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「面接を受けにうちの会社に来たときだった」
わたしがハーブティを飲んだのを待って、課長は口を開いた。
「おれは二社受けて二社とも落ちた。うちが三社目だ。結構手応えあったのにな。就活んときの面接だと、駄目なところは面接中でもすぐに分かるのに、中途採用だと面接官は態度に出さないんだ。難しいと思った。
おれは、焦ってた。
あのまま受けてたら落ちてたかもしれない。
たぶんそう思われてないだろうから言っとくと。緊張するとおれ震えるんだ。手汗やべーなーと思いつつ、二階の受付の近くまで来た。
角を右に曲がったところで女性社員が廊下を歩いてた。彼女は、おれが後ろに来ると気配に気づいたのか左に避ける。
と思えば、まさにおれが中途採用の面接を受ける会社に入った。
振り返った彼女はおれの存在に気づくとドアを押さえててくれ――
おれが礼を言うと、「ああ」と彼女はなにか納得したような声をあげて、こう言ったんだ。
面接にお越しの三田(みた)遼一(りょういち)さんですね。お待ちしておりました。ご案内します。
「あ」とわたしは声を出した。わたしの反応を見て、課長は笑みをよこす。「彼女は見るからに受付嬢じゃないのに、てかうちの会社受付置いてないもんな、電話置いてあるだけで。なのに彼女は、おれをひと目見ただけでおれが面接に来た三田遼一だと見抜いた。
うちの会社にはいろんな人間が出入りする。配送業者に取引先の社員に営業に押し売りに――
あとで気づいたがおそらく彼女はひとりひとりの人間の顔を覚えているということだ。
彼女は、ホテルの従業員のようにスムーズにおれを第二会議室まで案内した。
毎日何十人と訪れるやつの名前も覚えていて面接の場所も覚えていると来た。内心でおれは舌を巻いたよ。
第二の前まで来ると彼女は儀礼的な礼をし、それでは失礼しますと言った。
それで終わると思いきや。
いきなりな、振り返って、
拳をこんな感じでぐっと握って顔の高さまで持ち上げてな、笑顔で、
頑張ってください!
……なんて言うんだ。
社会の荒波に揉まれると人間は変わる。カネやモノばっか相手してると本当に相手すべきなのが『人間』てことを忘れちまうっつうか――目の前の人間に対する謙虚さと素直さを失う瞬間があるんだ。ある意味、汚れて、すれちまう。しかしそのときの彼女の笑顔は、
とても、純粋で。
疑いを知らない――ああ、こんなふうに笑う社会人っているんだって妙に感動したよ。見ず知らずの相手にな、頑張って! ってエール送れるか普通。見た感じせいぜい入社二三年の社員なのに、そういうピュアな部分を失わずに来れたってところに、じーんと来た」
……入社して半年くらいの頃だったと思う、おそらく。あんまり記憶にないが。
「そのときの彼女の笑顔が印象的で、もう一度見たいと思った。
念願かなっておれはいまの会社に入社を果たした。
おれは神を信じないがもしいるとしたら神に感謝するよ。なんとその彼女が、同じ部署と来た。いやっほう! って叫びそうになったよ……」くつくつと課長は笑う。
ところが一転。その笑みを消し、
「しかし、彼女は。
もう、あの笑顔を見せてくれることは、なかった」
わたしには心当たりがある。ちょうど、入社半年経ったころに……
記憶を振り払うように首を振り、わたしは課長の話に意識を集中する。
「彼女は……一見するとにこやかに仕事をしているように見える。でも、例えば同じ会社に親しい人間を持たない。まあそれは別にいいんだけど飲み会のときとかで様子見てみっと、虚脱した表情見せるときがあるんだよな。疲れてるってか『演技』することに疲れてる感じ。話しかけられればぱっと表情変えんだけど。
