テラーノベル
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コンビニエンスストアの白く丸い時計の秒針が、規則正しく時を刻んでいた。
黒木がその駐車場に現れてから、もう三十分以上が経過している。
会社から帰宅するはずの瑠璃も、まだ姿を見せない。
流石に店員の視線が痛くなり、奈良はレジでファミチキを買った。
財布を取り出し、小銭入れに目を落としたその瞬間――「あ、ちょ、お客さま!?」出入口の自動扉を押す音がして、色白で面長、細い手足、緩やかなウェーブを描いた栗色の髪を青いリボンで後ろに結えた瑠璃が、駐車場の奥へと小走りに向かっていくのが見えた。
見覚えのある青いワンピースが、街灯の下で揺れている。
「…………る!」
声を掛けようとした瞬間、差し出した手が止まった。
瑠璃の姿を見た黒木が車から降り、助手席のドアを開けた。
中へと招き入れ、静かにドアを閉める。
室内ランプが点り、黒木が運転席に滑り込む。
笑顔の黒木と瑠璃は同時にシートベルトを締め、黒いクラウンはゆっくりと動き出した。
ウインカーが右に下がる。一時停止し、対向車がいないことを確認すると、それは三車線の大通りへと合流した。
二つ先の交差点で赤信号に変わり、ブレーキランプが点った。
「瑠璃と……黒木係長が、なんで……」
奈良は、瑠璃から別れ話を切り出されたときのことを思い出した。
「私、建の他に好きな人ができたの」
あれは瑠璃のその場しのぎの嘘だろうと思っていた。
「好きな人ができた」と言えば奈良が引き止めるのではないかという、瑠璃の芝居だと高をくくっていた。
それは、あまりにも愚かな思い込みだった。
(俺……振られたのか)
奈良は、黒木が運転する車に乗った瑠璃の笑顔に呆然としながら、そのテールランプを見送った。
夕日はとうに日本海に落ち、辺りには暗闇が広がっていた。
車の助手席のドアを開けた黒木は、会社では見たことのないほど優しく、とろけるような目尻で微笑んだ。
瑠璃の心臓が跳ね上がった。
(ギャップ萌えってこういうことか……なるほど)
「か、係長、遅れてごめんなさい」
「いや、私も今来たところだから気にしないでいいよ」
「あ、はい」
鮮やかなオレンジから群青へ自然にグラデーションを描く夕暮れ。
高くそびえる石川県庁の黒いシルエット、右端にはひときわ明るく瞬く一番星が見えた。
(何これ、素敵な状況すぎるんですけど……)
運転席側をそっと窺うと、対向車の白いヘッドライトに照らされる黒木の横顔が浮かび上がる。
「この幸せ者!」と寿が鼻息荒く語っていた通り、確かに格好良かった。
(鼻、高いのね……)
あの鼻先が頰に触れたのだと、先週月曜の夜の口付けを思い出した瞬間、瑠璃は頰を赤らめ、手足を思わずバタバタさせてしまった。すると、それまで無言だった黒木が口を開いた。
「なに、視線も痛いし、その動きはなに?」
「え、いえ……」
「満島さん、やっぱり面白いね」
「やっぱり?」
「いつも村瀬さんとバタバタしてるから」
「え、見ていらしたんですか!?」
「それはそうだよ。二年間、ずっと見てました」
「え、あ、ちょ……」
(これって、大人の余裕ってやつーーー!?)
次の瞬間、黒木の車はキュッとタイヤの音を立てて急ブレーキを掛けた。
黄色信号で停まった車に、助手席の瑠璃の上半身が激しく前後に揺れ、ヘッドレストに軽く打ち付けられた。
青いリボンがへしゃげたのが分かった。
「あ、ごめん。考え事してた」
「だ、大丈夫です」
「満島さん」
「はい」
「満島さんが今ここにいるってことは、付き合ってくれるってことで合ってる?」
「あ……」
「そう思って間違いない?」
「は、はい」
「本当に!?」
「はい」
「マジかーーーーーーーーー!!」
(ま、マジか!?)
そのテンションの高さに、瑠璃は黒木の横顔を思わず二度見した。
(マジかとは……係長でもそんな言葉をお使いになるんですね。意外、意外すぎる。これもギャップ萌えってやつ……)
カチカチカチカチ。
黒いクラウンはウィンカーを左に上げ、路肩に寄るとハザードランプを点滅させて停車した。
瑠璃が何かと思い黒木の方を向き直ると、真剣な眼差しが身体を貫いた。
「満島さん」
「は、はい」
「大事にするから」
「はい?」
「満島さんのこと、大事にする。約束する」
「あ、ありがとうございます」
走行車線を過ぎていく何台もの車のテールランプが、二人の顔を照らした。
そのまま顔が近づき、軽く口付ける。
瑠璃がそれを受け入れたことを確認した黒木は、眼鏡をダッシュボードに置き、大きく被さるようにもう一度唇を重ねた。
「ん……」
瑠璃が切なげにくぐもった声をもらす。
黒木はそれをもう少しだけ深く味わいたかったが、それは時期尚早だと判断し、名残惜しそうに身体を離した。
「こちらこそありがとう」
「はい」
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
ウインカーが右に下がり、車は走行車線へと合流した。瑠璃は、色々な意味でハイスペックな35歳独身男性・黒木洋平と、恋に落ちた。
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