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プロローグ「鳥居のむこう」
森の中は、静かすぎて耳が痛かった。
ナギはひとり、下を向いて歩いていた。
緩いくせ毛の髪が頬にかかり、ミント色のTシャツの袖を無意識に握っている。
ふくらはぎまでのチェック柄のハーフパンツは、湿った葉っぱの匂いを少し吸っていた。
スマホは7月1日を指していた。
「……さっき、こっちから来た気がするんだけど」
でも、道はなかった。
背中に感じるのは、ただの“もう戻れない”という空気だった。
風が吹いていないのに、木々がきしんだ。
その音にまぎれて、遠くからセミの鳴き声が聞こえる。
でも──それは、まるで誰かが録音したみたいに、同じ音ばかりが繰り返されていた。
そして目の前に、いつのまにかそれはあった。
木の鳥居。
赤いはずの色が、まるで日に焼けて失われたような、ぬれた灰色に沈んでいる。
ナギは一歩、近づく。
手帳と鉛筆を握った指先がじっとりと汗ばんでいた。
呼吸をひとつ、おとす。
何かを確かめるように、そっとつぶやいた。
「……これは夢かな」
鳥居の向こうは、淡い光で包まれていた。
光は柔らかく、けれどそこには“外”の明るさがなかった。
草はしずかに揺れ、空気はほんのり冷たい。
色も、音も、においも──全部、どこか知っているのに、思い出せない。
ナギは、一歩、くぐった。
その瞬間、音が消えた。
セミの声も、風の葉音も、自分の足音すらも。
ただ、ずっと向こうから誰かが言った。
「やっと来てくれたんだね」
振り返っても、もう鳥居はなかった。