ちなみに寿司屋でも言ったけどおれが距離開いてんのは意図的だ。おれはひとを使う役職につくためにこの会社に入社した。勿論、課長の次は部長の座を狙っているから――うえに立つ者って嫌われてなんぼなところがあるだろ。だれか厳しい人間いねえと場が引き締まらねえ。うちの部署、とくにみんな仲いいからなーなーになりかねん。
話を戻すと彼女の場合、事情が違うだろうってことが、段々掴めてきた。
どうやら彼女は会社の人間にこころを開いていない。おれより一緒に長く勤めてるやつらで駄目ならばおれが同僚の立場として近づいてもたぶん、無理だろう。ならば。
例えばおれが彼女の上司になって、仕事を通じて彼女を支えていくってのはどうだろう」
わたしは、はっとして課長を見る。課長は歯を見せて笑い、「と、思ったんだ」と断言した。
「まあ出世欲はあったけどよこしまなこころがあったのも事実。仕事してる時間て長いだろ。だからそれを通じておれを知ってもらって、彼女がなんか変わった原因探り当てて、近づこうと思ったの。
三年、待ったよ。気が遠くなるくらい、長い時間だった。……ほかのやつにとられるんじゃねえかと気が気じゃなかった。でも男の影ちらついてねえから焦るな、と自分を叱咤激励し続けた。
おれは彼女の直属の上司になった。といってもおれはおれのキャラ崩すわけにいかねえから。でも前よりか彼女と話す機会が増え、彼女の人となりを知れ――
あとは、彼女と二人きりになれるチャンスを窺った。ひとりで残業している昨日が、チャンスだと思った。
『忘れもの』なんてのは勿論嘘だ。
……きみを誘ったとき、おれ、心臓ばくばくだったよ。寿司屋入っても夢みたいだった。
夢みたいだと思ってたら彼女、カウンターに突っ伏して、寝息立てだして……。彼女のほうが夢んなかいっちまった。その寝顔が、
あんまりにも、無防備でさ。
参ったよ。
普段子猫みたく警戒した顔してるじゃん。それどうにかしたいと思ってるわけよ。会社ではいいけど。おれのまえではそうしないで欲しいと思ってて――
だから、さっき、桐島怒ったじゃん。おれ逆に、
……嬉しかったよ」
「課長……」
「以上がおれの話。じゃあきみの番」
「えっと……」わたしは視線を逸らす。ハーブティ、きっと冷めてしまっているだろう。
「きみになにがあったのか話したくなければ話さなくてもいい。でも、もし。
ひとりで苦しんでいるんだったら、おれが力になりたい。
殺人と法に触れること以外ならおれはきみのためになんだってできる。明日月に行きたいっつわれても、なんとかしてみせるよ」
膝を掴む手に力が入る。お気に入りのプリーツ。クラシカルなデザインが気に入って二万近くはたいた服。
気を、許しても、いいのだろうか……。
「桐島。おれ……」課長のかすれた声。彼はわたしと目が合うと自嘲的に笑う。「この際、嘘はなしだな」と。
「はっきり言う。
きみがおれを利用してくれても、構わないとすら思っている。
もうおれは……待てない。
きみの、こころが、欲しい」
再び、視線をあげる。と課長は、「欲を言えば、身体もね。ごめん、男だから……」と苦笑混じりに言い足す。
素直なひとだと、思った。
わたしは本当の恋を知らない。けども、もし本気の恋をしたら、身体もこころも欲しくなるに決まっている。それが大人というものだ。課長は、ひとが見て見ぬふりを貫こうとすることに対して、断固として立ち向かうひとだ。わたしは仕事を通じて、彼が彼なりの正義を有することを知った。
とっつきにくいけど、かっこいい。ひととしての生き様が。
課長こそ、嘘のないひとだ。己の欲を明かす率直さにこそ、わたしは、彼の真剣さを感じとったのだった……。
膝頭を掴む手にちからを込める。
課長の誠実さに対し、
わたしも勇気を持って応えるべきだと思った。
「課長、わたし……」
うん、とその目が続きを促す。子を見守る父親のように穏やかな眼差し。
わたしはその視線に守られながら、
「……『寂しい』けど、
『怖い』んです」
真実の扉を開いた。
*