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夜。
仁人は結局、勇斗の家に来ていた。
窓の外では蝉が鳴き止まず、途切れ途切れに重なる声が、古いガラス窓を震わせて微かに響く。
その音が夜の湿気に溶け込み、冷房の風と混ざり合いながら部屋の隅に漂っていた。
蛍光灯は落とされ、廊下のオレンジ色の常夜灯がカーテンの隙間から漏れ、部屋の空気を淡く染めている。
その光は揺れるカーテン越しにわずかに揺らぎ、壁に淡い影を作っては崩し続けていた。
ソファに座った仁人は、少し冷えた空気にTシャツの裾を引き下げながらぼそりと言う。
「冷房強くしすぎじゃね?」
そう言った声が少し震え、静かな部屋に染み込む。
引っ張られたTシャツの裾が風で揺れ、その隙間から覗く細い腰の曲線と腹筋の影が、灯りの中でわずかにきらりと光った。
その線に勇斗の視線が自然と引き寄せられる。
「寒いなら、温めてやろっか?」
「いい」
短く返す仁人の黒髪が、微かに揺れるカーテンの光を受けて柔らかく光った。
睫毛の一本一本が、灯りを受けて細い影を頬に落としている。
冷房の風がふっと二人の間をすり抜け、仁人の髪をそっと揺らした。
夏の夜特有の湿気が、冷房の冷気の奥に潜む熱を思い出させる。
勇斗はゆっくりと仁人の隣に座り込み、近づくとふわりとシャンプーと柔軟剤の甘く清潔な香りが鼻先をくすぐった。
その香りは夜の重たい湿気に溶け込みながらも、確かに勇斗だけを刺激していた。
「じんと。」
「……なに。」
呼びかけると、仁人は口元に手を当て視線を逸らす。
灯りがその指の隙間から頬を照らし、耳の先が赤くなっていくのが見えた。
『やっぱ、可愛いな。』
胸の奥で言葉にならない思いが膨らみ、鼓動が少し速くなる。
勇斗は仁人の手に触れ、指を絡める。
その指先がわずかに震える振動が、絡めた指から直接伝わる。
「さっきの顔、また見せて。」
「……何回言えば気が済むんだよ。」
「何回でも言うよ。じんとは俺だけのものだから。」
「……バカ。」
吐き捨てるような言葉なのに、その声は甘く、少しだけ掠れて震えていた。
勇斗は身体を寄せ、そっと仁人の頬に触れる。
指先が触れた瞬間、仁人の呼吸が浅くなり、その息が勇斗の指に当たって微かに湿る。
「目、閉じて。」
「や……」
「大丈夫。」
低く静かな声に、仁人の睫毛が震えながらゆっくりと閉じられる。
長い睫毛が頬に影を落とし、その影が震えて夜の中で淡く揺れた。
そっと額を合わせると、微かな汗の匂いと柔軟剤の甘さが混ざった空気が二人の間に流れる。
仁人の呼吸が近くで重なり合い、吐息が頬をかすめていく。
「キス、するよ。」
「……ん。」
勇斗はゆっくりと唇を重ねた。
柔らかく、温かく、湿った感触。
触れ合っただけで胸の奥へ熱が走り、指先がわずかに震える。
離れそうになった唇を、仁人のほうからそっと追いかけて重ね返される。
目を閉じたまま、小さな吐息が混ざり合い、夜の空気が淡く震えた。
勇斗の指が仁人の顎を支え、唇を少し深く押し当てると、仁人の肩が小さく跳ねる。
「んっ……」
小さく漏れた声が、夜の空気を震わせて甘く響く。
その声に勇斗の胸の奥が熱く痺れ、思わず唇を何度も重ねてしまう。
「じんと……可愛い。」
「……もう、やめ……」
「やめない。」
勇斗は仁人を引き寄せ、腕の中に閉じ込めた。
Tシャツ越しに感じる体温が熱を帯び、柔らかく甘い呼吸が耳元で震える。
「声、出すなよ。」
「や……」
勇斗の唇が仁人の首筋をなぞると、仁人の指先が勇斗の背中を掴む。
「ん……っ」
冷房の風がゆるやかに吹く中で、二人の間だけが熱く、湿った空気が絡み合う。
