を止めてくれとでも請うような、哀切な光を湛えていた。
「……何をしているのです、貴方……ッ!!!」
回転を止め、砂塵の中から現れたPrideが、ひどく掠れた声で叫んだ。
彼の右腕の傷口からは黒い液体が滴り、剥かれた瞳は今や絶望と混乱で血走っている。自分の愛蛇が、最も憎むべき「敵」を助けた。その事実が、彼の最後の一撃を与えた。
「裏切るのですか……!? 私を……あの方の代行者であるこの私を! 貴方まで、Wrathのように私を置いていくというのですか!?」
Prideは千切れたマントが血溜まりに沈んでいるのも構わず踏みつけ、左手の鎌を、もはや技も秩序もない、ただの鉄の塊として振り上げた。
絡みつく蛇の力。そして、目の前で崩壊していく最後の大罪。
僕は、首を絞める蛇の冷たさに正気を取り戻し、重い斧を再び構え直した。
「……気づけよ、Pride。……お前の蛇は、裏切ったんじゃない。……お前が壊れるのを止めたがってるだけだ……!」
僕は、蛇に引かれるまま、Prideの完璧が完全に瓦裂したその胸元へと踏み込んだ。
首筋に絡みつく白い蛇が、その尻尾をピンと伸ばし、僕の行く手を指し示す。
それはPrideの「回転」が生み出す死角、そして彼が次に踏み込むであろう場所を、僕に先読みさせていた。
「そこか……ッ!!」
蛇の指示に従い、僕は石畳を強く蹴った。
真っ直ぐではなく、蛇が導く不規則な軌道。
右、左、そして斜め上。
Prideの「計算」を上回る速度で、僕は彼の周囲を弾丸のように駆け抜ける。
「……消えた!? どこだ……どこへ行ったのです…あのゴミめ……ッ!!」
Prideが狂ったように鎌を振り回すが、僕の姿を捉えることはできない。
蛇が僕の首を絞めるようにグイと引く。それが「今だ」という合図だった。
回転の勢いが、わずかに Prideの右腕の傷に障り、一瞬だけその旋回が鈍る。
蛇が尻尾で示した先…それは、Prideが無意識に庇っている、あの右肩の傷口だった。
「……あ……あ、あ、あああああッ!!」
Prideが慌てて鎌を引き戻そうとした時、僕はすでに彼の「懐」の最短距離に滑り込んでいた。
重い斧を、下から上へと、最短の軌道で跳ね上げる。
「お前の蛇が言ってるぞ。……もう、自分を縛るのはやめろってさ!」
―ギィィィィィンッ!!!
僕が下から跳ね上げた斧が、Prideが防御に回した銀の鎌を真っ向から捉えた。重い鉄塊の衝撃が、華奢な彼の左腕を無慈悲に弾き飛ばす。
手から離れた鎌が、月明かりを反射しながらクルクルと空中に舞い上がった。
「……なっ……!? 私の……武器が……ッ!!」
Prideが驚愕に目を見開いた刹那、僕は右手の斧を、彼ではなく背後の壁目掛けて全力で放り投げた。
―ドスッ!!
壁に深く突き刺さる斧。それと入れ替わるように、僕は空中で回転する「銀の鎌」の柄を、しなやかに、そして力強く掴み取った。
「……お前の『正義』、借りるぜ」
身体を独楽のように鋭く捻り、遠心力を乗せて一閃。
僕の武器ではない、Pride自身の「完璧な刃」が、彼の無防備な腹部を容赦なく切り裂いた。
ージャァキンッ!!!
