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一階の掃除を終え、お姉様の待つ部屋へと続く廊下を戻る。
私とアランの距離は、主人と従者として適切――
……とは言い難い、妙な間隔だった。
近すぎず、遠すぎず。
互いに一歩も譲らない、そんな歩調。
沈黙が気に入らなくて、私は口を開いた。
「……アラン。あなたは使えるから、生かしておいてあげる」
本当は、今すぐここで始末してしまいたい。
それでも、アランが“使える”のは事実だ。
お姉様の安全のため。
それだけの理由で、生かしておく。
……不本意だが。
「……勿体なきお言葉です」
返ってきた声は、相変わらず無機質だった。
その淡々とした態度が、どうにも癪に障る。
「やっぱり。あなたのそういうところが、嫌い」
歩調を緩めることなく、私は吐き捨てる。
けれどアランは、何も言わない。
ただ静かに、私の半歩後ろを歩き続ける。
――嫌いだ。
それでも。
“使える”男だという事実だけが、
胸の奥に、妙に引っかかって離れなかった。
「イリア! アラン!」
部屋へ入るなり、お姉様が心配そうな表情で駆け寄ってきた。
「二人とも、大丈夫だった? 怪我はないかしら?」
落ち着きなく視線を巡らせ、慌ただしく確かめるその姿を見ていると、
先ほどまでの張り詰めた空気など、霧のように消えていく。
「お姉様。私、強いって言ったでしょう?」
軽く胸を張り、笑ってみせる。
「どこも怪我なんて、しておりませんよ」
その言葉に、お姉様はほっと息を吐き、胸に手を当てた。
「……良かった」
そして、すぐに視線をアランへ向ける。
「アランも、無事なのよね?」
――正直、アランの心配などしなくてもいいのに。
そう思ってしまう自分を、止めることはできない。
けれど、お姉様はそういう人だ。
息を吸うのと同じくらい自然に、他人を気遣ってしまう。
「ご心配いただき、ありがとうございます。私も無事でございます」
そう答えるアランの表情は、
私に向ける時とは違って、どこか――嬉しそうで。
……執事として、それは如何なものかと思わざるを得ない。
「ふふ、無事で何よりだわ。……あら?」
不意に上がった、お姉様の小さな驚きの声。
「どうかしたのですか!?」
反射的に、私は魔力を走らせていた。
背後に魔法陣が展開され、空気が張り詰める。
「驚かせてしまってごめんなさい」
お姉様は慌てた様子で手を振る。
「……危険なものじゃ、ないのだけれど……」
その言葉に、私はすぐさま魔法陣を消した。
「いえ、問題はございませんわ」
一礼してから、首を傾げる。
「……それで、どうなさったのですか?」
訝しげに見上げたお姉様の顔。
私より少し高い位置にあるその横顔は、
長い睫毛に、すっと通った鼻筋、大きな瞳――
……美しい。
――いけない。
今は見惚れている場合じゃない。
「イリアと、アランの……首筋にね」
そう言いながら、お姉様は私たちの腕を取ると、
部屋の一角にある鏡の前へと導いた。
「……不思議な形の、あざがあるの」
鏡越しに、こちらを見つめるお姉様の瞳が揺れる。
「……見える?」
その瞬間。
自分の首筋に、
ひやりとした感覚が走った。
――そんなもの、
今まで、なかったはずなのに。
「……なに、これ」
思わず漏れた、自分でも分かるほど焦った声。
鏡に映る首筋には、見覚えのない痣が浮かんでいた。
「……なぜ、このような痣が……」
隣で、アランも珍しく困惑した表情を浮かべている。
冷静沈着な彼が動揺している――それだけで、この異変が只事ではないと分かった。
得体の知れない痣。
私たちは、ほとんど同時に、お姉様の方を振り返った。
「……私もね、よく分からないのだけれど」
お姉様は少し考えるように視線を伏せ、
それから、静かに続けた。
「悪いものでは……なさそうなの」
その言葉に、胸の奥の緊張がわずかに緩む。
浄化魔法を扱うお姉様がそう言うのなら、
少なくとも“呪い”や“汚染”ではないのだろう。
……それでも。
原因の分からないものが、
自分の体に刻まれているという事実は、
どうしようもなく気持ちが悪かった。
「触っても……何も感じませんわ」
指先でそっと首筋に触れる。
痛みも、熱も、違和感すらない。
まるで、最初からそこにあったかのように。
「屍人と接触したからでしょうか……」
アランが低く呟く。
「分からないわ。でも――」
お姉様は私たちを真っ直ぐに見つめ、
はっきりと告げた。
「少なくとも、今すぐ危険になるものではない。
それだけは、確かよ」
その言葉を信じるしかない。
私は、そう自分に言い聞かせた。
けれど。
何か重要な秘密があるのではないか。
――そんな気が、してならなかった。