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高樹は二子玉川へ靜子を送った後、友人の一安恵へ連絡を入れて、渋谷にあるバーさくらへ向かった。自宅に車を停めてからの電車移動は、不眠の続く身体には億劫でも、それなりに有意義な時間になるだろうー。
高樹は、車窓に流れる景色を眺めながらそう思っていた。
元警察官の一安は高樹の幼馴染で、年に数回程度、酒を酌み交わす間柄である。
最後に会ったのは、昨年末、一安が興信所を始める直前で、そこには新たな恋人らしき若い女性も同席していた。
一安が警察官を辞めた理由は、自らの不倫が原因だった。
相手は同僚の巡査で、依願退職ではあるものの、事実上は懲戒免職に相応し、不貞が明らかになると、一安の妻はひとり息子を連れて去ってしまった。
そんな過去を笑い飛ばす一安に、高樹は聞いてみたいことがあった。
「後悔はないのか?」
だが、それは愚問である。
何故なら、毎月の養育費も遅れることなく支払って、半年に一度は、息子と食事へ出掛ける話を、一安は楽しそうに語っていたからだ。
その表情の節々に。後悔の念が読み取れた。
高樹は自問した。
「自分こそ、後悔はないのだろうか…?靜子を、ちゃんと仕合わせに出来るのだろうか、そして靜子は、その覚悟はあるのだろうか…」
答えが見つからないまま、246号交差点を抜けて桜ヶ丘へと入り、高樹はバーさくらの扉をゆっくりと開けた。
まだ開店直後のせいか。店内は人もまばらでがらんとしていた。
「よお!先にやってたぞ!」
カウンター奥の席から、一安の賑やかな声がした。
手元には、フラミンゴオレンジのボトルと、薩摩切子のロックグラスが置かれてある。
氷の溶け具合で、一安は来たばかりだと云うのがわかる。
高樹が隣に座ると、カウンター越しに若女将が言った。
「高樹さん、三岳でいいですか?」
「あ、どうしようかな…そうしようかな」
「呑み方は?」
「水と氷でお願いします」
「はい」
若女将の上品な口ぶりが。今の高樹には心地良かった。