部屋の暗がりで灯りが揺れ、カーテンが微かに揺れるたびに影が伸びたり縮んだりしながら二人の輪郭をなぞる。
唇が首筋から鎖骨へ、顎へ戻りながら、小さな声で囁く。
「じんと、俺だけのものだよな。」
「……知らねぇよ。」
「知ってるくせに。」
再び唇を重ねると、仁人が観念したように目を閉じ、小さく息を吐いた。
勇斗はその顔を見つめながら、胸の奥で何度も思う。
『もっと、もっと見せろよ、その顔を。』
やがて二人は布団の上で向かい合って横になっていた。
夜は深く、蝉の声も遠くで細く震えているだけだ。
外灯のオレンジ色がカーテン越しに差し込み、部屋の中に淡い光の帯を作っている。
その光はカーテンが揺れるたびに伸びたり消えたりしながら、二人の頬や肩、指先を淡く照らしては隠した。
冷房の風が緩く吹き、肌の汗を冷やすたびに小さく震える。
でも触れ合う体温だけは消えずに熱を持ち続けていた。
勇斗は仁人の細い腰に腕を回し、そっと引き寄せる。
「ん……」
軽く背中が反るが、その動きはすぐに落ち着き、仁人の呼吸が勇斗の耳元で静かに重なる。
「じんと。」
「……なに。」
「好きだよ。」
「……うん。」
小さく吐き出されるその声は弱く、それでいて確かに勇斗の胸を震わせる。
勇斗は仁人の額に自分の額をそっと当てる。
落ちた前髪が触れ合い、その下で睫毛が微かに揺れ、閉じられた瞼の奥で黒目がわずかに動いているのが伝わる。
「じんとが可愛すぎてさ、ずっと見てたい。」
「……寝ろ。」
「寝る前に、もう一回。」
勇斗はそっと唇を重ねた。
夜の冷房の風が肌を撫でるのに、触れ合った唇から胸の奥へ熱が流れ込む。
「ん……」
触れ合っただけで仁人の吐息が勇斗の唇にかかり、かすかに湿った温度が残る。
唇を離すと、仁人の睫毛が震え、小さく目を開いた。
その瞳が灯りを反射し、勇斗だけを映している。
「……お前が他の奴に笑うと、ムカつくんだよ。」
「……は?」
勇斗は瞬きをする。
仁人は睫毛を伏せ、耳の先が赤くなる。
「柔太朗にも舜太にも……お前笑うだろ。……それ、ムカつく。」
「……じんと?」
仁人は小さく息を吐き、勇斗の胸元に顔を押し付ける。
「お前が笑ってんの、俺だけが見てればいいのに。」
その声が夜の湿気を揺らし、勇斗の胸を鋭く甘く突き刺す。
「……嫉妬?」
「うるさい。」
勇斗は思わず笑い、仁人の頭を抱き寄せた。
柔らかい黒髪の感触と、そこから微かに漂うシャンプーの匂いは、この夜だけは勇斗だけのものだった。
「じんと、俺だけ見てろよ。」
「……バカ。」
勇斗はまた唇を落とす。
今度は軽く、触れるだけのキス。
離れると、仁人の睫毛の影の下で瞳が細く笑った。
「……お前が俺だけ見てろよ。」
「見てるよ。」
「ならいい。」
勇斗の胸元で仁人が小さく笑い、その呼吸が静かに整っていく。
夜の空気の湿度が少しずつ変わり始め、夜明けの気配が遠くから忍び込んでくる。
布団の中で二人の呼吸だけが重なり合い、鼓動が響く。
仁人の心臓の音が勇斗の胸に伝わり、そのリズムが勇斗の鼓動と重なった。
『この音も、この温度も、この吐息も、全部俺だけのものだ。』
窓の外が淡く白み始める頃、勇斗は目を開けた。
蝉の声が遠くで細く鳴き、夜と朝の境目をなぞるように響いている。
仁人は勇斗の腕の中で眠っていた。
寝息は静かで、吐息が勇斗の腕に小さくかかるたび、胸の奥がくすぐったく温かくなる。
頬にかかる黒髪をそっと払うと、長い睫毛が影を作り、その影が頬を静かに撫でていた。
『可愛いな。』
その言葉を胸の中で何度も繰り返す。
勇斗はそっと額を仁人の額に当て、目を閉じた。
窓の外で小鳥の声が重なり、夏の朝がゆっくりと始まろうとしている。
この夜が明けても、この温度も、この吐息も、ずっと自分だけのものだと信じたくなる朝だった。