撮影の準備が着々と進んでいた。
脚本は喜以が書き上げ、太力は撮影プランを詰め、富貴子はロケ地を確保し、豪志はセットデザインに取り掛かっている。
しかし、一つだけ決まっていないことがあった。
主演女優がいない。
奏太が演じる「余命わずかな青年」の物語には、彼を支えるヒロインが必要だった。
ただの恋愛映画ではない。
主人公が「生きた証を残したい」と願う中で、彼を支える存在が物語の核になる。
「どうする? オーディションするか?」
友が提案する。
「でも、素人を使うのはリスクが大きいぞ。時間もないし、経験のある人間を起用するべきだ。」
太力が現実的な意見を述べる。
確かに、プロの役者を雇う余裕はない。
だが、映画の完成度を考えると、適当に選ぶわけにもいかない。
奏太は腕を組みながら考えた。
「……候補になりそうな人間、いるか?」
その時、富貴子がぽつりと呟いた。
「彩映(あやは)なら、どうかしら?」
その名前に、ゼミ室の空気が変わった。
彩映(あやは)――演技経験はないが、表現力に優れた女性。
ゼミの中でも異彩を放つ存在だった。
彼女は人と違う視点を持ち、自分の考えを貫く芯の強さを持っている。
また、彼女は美術や文学に精通し、感情表現に対する独特のこだわりがあった。
「彩映……確かに、あいつなら。」
友が頷く。
「ただ、問題は……。」
太力が苦い顔をした。
「アイツが、引き受けるかどうかだな。」
その日、奏太は彩映を探し、大学の図書館へ向かった。
彼女は、静かな読書スペースで分厚い文学書を開いていた。
窓から差し込む光の中で、彼女の指がページをめくる。
「彩映。」
奏太が声をかけると、彼女はゆっくりと顔を上げた。
「……珍しいわね、あなたがここに来るなんて。」
彼女は本を閉じ、興味深げに奏太を見つめた。
「頼みがある。」
単刀直入に切り出した。
「映画の主演をやってほしい。」
彼女の表情が、一瞬固まった。
「……主演?」
「そうだ。」
「演技なんて、私にできるの?」
彩映は、少し驚いた様子で聞き返す。
「お前ならできる。」
奏太は、確信を持って言った。
「お前は、物語を深く理解できる。登場人物の感情を、誰よりも想像できるはずだ。」
彩映は沈黙した。
彼女の指が机の上をなぞる。
「……でも、私、自分の気持ちを人前で表現するのは得意じゃないわ。」
「だからこそ、やってほしい。」
奏太は静かに言った。
「お前が持ってる世界の見方、その感性が、この映画には必要なんだ。」
彩映はゆっくりと息を吐いた。
「……もし私が断ったら?」
「諦めない。」
彼女は、思わずクスッと笑った。
「あなた、意外と頑固ね。」
「知ってるだろ。」
「ええ。でも……。」
彼女は少し考え込み、ゆっくりと口を開いた。
「私にできるかどうか、試してみたい。」
奏太は、思わずホッと息をついた。
翌日、彩映はゼミ室を訪れた。
彼女が現れると、メンバーたちは少し驚いた様子を見せる。
「……お前、本当にやるのか?」
太力が意外そうに聞いた。
「ええ。」
彩映は、迷いのない声で答えた。
「私、あなたの物語を生きるわ。」
その言葉に、奏太の心が震えた。
「よろしく頼む。」
彼は、深く頭を下げた。
こうして、映画の主演女優が決まった。
物語は、着実に動き始めていた。
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