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亀屋から、引っ越し祝いの膳、三段の重箱三つが届いた為に、二代目と中村の酒はこれでもかと進んだ。
挙げ句、二人は居間で伸びている。
岩崎と月子は、台所の土間に立ち、後片付けに勤しんでいた。
「しかし、あいつら、良く食いやがって、飲むか、食うかどちらかにできないのか?!」
「……ですが、旦那様。あんなにたくさん。お二人が居てくださって、良かったです。食べきれませんでしたよ……」
重箱には、赤飯、鯛の姿焼き、煮物、天ぷら、カツレツ、コロッケ、紅白饅頭と、和洋折衷の料理がぎっしり詰め込まれていた。
思わず、皆にもらった野菜を寅吉へ礼として、渡してしまうほどの豪華さと量だった。
もちろん、寅吉と、料理を用意して持って来た、妻、お龍《たつ》が、鬼の形相で受け取りを断ったが、龍なのに、鬼かよ、とかなんとか、訳のわからない二代目のとりなしで、事は収まった。
それからは、二代目、中村が、飲めや歌えやで、岩崎は、バイオリンの演奏をせがまれてと、大変な騒ぎになった。
二代目、中村は、酔いつぶれ、静かになったと思ったら、お咲は、紅白饅頭にかぶりついたまま、寝入ってしまい、これはこれで、寝間の準備だなんだと、岩崎が動き回るという有り様になる。
こうして、大宴会というべきか、食べ散らかした後始末を、岩崎と月子は、担っていた。
月子が、空になった重箱や徳利を洗い、岩崎が、布巾で拭いて行く。
そんな作業を、岩崎は、月子を休ませようとして、一人で行うと言い張った。
月子は、月子で、女の仕事だと一歩も引かずで、結局、二人で片付ける事になったのだが、それでも、かれこれ時間がかかったようで、居間の柱時計がボーンと一回鳴った。
「いかん!日付をまたいでしまった。もう夜中を越えている。後は、明日にしなさい」
色々散らばる居間をまだ片付けていないと、月子は、動こうとしていた。
岩崎は、早く休めと、月子へ命じるが、月子は、明日の朝食の下ごしらえがどうのとまで言いだした。
「……君。自分の意見を言えるというのは、良いことだが、人の意見に耳を貸さないというのは、いかがなものだろう?」
「えっ?!」
岩崎の屁理屈に、月子は、思わず叫ぶ。
「そ、そうゆうこと、なのでしょうか?」
「では、どうゆうことだ?」
どう答えれば良いのか、というより、岩崎の言わんとすることが、月子は、掴めず、口ごもっていると……。
カンカンと、半鐘の音が鳴り響いて来た。
「火事か?!」
岩崎の呟きに、月子も不安げに頷く。
「……近くは、ないが……」
夜中だけに、火災の発生を知らせる鐘の音は余計に響き、距離感が分からない。
岩崎も月子も、ここまで火の手は迫っていないのだろうが、しかし、どうも、そう遠くはなさそうだと、顔を強ばらせた。
「京さん、ちょいと見てくるわ」
二代目が、鐘の音で目が覚めたのか、台所にやって来ていた。
その後ろには、バイオリンを抱えた中村がいる。
「岩崎、月子ちゃん、世話になった。ごちそうさん。おれは、下宿へ帰るわ」
自分の住みかに、火の手が迫っては不味いと、中村は、念のために帰ると言い出した。
「ああ、そうした方がいいだろう。夜中だ。火の元が、どこかわからんが、そう遠くはなさそうだしな。中村、足元に気をつけて帰れよ」
岩崎の言葉に、中村は、それじゃあ、と、言い、足早に玄関へ向かった。
「……方角的には、日本橋……だろうな。距離はあるから、ここは、大丈夫だと思うけど、京さん、月子ちゃんとお咲を頼んだよ」
火元が分かれば、知らせに来ると、二代目は言うと、こちらも、さっと玄関へ向かった。
「そう心配することはない。距離は離れているようだから……」
怯えている月子を落ち着かせようとしてか、岩崎は、気休め的な事を言う。
確かに、半鐘の音は、少し遠い。だが、やけに、激しく鳴り響いていた。
広範囲で燃えているのか。
どこか、普通と違う半鐘の音に、月子はどうも、落ち着かない。
そして、二代目が言った、日本橋方面という言葉が引っ掛かっていた。
おそらくの話ではあるのだが、確かに、方角的には合っている。
月子は、西条の家を思い出していた。
まさか、と、思いつつも、激しさを増す鐘の音は、とても、不快で、不安を呼び起こすものだった。