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323
涼架の正体を知ってから 元貴は、少しだけ涼架を見る目が変わった。
――いや。
正確には 変わったというより 戻った。
ずっと昔。
まだ自分が何も知らなかった頃。
涼架のことを「りょうちゃん」と呼んでいた頃の感覚が、少しずつ戻ってきていた。
「涼ちゃん」
「んー?」
「それ、薬草じゃないよ」
「え?」
涼架が手元を見る。
「……あれ?」
「そっちは毒草」
「……ほんとだ」
「何年薬師やってるの」
「分かんない」
「……」
元貴は呆れた。
少し離れたところで、滉斗が笑っている。
「元貴、完全に昔の感じに戻ったな」
「そう?」
「うん。昔もそんな感じだったなぁ。ませたガキンチョ」
「僕が?」
「涼ちゃんにめちゃくちゃツッコんでた」
「……なんとなく分かる」
「二人ともひどいなぁ」
涼架が頬を膨らませる。
「俺、昔からこんなに可愛かったのに」
「自分で言う?」
「言うよ」
「はいはい」
滉斗が涼架の手から薬草を取り上げる。
「ほら、俺がやるから」
「ひろとぉ」
涼架がすぐに滉斗へ寄りかかる。
「甘えたさんだなぁ」
「いいでしょべつに」
「……はいはい」
滉斗は慣れたように涼架を支える。
元貴はその様子を眺めながら、小さく息を吐いた。
「……本当に変わらないな」
「何が?」
「二人とも」
「仲良しだからねぇ」
「知ってる」
そんな穏やかな時間だった。
以前なら、元貴はこういう時間を知らなかった。
後宮で陰陽師として働いて。
大森家の人間として振る舞って。
誰かに期待されれば、それに応えようとして。
失敗すれば、自分の力が足りないのだと思った。
けれど、この店では違う。
薬草を間違えた涼架を笑って。
滉斗が呆れて。
三人でくだらない話をする。
それだけでよかった。
「……こういうのも、悪くないな」
「ん?」
「何でもない」
涼架が首を傾げる。
「変なの」
「涼ちゃんに言われたくない」
「ひどい!」
滉斗が笑った。
――そのとき。
ガシャンッ!
店の外から何かが派手に倒れる音が響いた。
三人が同時に顔を上げる。
「……何?」
滉斗が立ち上がる。
元貴も反射的に札へ手を伸ばした。
「外、見てくる」
「俺も行く」
涼架も立ち上がる。
「涼ちゃんは待ってて」
「えぇ」
「薬草見てろ」
「やだ」
「子供かよ」
「元貴くんも一緒に行くでしょ?」
「うん」
「じゃあ俺も」
滉斗が呆れたように笑った。
「結局三人じゃん」
三人は店を飛び出した。
⸻
店の前の通りには 人だかりができていた。
「誰か倒れてるぞ!」
「妖に襲われたんじゃないか?」
「陰陽師を呼べ!」
その中心に、一人の男が倒れている。
元貴が人を掻き分けて駆け寄った。
「どいてください!」
涼架も後ろからついてくる。
倒れていたのは、三十代くらいの町人だった。
服は泥だらけ。
腕には擦り傷。
呼吸も荒い。
元貴がしゃがみ込む。
「聞こえますか?」
「……う……」
男がうめく。
「妖に……襲われた……」
「どこで?」
「……あっち……」
震える手が、路地の奥を指した。
元貴がそちらを見る。
確かに 微かな妖気が残っている。
「……滉斗」
「ああ」
滉斗が立ち上がる。
「行こう」
二人が路地へ向かおうとした。
そのとき。
「待って」
涼架の声がした。
二人が振り返る。
涼架は倒れている男を見つめていた。
「……涼ちゃん?」
「ちょっと待って」
涼架がしゃがみ込んで、 男の顔を覗き込む。
「どんな妖だったの?」
