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第16話、じっくり読ませていただきました。真尋さんが一つひとつを確かめるように整理していく姿に、胸が締め付けられました。特に家計簿の七冊目をめぐるやりとり——恭平さんが「そんなもの」と言い放つ場面と、真尋さんが「九年。全部」と返す場面の対比が、静かでいて深く響きました。 そしてラストの保険証書。受取人の名前に全てが集約されるような構成、本当に見事でした。次回が待ち遠しいです。
日曜の昼、前触れなく、玄関の鍵が回った。
恭平だった。スーツ姿で、仕事の途中らしかった。「昼休みに寄った。郵便と、冬物を取りに来た」とだけ言って、靴を脱いだ。
結衣は和室で本を読んでいた。顔を上げて、「パパ」と言った。恭平は「ああ」と答えて、頭に手を置かずに通った。
真尋は、玄関の脇の棚から、二週間分の郵便の束を取った。クレジットカードの明細、会社の互助会の封筒、保険会社の控え。いちばん上に、総務部の長い封筒を置いて、恭平に渡した。
「これ、全部」
恭平は束を受け取って、上から一枚ずつ見た。
白い封筒で、手が止まった。
『アルバ住宅株式会社 総務部』。『経費精算に関する確認のお願い(在中)』。
恭平は、その場で封を切った。中から出た紙は二枚で、真尋には裏しか見えなかった。恭平は、二枚目まで読んで、何も言わなかった。
真尋は、何も言わなかった。
恭平が顔を上げた。
「……課の経費のまとめ役だから、確認が来るんだ。課全員の精算を、俺がまとめて出してる。だから、俺のところに来る。誤解だ」
「そうですか」
「そうだ」
誤解だ、と恭平は言う。真尋は、聞かれていないことには答えない。恭平は紙を二つに折って、スーツの内ポケットに入れた。左の、いつもの内ポケット。十月二十八日の領収書が入っていた場所に、今度は会社からの紙が入る。
真尋は、郵便の束の残りを見ていた。クレジットカードの明細の封筒は、二通ある。恭平名義のカードが二枚。一枚は、家計簿に出てくるいつものカードで、もう一枚は、真尋が番号を知らないカードだった。三か月前から、明細がこの家に届くようになっている。真尋はまだ開けていない。開ける権利は、ない。
恭平は二階に上がって、寝室のクローゼットから冬物を出し始める。真尋は、階段の下から、その音を聞いていた。しばらくして、大きい鞄を持って下りてきた。コートとセーターが詰まっている。
鞄の口が、閉まり切っていなかった。
セーターの間に、緑の表紙が、見えた。
真尋は、階段の下に立ったまま、言った。
「それ、私の」
恭平が鞄を見た。
「何が」
「緑の。家計簿。七冊目」
恭平は、鞄の口を押さえた。
「母さんが捨てた物だ。捨てた物は、誰のものでもない」
「捨てたのは、お義母さん。拾ったのは、私。八冊、集積所から拾いました。一冊だけ、なかった。それが、どうしてあなたの鞄にあるんですか」
恭平は答えなかった。
真尋は、階段を一段上がって、鞄に手を伸ばした。緑の表紙の端を持って、引いた。
恭平は、一瞬、鞄を引いた。それから、手を離した。
七冊目。二〇二三年。表紙は、濡れていなかった。集積所には、行っていない。
真尋は、七冊目を胸に抱えた。
「家計簿は、私が書いたものです。九年。全部」
「好きにしろ。そんなもの」
恭平は鞄を閉めた。
真尋は、七冊目を開いて、二〇二三年の一月を見た。『立替 30,000(恭平)』。真尋の字。全部、ある。恭平が持っていたことで、何かが消えたわけではなかった。
恭平が、なぜこの一冊だけを持っていったのか。読んだのか。読んで、何かを探したのか。真尋は聞かなかった。聞いても、答えは返ってこない。
「それと」
恭平は、玄関で靴を履きながら言った。
「光熱費、お前が払え。俺はローンで精一杯だ。先月の電気代、まだ払ってない」
真尋は、七冊目を抱えたまま答えた。
「十一月分から、私の名義に替えました。電気も、ガスも。新しい契約にして、引き落としは私の口座です。先月の分も、私の口座から落ちています」
恭平が、靴べらを持ったまま、真尋を見た。
「いつ」
「十一月の半ばです。あなたが、払わなくなると思ったので」
「お前」
恭平は、何か言おうとして、やめた。
それから、声を変えた。
「結衣は、実家が引き取る」
真尋は、七冊目を抱える手に、力が入った。
「パートで、子ども一人を育てられるわけがないだろ。母さんもそう言ってる。母さんが面倒を見る。お前は、好きなだけ働けばいい。調停でも、そう言う。母親に経済力がない、精神的にも不安定だって」
「十二月十一日、あなたが学校に電話して、そう言ったことは、担任の先生から連絡帳で聞きました。翌日の十二日、私が担任に会って、電話の中身と日付を記録してもらっています。結衣は、学校では元気に過ごしています、と先生が書きました。調停で言うなら、日付ごと言ってください」
恭平の靴べらが、止まった。
「結衣は、私が育てます」
「……調停委員が決めることだ」
恭平は靴を履き終えて、鞄を肩にかけた。
玄関の扉を開けたとき、コートのポケットから、折った紙が一枚、床に落ちた。恭平は振り返らなかった。扉が閉まった。
和室から、結衣が顔を出した。
「パパ、もう行った?」
「行った」
「わたしに、何も言わなかった」
「うん」
結衣は、和室に戻った。
真尋は、玄関に下りて、紙を拾った。
三つ折りの、薄い紙。開くと、保険会社の名前が印刷されていた。十月にはがきが来た会社とは、別の会社だった。
『生命保険申込書(控)』
契約者の欄。『篠原恭平』。
被保険者の欄。『篠原恭平』。
保険料の欄。『月払 20,000円』。
その下。
『死亡保険金受取人 高梨瑠美(続柄:その他)』
真尋は、その一行を、二度読んだ。
申込日は、十二月十日。真尋が内藤の事務所で「婚姻費用」という言葉を初めて聞いた日だった。
真尋は、七冊目の家計簿を開いて、二〇二三年の十二月のページに、その紙を挟んだ。立替の欄が、いちばん多い月だった。
#復讐
草原草原(くさはらそうげん)

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木風
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#サレ妻
都築七美
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