本部の会議室は、
いつもより静かだった。
誰も、
急いでいない。
急げないのだ。
「未処理という扱いは、限界があります」
若い分析担当が言った。
その声は、
少しだけ震えていた。
「処理速度は正常。
再送要求も出ていない。
つまり……」
誰も続きを言わない。
言えば、
決まってしまうからだ。
「“選ばなかった”という解釈が、
現実的になりつつあります」
その瞬間、
何人かが目を伏せた。
意思。
判断。
主体。
それらは、
この仕組みに
含めてはいけない言葉だった。
***
「異常として定義しますか?」
議長が、
淡々と聞いた。
反対は出なかった。
賛成も、
はっきりとは言われなかった。
だが、
次に出てきた資料が、
答えだった。
【暫定異常定義案】
未選択:
推奨選択が提示可能な状況下で、
選択が実行されなかった状態。
判断放棄、または
意図的回避の可能性を含むため、
改善・更新対象とする。
「“意図的”は、
外した方がいいのでは?」
誰かが、
勇気を出して言う。
「外すと、
説明できません」
議長は即答した。
説明できないものは、
組織にとって
存在しないのと同じだ。
だから、
意図を仮定する。
***
そのログを、
佐伯は見てしまった。
正式な配布資料ではない。
だが、
下書き段階の定義案は、
なぜか彼の端末に流れてきた。
「……やる気だな」
画面を閉じる。
だが、
閉じただけで、
消えはしない。
佐伯は、
例の数値を開く。
未選択が発生した後の、
利用者行動。
離脱していない。
混乱もしていない。
むしろ、
問い合わせは減り、
自分で決めている。
「これ……」
佐伯は、
唇を噛んだ。
異常として
潰される前に、
この数字は
使えなくなる。
だが、
使えなくなるからといって、
無かったことにはできない。
佐伯は、
会議用の共有フォルダに、
一枚だけ資料を置いた。
タイトルも、
派手な説明もない。
補足資料:
未確定挙動発生後の
行動指標変化
それだけ。
擁護のつもりはなかった。
だが、
結果として、
擁護になる。
***
本部は、
すぐに反応した。
「この資料、
誰が上げた?」
名前は、
出ている。
消せない。
「……佐伯か」
誰かが、
小さく舌打ちする。
「数値で来るのは、
厄介だな」
「でも、
禁止指標にすればいい」
その一言で、
空気が変わった。
禁止。
使ってはいけない数値。
見てはいけない相関。
それに指定すれば、
議論は終わる。
「未選択に関係する指標は、
全て非公式扱いに」
決定は、
早かった。
***
月影は、
その頃、
何も知らない。
ただ、
“間”が長いことだけを、
感じている。
選択を求められ、
選ばなかった。
それだけだ。
だが、
世界は
その“それだけ”を
許していないらしい。
月影は、
次の案件を前に、
少しだけ立ち止まる。
最適は、
もう見えている。
だが、
それを選ばない。
選ばないという選択を、
今度は
完全に実行する。
誰にも渡さず、
誰にも提示せず。
ただ、
空白のまま。
***
同じ瞬間。
佐伯は、
自分の端末から、
あの数値が
消え始めていることに気づく。
「……ああ」
禁止されたのだ。
だから、
これはもう
正式には存在しない。
だが、
佐伯の中には残る。
未選択が、
異常ではないという
確信だけが。