「っ、が、あ”ぁ……っ……が、はっ…!!!」
鋭い切断音と共に、金色の粒子が混ざったどす黒い血が、彼の口から、そして腹部の深い傷口から溢れ出した。
Prideは糸目を見開いたまま、崩れるようにその場に膝をついた。
溢れ出す血を、震える両手で必死に抑え込もうとする。白手袋は瞬く間にどす黒く染まり、磨き上げられた石畳に不浄な水溜まりを作っていく。
「……あ……ぁ、……嘘だ。……こんな、……こんな汚れ……認める、ものか……」
激痛と屈辱に顔を歪め、彼はしゃがみ込んだまま、ヒューヒューと漏れる呼吸を繰り返した。
誇り高き王冠が床に落ち、カランと虚しい音を立てて転がる。
首筋に絡みついていた白い蛇が、そっと僕から離れ、主人の血塗られた手元へと寄り添うように戻っていった。
「……終わりだ、Pride。……お前の負けだよ」
僕は奪った鎌を杖代わりに突き立て、血の海に沈む「最後の大罪」を見下ろした。
磨き上げられた象牙のような肌は、今や汚れと苦悶にまみれ、見る影もない。
彼は血を吐き捨てながら、地獄の底から響くような声で、僕を睨み上げた。
「……殺せ……! 何を見てる……この、欠陥品のゴミ屑が……!! 貴様の、その……汚らわしい瞳で……私を見るなぁぁッ!!!」
もはや、そこには王の威厳も、高潔な理知もなかった。
あるのは、自分のプライドを守りきれなかった「負け犬」の、醜く、卑しい、剥き出しの憎悪だけだ。
「貴様さえ……貴様さえ来なければ、私は……完璧なまま、あの方の隣に……! 何も持たない人形のくせに……私の、私の邪魔を……ッ!!」
喚き散らす彼の姿を見下ろしながら、僕は静かに息を吐いた。
怒りさえ湧かない。ただ、目の前の男があまりにも哀れで、そして救いようがないほどに「空っぽ」に見えたから。
「……お前、神とかあの方とか、ずっとそればっかりだな」
僕は奪い取った銀の鎌を、無造作に床へ放り投げた。
カラン、という虚しい金属音が、Prideの叫びを遮るように響く。
「……ずっとお前の傍に寄り添ってくれた、Wrathの気持ちは……一瞬でも、考えたことないのかよ」
「……な、に……?」
「お前の孤独を暖めるために、自分の羽を毟ってまで傍にいたヤツがいたんだ。……あいつは、お前のその『傲慢』なところまで含めて、愛おしいって言ってたぜ。なのに、お前は……」
僕は、血溜まりに沈み、Pride自身が踏みにじった「マント」を指差した。
「パニックになったくらいで、そいつの最後の温もりをドブに捨てた。……神に愛されてるかどうか知らないけどさ。お前、世界で一番自分のことを愛してくれたヤツを、自分の手で捨てたんだぞ。」
Prideの瞳が、凍りついたように静止した。
喚き散らしていた口が、金魚のように力なく開閉する。
血溜まりの中の白い羽毛、そして自分が犯した「裏切り」。その事実が、傷の痛みよりも深く、彼の精神を内側から食い破り始めた。
「……あいつ、手紙を残してたよ。死ぬ間際まで、お前のことを気にかけてな」
僕は、血の海に沈むPrideを見下ろしたまま、Wrathのあの震える筆致を脳裏に呼び起こした。
「お前が大理石の彫刻みたいに自分を固めるたびに、お前の心から温もりが零れ落ちるのが見える……。そう言ってた。お前はあいつを『支配できない』って嘆いてたけど、あいつはただ、お前が孤独に耐えかねてマントを握りしめるその指先を、見守ることしかできなかったんだ」
Prideの瞳から、光が急速に失われていく。彼が縋るように握っていたあの「羽」の本当の意味。自分の弱さを隠すための道具ではなく、Wrathが自分の身を削ってまで差し出した、不器用な「マリアージュ」だったのだと。
「『君のその人間臭い傲慢さが、何よりも愛おしい』……。Wrathは、お前を神にしようとしたんじゃない。ただの、寂しがり屋の『Pride』として、隣にいたかっただけなんだよ。……なのに、お前がその羽を、愛を……真っ先にドブに捨てた」
「……あ、……ぁ…………」
Prideの口から、もはや暴言すら漏れなかった。
彼は、血溜まりの中で泥にまみれたマントへと、震える左手を伸ばした。
だが、その指が白い羽毛に触れる直前、彼の体は、中心からひび割れるようにして「崩壊」を始めた。
「……Wrath、……私は…私は……貴方を……」
最後の一言は、聞き取れないほど小さな、けれどひどく純粋な響きを含んだ「後悔」だった。
Prideの象牙のような体は、粉々に砕け散る大理石の破片となって、床へと崩れ落ちる。
王冠も、鎌も、そして自分を縛り続けた「傲慢」も、すべてが白い塵となって霧散していった。
あとに残されたのは、泥にまみれた「一束の白い羽のマント」と、主を失って丸くうずくまる、赤い瞳の白い蛇だけだった。
耳羽はもう、何にも反応しない。ただ、冷たい風が、僕の頬にこびりついた血を乾かしていくだけだった。
だが、僕は振り上げた斧を下ろさなかった。
「……まぁ、殺さないでおくよ」
僕は無造作に斧を肩に担ぎ、高熱にうなされるように震えるPrideを冷たく見下ろした。
「それだけ大量に出血してるんだ。……放っておいても、そのうち死ぬだろ。せいぜい、消えてなくなるまでの時間を、その血の海の中で一人きりで反省会にでも使ってろ」
僕はそれ以上、彼の崩壊を見届けることさえもしなかった。
汚れた足音を石畳に響かせ、僕は光り輝く「純白の扉」へと歩み寄る。
「……あ、……待て……! 行くな、……私を、独りに……!!」
背後で、Prideの震える絶叫が響く。
だが、僕は二度と振り返らなかった。
扉の光が僕の全身を飲み込み、血の匂いも、薬の甘さも、そして誰かが流した涙の熱も、すべてを無機質な「白」へと塗りつぶしていく。
僕の背後で、Prideの叫びが扉の閉まる音と共にぷつりと途絶えた。
【”PRIDE END / RELIFE”】
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寝起きで読んだんでまともな感想が出てこない…また起きてきたら読みます…でも叫んでるの好き、叫びの表現大好き(?)