「……え?」
男が答える。
「お、大きな……妖だった」
「へぇ」
「腕が……長くて……」
「そう」
涼架は男の腕を見る。
傷。
泥。
破れた袖。
どれも一見、妖に襲われたように見える。
けれど。
「……変だなぁ」
涼架が呟いた。
元貴が振り返る。
「何が?」
「傷」
「傷?」
「うん」
涼架は男の腕に触れた。
「これ、全部浅いんじゃない?」
「……」
「妖に襲われたにしては、おかしいなぁ」
元貴も改めて傷を見る。
確かに 出血こそあるものの、致命傷どころか深い傷すらない。
「……でも、妖気はあるよ」
「うん」
「じゃあ、やっぱり妖に――」
「元貴」
涼架が遮った。
「この人、妖に襲われてないよ」
「……え?」
周囲がざわついた。
倒れている男も、一瞬だけ目を見開く。
ほんの一瞬。
けれど 涼架には、それで十分だった。
「だって」
涼架が男の胸元を見る。
「妖気が、この人の身体から出てるもん」
「……!」
元貴が息を呑む。
滉斗の表情も変わった。
涼架は立ち上がる。
そして、男を見下ろした。
その顔には妖艶な笑みを浮かべて。
「君さ、 本当に人間?」
男の顔が固まった。
「……な、何を」
「俺、妖のことなら分かるんだよねぇ」
涼架が笑う。
「君から、ずっと妖の匂いがする」
男は黙った。
元貴が札を構える。
「……まさか」
滉斗も大鉈に手をかける。
「涼ちゃん下がって」
「はぁい」
「こいつ――」
その瞬間、 男が笑った。
「……はは」
小さな笑い声。
それが 次第に大きくなる。
「ハッハハ……!」
身体が震える。
「……っ!」
元貴が一歩下がる。
男の肌に段々と黒い筋が浮かび上がった。
「な……」
骨格が歪む。
泥だらけだった服の隙間から、黒い妖気が溢れ出す。
そして。
「…バレたか」
その声は、もう人間のものではなかった。
周囲から悲鳴が上がる。
「妖だ!」
「逃げろ!」
人々が一斉に走り出す。
元貴は素早く札を構えた。
「最初から……!」
「そう」
涼架が答えた。
「自分であの音を出したんだよ」
「人間を集めるために」
妖がゆっくり立ち上がる。
先ほどまでの傷が、嘘のように消えていく。
妖が笑う。
「残念、オレは普通の人間は喰わねぇよ。能力者が一番うめぇんだ」
「そしたら…二人の能力者に、赤眼の陰陽師まで付いてくるとは。 最近の能力者は、ずいぶん簡単に釣れるな」
元貴の眉がぴくりと動いた。
「……なるほど」
札を構える。
「僕たちを誘き出すための自作自演ってわけですか」
「そういうことだ」
「趣味が悪いですね」
「お前たちを喰えば、もっと強くなれる」
「……そうですか」
元貴の目が細くなる。
「なら、残念でしたね」
札が舞う。
「僕は不味いですよ」
「元貴、そういう問題じゃないだろ」
滉斗が呆れる。
「冗談です」
「こんなときに?」
「少しくらい余裕があった方がいいでしょう」
「まあ、それはそうだけど」
二人が妖の前に立つ。
涼架はその後ろ。
いつものように。
「……涼ちゃん」
滉斗が振り返る。
「俺たちがやる」
涼架は頷いた。
「お願い」
妖が二人へ飛びかかる。
「――来る!」
元貴が札を放つ。
「急急如律令ー封!」
札が光り、妖の動きを一瞬だけ止める。
「滉斗!」
「任せろっ!」
大鉈が振り抜かれる。
妖が身を捻って避けた。
「っ!」
「逃がさない!」
元貴が次の札を投げる。
妖の足元に術式が広がった。
「…急急如律令ー呪符退魔」
妖の身体が地面へ縫い止められる。
「今!」
「おう!」
滉斗が踏み込む。
大鉈が妖へ迫る。
