テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
「おい渚、ポテトは全部食ったか?」
ファミレスの席で、俺は最後の一杯のブラックコーヒーを飲み干した。向かい側では、渚がケチャップのついた最後のポテトを口に押し込み、ごっくんと飲み込んでいる。
「ふー、ごちそうさまでした。で? 密室事件の次はどんなヤマですか? 早く帰って課題やりたいんですけど」
「課題なんてやってんのかお前。……いや、今日はもう帰してやろうと思ってたんだがな」
そう言いかけた時だった。
卓上に置いていた俺の警察手帳の横で、私用のスマホが猛烈に震え出した。画面に表示されたのは、本部の一課長の名前。この時間に直々に着信なんて、ろくなロクでもないヤマに決まっている。
「……はい、峯岸です」
『峯岸! お前いまどこにいる!』
受話器の向こうから、怒号に近い一課長の声が響いた。周りのガヤガヤした雑音からして、すでに現場か対策本部が開かれている。
『〇〇区の商店街裏の路地だ! 無差別通り魔が出た! 被害者は二人、いずれも刺殺だ!』
「……通り魔!?」
俺の声に反応して、ポテトのケチャップを拭いていた渚の手がぴたりと止まった。
『犯人は黒いフルフェイスのヘルメットに黒いレインコート、顔も特徴もさっぱり分からん。防犯カメラにもほとんど映ってない! 現場はパニックだ、お前もすぐ向かえ!』
ブツンと電話が切れる。
俺は無言でスマホをポケットに放り込み、伝票をひったくるように立ち上がった。
「……峯岸さん?」
渚が不安そうに俺を見上げてくる。
『通り魔』。
その言葉が持つ嫌な響きに、俺たちの頭の中に一瞬で三年前のあの火災の記憶がフラッシュバックした。
「……現場に行くぞ、渚」
「……うん。行こう」
さっきまでのファミレスのくだけた雰囲気は一瞬で吹き飛んでいた。渚はいつも通り冷めた顔を作ろうとしていたが、リュックの紐を握りしめるその指先が、微かに震えているのを俺は見逃さなかった。
◇
現場は警察の黄色い規制線テープで封鎖され、赤色灯の光が夜の住宅街を不気味に赤く染め上げていた。野次馬の雑言とマスコミのヘリの音が混ざり合い、カオスと化している。
俺は警察手帳を提示して鑑識や私服警官の群れを押し分け、渚を背中に隠しながら事件現場の路地裏へと足を踏み入れた。
アスファルトの上には、生々しい大量の血痕。
ついさっきまで人が息絶えていた場所には、白いチョークで描かれた『ヒトガタ』がふたつ、物言わぬ死の痕跡を残していた。
「……ひどい」
背後で渚が息を呑む音がした。
「……渚、見えるか?」
俺が低く尋ねると、渚はゆっくりと視線を上げた。
路地裏の街灯の薄暗い光の下、アスファルトから数センチ浮いた場所に、ふたつの透けた人影が揺らめいていた。
会社員風の若い男と、買い出し途中だったとおぼしき主婦の霊だ。ふたりとも自分の身体に開いた穴を呆然と見つめ、混乱と恐怖でパニックを起こしている。
『痛い……なんで、なんで俺が……!』
『買い物の途中だったのに……赤ちゃんが待ってるのに……!』
彼らの悲痛な叫びは、当然俺の耳には届かない。だが、渚の顔が苦痛に歪んでいくのを見て、その場の地獄絵図が痛いほど理解できた。
「渚、無理は……」
「大丈夫」
渚は自分の唇を強く噛み締めると、一歩前に出た。
「……ねえ、二人とも。落ち着いて。私、警察の付き添い。犯人のこと、教えて」
渚が空中に手を伸ばす。
被害者たちの霊に「触れる」ために。
その瞬間、渚の身体がビクッと大きく跳ね上がり、彼女は現場にへたり込みそうになった。俺は咄嗟にその細い肩を抱きかかえる。
「渚! 落ち着け!」
「……っハ、……っ!!」
渚は荒い息を吐きながら、俺の腕を力いっぱい掴んできた。その手は氷のように冷たくなっていた。被害者たちの死の間際の凄惨な恐怖と激痛が、ダイレクトに渚の全身を駆け巡ったのだ。
「……見えた……?」
「……うん……っ」
渚は荒い息を整えながら、必死に言葉を絞り出した。
「犯人は……黒いヘルメット……黒いコート……背は高くて、右手に……大きなサバイバルナイフ……」
「……顔は? 声は聞こえたか?」
