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「けど……羽理や法忍さんはやりづらくて敵わんと言っていたぞ?」
大葉だって、羽理に言い寄りそうな要らぬ芽は摘んでおきたい。だが、そこはグッと我慢して社員らが快適に働けるような環境を作るのが大事だと心得ている。
使途不明な領収が混ざっているたび、わざわざ営業課のフロアに降りて、五代を捕まえなくてはいけなかったと相談された旨を話せば、倍相が吐息を落として眉根を寄せた。
「あのワンコめ。自分がこっちへ来られなくされたからってそんな姑息な手を……」
ややして忌々し気にぼそりと吐き捨てられた倍相の言葉に、大葉は思わず瞳を見開いてから、日頃ニコニコしている彼の予期せぬ言動に、堪え切れなくなって笑ってしまった。
「倍相課長。キミでもそんな苦々しい顔をすることがあるんだな」
確かにバイタリティ溢れるあのワンコ系営業マンは、少々のことではへこたれないので要注意だ。
「ま、その気持ち、俺にも分からんではないけどな」
ククッと笑って言ったら、今度は倍相が驚いたように瞳を見開いた。
「大葉さんこそ、そんな顔をして笑えるんですね。――なんか……結構ヤバイです」
何故か赤くなった倍相が、自分のその反応を振り払いたいみたいに「お願いですから早いところ荒木さんとのこと、社内に公言してください! でないと、色々と面倒なことになりそうです」と盛大に吐息を落とす。
「は? どういう意味だよ」
「そのままの意味です。僕のことはともかくとして、荒木さんにやきもきするような辛い思いをさせたくなければ、助言を守って下さいね? 僕も……営業課の件は通常の流れで領収を回してもらうよう雨衣課長とちゃんと話をしますので。ただし――」
そこで言葉を止めた倍相からじとりとした視線を送られて、大葉は思わず「な、んだよ……」とたじろいだ。
「しつこいようですが、大葉さんが荒木さんとのことを社内でハッキリ公言してからです。今までは僕自身のために五代の動きを制限していましたが、今はそれプラス大葉さんのためにそうしていると思ってください」
「え? あ、いや、……そんなことされなくても俺は自力でちゃんと……」
「ワンコに勝てる自信がおありですか? 相手はあんなに押しが強いのに?」
聞かれてグッと言葉に詰まった大葉を置き去りに、倍相は「そういうことですので」と話を切り上げてしまう。
もうこれ以上話すことはないとばかりに一礼して立ち去ろうとする倍相を思わず立ち上がったまま見つめていたら、「――見合い話が持ち上がってる件も、荒木さんへ伝わる前にさっさと処理して下さいね? 今からその話をしに社長室へ向かわれるんでしょう? 僕に彼女を傷付けるなと威嚇してきた時みたいに、社長にもバシッとキメて来て下さると信じています」と、トドメを刺された。
そんな倍相岳斗の言動に、最後まで食えないやつだと大葉が思ったのは致し方あるまい。
大葉だって、日頃は着ないスーツに身を包んで気合を入れてきたのだ。
「……お前に言われなくてもそのつもりだよ」
ややしてポツンとつぶやかれた言葉は、閉ざされた扉に阻まれて、倍相岳斗の耳には届かなかった。
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