その瞬間、 妖の口元が歪んだ。
「……金色の――」
涼架の目が変わった。
「……」
妖の言葉が続くより速く ほんの一瞬、 涼架の指先から淡い金色の光が走った。
それが妖の身体を包み込む。
「――え?」
元貴が目を見開く。
次の瞬間、 妖は金色の光の中へ消えていった。
あとには 何も残らなかった。
元貴は辺りを見回す。
「……今の」
涼架は何でもなかったような顔で笑った。
「終わったねぇ」
「……涼ちゃん」
「ん?どうした、元貴」
「今、何かした?」
「なにもしてないけど…滉斗が祓ったんでしょ?」
元貴は涼架を見る。
涼架はいつもの眠そうな顔をしている。
「まあ、妖もいなくなったし」
「……だけど」
元貴は納得しきれないまま札をしまった。
その横で 滉斗が小さく息を吐く。
涼架が何をしたのか 彼には分かっていた。
「……涼ちゃん」
「ん?」
「大丈夫?」
「うん」
涼架は答える。
けれど その瞳が、一瞬だけ遠くを見た。
まるで、 今ここではないどこか別の場所を見ているように。
「……そっか」
滉斗はそれ以上聞かなかった。
涼架も何も言わない。
ただ、胸の奥に残った奇妙な感覚を確かめるように、そっと目を閉じる。
――あの妖が最後に見ていたもの。
――聞いていた声。
――そして、最後に抱いていた感情。
それらが、一瞬だけ脳裏をよぎった。
涼架は静かに目を開ける。
「……ほんと、余計なことしてくれるなぁ」
小さく呟いて、 いつもの眠そうな顔に戻った。
元貴はその言葉の意味を知らない。
滉斗はなんとなく察していた。
けれど、 それについて口にすることはなかった。
⸻
その夜、 元貴は後宮の書庫にいた。
昼間の妖のことが、どうしても気になっていた。
最近の妖はおかしい。
知能が上がったのか能力が上がったのか、何らかの変化が起きている。
古い書物を一冊ずつ開いていく。
妖の生態。
妖気による症状。
呪い。
憑依。
どれも違う。
「……ないな」
元貴は本を閉じた。
そのとき、ひらりと 棚の奥から一枚の紙が落ちた。
「……?」
拾い上げる。
かなり古い紙だった。
文字もところどころ掠れている。
その中に 一つだけ、妙に目につく言葉があった。
『妖紋』
元貴は眉を寄せる。
その下には、短い説明が残っていた。
――妖と人の境に生まれる印。
「…んだそれ…」
元貴は読み進める。
しかし 肝心の部分が破れていた。
「……なんだよ、これ」
紙を裏返す。
そこには、さらに一つだけ文字が残っていた。
『禁忌』
元貴はしばらく紙を見つめた。
だが、それ以上は何も分からなかった。
⸻
翌日、 元貴は涼架の店を訪れていた。
「涼ちゃん」
「ん?」
涼架が振り返る。
「妖紋って知ってる?」
その瞬間 涼架の手が止まった。
ほんの一瞬。
本当に一瞬だった。
けれど 元貴には分かった。
「……聞いたことあるよ」
「どんなもの?」
「妖と人間の間にできるもの」
「やっぱり知ってるんだ」
涼架は笑った。
「昔の話だから、詳しくは覚えてないけどねぇ」
元貴は少し考える。
「本当に?」
「うん」
涼架はいつもの顔をしていた。
けれど、 元貴はほんの少しだけ違和感を覚えた。
――何か隠している。
そんな気がした。
それでも。
「分かった」
それ以上は聞かなかった。
⸻
少し離れた場所で薬草を整理していた滉斗を見る。
「滉斗」
「ん?」
「妖紋って知ってる?」
滉斗の手が、一瞬だけ止まった。
「……聞いたことはある」
「詳しくは?」
「俺もそこまでは」
「ふーん」
元貴は二人を見る。
やっぱり 何か知っている。