「ううん……フルフェイスのバイザー越しで、全然顔は見えなかった……声も発してない。ただ……ハァ、ハァ……無言で、後ろから襲いかかってきて……」
「クソッ、目撃証言の域を出ねぇか……!」
手がかりがない。これではただの凶悪な無差別殺人だ。
だが、渚は俺のスーツの袖をキュッと強く引っ張った。
「……でもね、峯岸さん」
「え?」
渚は恐怖に震える瞳を固く閉じ、自分の右手のひらをじっと見つめた。
「主婦の人……刺された瞬間に、必死で犯人の腕を掴んだの。……その時、犯人のレインコートの袖口から……『ある感触』が伝わってきた」
「感触? どんな感触だ!?」
前職は舞妓
425
きょう
171
渚はゴクリと唾を飲み込み、震える声でつぶやいた。
「……火傷(やけど)。……右のリストバンドの奥、手首の皮膚に……すごく大きくて、ひどい火傷の痕(あと)があった」
「……っ!?」
俺の背中に、冷たい激痛が走った。
火傷の痕。
右手首の、大きな火傷。
三年前。
あの連続通り魔放火事件の夜。燃え盛る家屋から逃げていく黒い影——俺が背後から銃を構え、あと一歩まで追い詰めたものの、炎と崩落に阻まれて逃した犯人。
あの時、炎の柱が倒れ、奴の右腕を直撃したのを俺はこの目で見ていた。
「……峯岸さん」
渚が顔を上げ、直視してきた。その瞳には、恐怖を塗りつぶすほどの強い感情が宿っていた。
「……この犯人、あいつだよ。……お父さんとお母さんを奪った、あの火事の犯人だよ……!」
夜の路地裏に、赤色灯の光が虚しく明滅していた。
三年間、闇の中に消えていた最悪の怪物。
そいつが今、再びこの街で人を殺し始めた。
「……ああ」
俺は渚の頭を強く抱きしめ、路地の闇の奥を睨みつけた。
「間違いない。……追いかけるぞ、渚。今度こそ……あいつを絶対に逃がさねぇ」
「……待てよ」
俺は警察手帳の奥に挟んでいた、三年前の極秘資料のメモをひっくり返した。血の気が引き、代わりにフツフツと腹の底から黒い怒りが湧き上がってくる。
「峯岸さん……? どうしたの?」
肩を震わせる渚が、不安そうに俺を見上げてくる。俺は煙草を吐き捨てるように踏みつぶし、低く呟いた。
「……違う。あいつじゃない」
「え……?」
「三年前のあの火事の時、俺は炎の中で奴の腕が焼けるのを確かに見た。……だが、火傷を負ったのは『左腕』**だ。絶対に右腕じゃねぇ」
「……っ!」
渚が目を見開く。
そうだ。三年前の通り魔放火魔は、左腕に重度の火傷を負っていた。
だが、今日の被害者の腕に残っていた感触は**『右手首』の火傷。
「……じゃあ、今日の犯人は……」
「模倣犯だ。あの未解決事件の恐怖を悪用して、通り魔のフリをして人を殺した……胸糞悪い便乗犯(パクリ)だよ」
当時の痛ましい事件をトレースし、世間の混乱に紛れて身勝手な殺人を犯した悪質な第三者。
真犯人への手がかりかと思わされた分、胸の中にドロリとした最悪の憤りが広がる。
「……許せない」
渚の声が、小さく、だが氷のように冷たく響いた。
下を向いた渚の拳が、白くなるほど強く握りしめられている。
見えない霊たちの悲鳴を聞き、触れなくていい激痛と死の恐怖に触れさせられ、さらには両親を奪った事件まで侮辱されたのだ。渚の怒りは限界に達していた。
「……許さない。お父さんたちの事件をダシにして人を殺すなんて……絶対に許さない」
「……ああ」
俺は渚の頭にドカッと手を置き、乱暴に髪を撫で回した。
「本物だろうが偽物だろうが、俺たちの街で好き勝手暴れてくれたツケは払わせる。……渚、その『右手首の火傷痕』と、被害者の未練……きっちり使わせてもらうぞ」
「……うん! あいつの顔、絶対引きずり降ろしてやる!」
真犯人への手がかりではなかった。
けれど、目の前で起きたこの胸糞悪い模倣事件を解決した先にしか、本物の闇へは辿り着けない。
赤色灯が照らす夜の街で、俺と渚の目が猛毒のような殺意を孕んで光っていた。
コメント
1件
第8話読み終えた! ファミレスの空気から一転、現場の生々しい描写に一気に引き込まれたわ。渚が霊の痛みを共有しながらも前に進む強さがかっこよかった。そして「右手首の火傷」→「模倣犯」のどんでん返し……これは続きが気になりすぎる🔥