でも 自分には教えてくれそうにない。
「……まあ、いいや」
元貴はそれ以上聞かなかった。
まだ知らないことがある。
そう思っておくことにした。
⸻
その夜、 店の裏。
人の気配がなくなった頃。
滉斗が小さく口を開いた。
「……涼ちゃん… 元貴、妖紋のこと調べてるよな」
「そうだねぇ」
「大丈夫かな」
「大丈夫だよ」
涼架は答えた。
「まだ何も分かってない」
「でも……結構危険なものだろ?」
滉斗は自分の襟元に手をやった。
長い襟の服。
その下 誰にも見えない場所。
そこに、一つの印があった。
――妖紋。
人間でも妖でもない。
その中間にあることを示す奇妙な紋。
滉斗は襟を少しだけ開いた。
「俺のヤツ、最近濃くなってるんだよ」
涼架の表情から、笑みが消える。
「見せて」
「ここで?」
「いいから」
滉斗が襟をずらす。
首元に浮かぶ紋を見て、涼架は目を細めた。
「……」
「まずい?」
「まだ大丈夫」
「本当?」
「うん」
涼架はそっと指先を近づける。
妖紋が、ごく僅かに揺らいだ。
「でも」
涼架が呟く。
「これからも少しずつ濃くなっていくよ」
「……そっか」
滉斗は自分の首元を見下ろした。
「アイツのやつは大丈夫だよな。俺みたいに濃くなったりしないだろ?」
「大丈夫。滉斗は自分のことを考えてて」
「ちょっと気休めだけど…」
涼架は滉斗の首元に手を添えた。
すると妖紋が金色に淡く光る。
何かしらの術をかけた後、涼架は滉斗の襟を戻した。
「隠しておいて」
「おう。ありがと」
「元貴にはまだ言わないで」
「分かってる」
滉斗は少し笑った。
「俺だって、あいつが自分から気づくまでは余計なこと言いたくないし」
涼架は少しだけ目を伏せる。
「……ごめんね」
「なんで涼ちゃんが謝るんだよ」
「だって」
涼架は妖紋のあった場所を見る。
「俺のせいだから」
「違うよ」
滉斗は即答した。
「俺が選んだんだから」
涼架が顔を上げる。
「……滉斗」
「俺が涼ちゃんと一緒にいるって決めたの」
「……」
「だから、謝んなくていい」
しばらく沈黙が続いた。
やがて涼架が、ふっと笑う。
「……ありがと」
そして、 滉斗が涼架の頭をそっと撫でた。
「どっちが年上かわかんないね」
「もう歳なんて関係ないでしょ。涼ちゃんが涼ちゃんであれば俺はそれでいいの」
「ひろとぉ〜相変わらずイケメン、だいすき」
いつものやり取り。
いつもの二人。
けれど 涼架の目は笑っていなかった。
⸻
その夜、 町の外れ。
人の気配がない場所で 何かが蠢いていた。
負の感情が、ゆっくりと形を作っていく。
影。
腕。
顔。
そして――瞳。
やがて 一匹の妖が生まれた。
これまで町に現れた妖よりも、明らかに濃い妖気を纏っている。
その姿は 以前よりも、人間に近かった。
妖はゆっくりと顔を上げる。
その瞳には どこか、この世界の誰かを思わせる色が宿っていた。
けれど、 それが何を意味するのか まだ誰も知らない。
ただ静かに、 世界のどこかで何かが変わり始めていた。
そして その変化は。
少しずつ、三人のいる場所へ近づいていた。
コメント
1件
よかった……第7話、めちゃくちゃ良かったです😭💕 元貴が「りょうちゃん」呼びに戻ってく感じ、自然でじわじわくる…!あのツンデレっぽいツッコミも懐かしさ感じて泣ける。 でもラストの店裏の涼架と滉斗の会話、妖紋の話、重すぎる…。滉斗の首元の紋、濃くなってるって怖いよ…。涼ちゃんが自分のせいって言うところ、胸がぎゅっとなる。 次の話、どうなるんだろう…!続きが気になって仕方ないです😭🙏