テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
第147話:バーチャル進化の感動〜量産型フリー素材から、完璧なる魔王(Ver2.0)へ〜
「ハァ……ッ、ハァ……ッ!」
港区の巨大なスタジオ。
数十台の赤外線カメラに囲まれたフロアの中央で、俺は肩で息をしていた。
神崎Pの無茶振りによる『連続サイドステップからのジャンプ』という、四十歳の腰椎と膝軟骨を完全に破壊しにくる極悪なキャリブレーションテストが、ようやく終わったのだ。
もともと体力がない上に、帯広のすきま風が吹くボロアパートで、生活保護を受けながら一日一食の特売の袋麺生活を続けていた四十歳のおっさんに、まともな筋力など残っているはずがない。
「ルシフェル様! お疲れ様です! トラッキングのデータ、バッチリ取れましたよ!」
コントロールルームから、神崎Pの弾んだ声がマイクを通して響き渡る。
俺は、ピチピチの全身タイツ(モキャプスーツ)の中で滝のような汗を流しながら、ふと、正面の巨大なモニターを見上げた。
そこには、荒い息を吐きながら、膝に手をついてうなだれている『超絶イケメンの魔王』がいた。
「……え?」
俺がゆっくりと上体を起こすと、モニターの中の魔王も、まるで鏡合わせのように、滑らかな動作でスッと立ち上がった。
俺が、おそるおそる右手を上げる。魔王が、右手を上げる。
その時、俺の微細な指先の震えに合わせて、魔王のシャープな指先が完璧にシンクロし、背中の漆黒のマントが重力と空気抵抗を完璧にシミュレートした物理演算によって、バサァッと美しく翻った。
マントの裾が描く美しい放物線。鎧の金属光沢がスタジオの仮想照明を反射し、キラリと輝く。
「す、すげえ……」
俺は、無意識のうちにスタジオのフロアを歩き出していた。
歩幅、体重移動、足の裏が床を叩く感覚。そのすべてが、遅延すら一切感じさせない完璧な精度で、画面の中のイケメンアバターへと変換されている。
「おおお……! 動く! 俺が……俺が、本当にこの世界で進化している……ッ!」
思えば、遠く、険しい道のりだった。
画面が割れたカクカクの格安スマホしか持っていなかった、生活保護受給者の限界おじさん。そんな底辺の環境から始まった俺の配信。
フリー素材の配布サイトで拾ってきた『量産型の銀髪オッドアイ青年』のイラストに、Live2Dという技術で無理やり呼吸をさせ、顔の傾きだけを連動させていた、帯広のボロアパートでの孤独な日々。
なぜかバズり、生活保護の収入申告に追われ、生保を抜けた後は税金の支払いとインボイス制度の恐怖に怯え、毎晩のように税金への怨嗟を叫び続けた。
時には大損し、時には海外のネットミームとして消費され、『スーパーボトム』などという不名誉な称号で呼ばれたこともあった。
(……ここまで、来たんだな)
250万円。
ズボラな新人・ヨモが稼ぎ出した海外のスーパーチャットと、俺がIRSと血みどろの翻訳バトルを繰り広げて守り抜いた、純利益の結晶。それをすべて注ぎ込んで手に入れた、この完璧な『Ver2.0の身体』。
「ルシフェル様! 素晴らしいトラッキング精度です! アリスちゃんと並んでも全く遜色ありません!」
神崎Pの言葉が、俺の胸の奥底にあった何かを決壊させた。
俺は、画面の中の進化を遂げた自分を見つめ続けた。
四十歳、独身。
黒い全身タイツを着て、港区のスタジオで一人でポーズを決めている、社会の底辺。客観的に見れば、とてつもなく滑稽で、痛々しいおっさんの姿だろう。
だが、俺の目から、不意に熱いものが込み上げてきた。
「あ……れ……?」
191
레몬인
201
そあち♡໒꒱
88
なんたろ
1
ピチピチのモキャプスーツの顔部分、ちょうど目の下あたりが、じわりと温かい水分で濡れていく。
止まらなかった。
市役所の面談ブースでケースワーカーの鈴木さんに詰められた時でも、コールセンターの理不尽なクレームでも、税務署の窓口で高額な納付書を叩きつけられた時でさえ、決して流さなかった涙が、今、ポロポロと溢れ出して、全身タイツの黒い布地に吸い込まれていく。
(俺は……本当の魔王になるんだ)
誰にも縛られない。税金にも、インボイスにも、日本の窮屈な社会にも縛られない。
この進化したバーチャルの肉体さえあれば、俺はどこへでも行ける。あの星乃宮アリスちゃんの隣で、堂々と胸を張って、今度こそ完璧なステップを踏むことができるんだ。
「うっ……ぐすっ……。アリスちゃん……俺、やったよ……ッ」
俺は、モニターの前で顔を覆い、人知れず男泣きに泣いた。
四十歳のおっさんが、全身タイツの中でむせび泣くという、地獄のようなシュールな光景がスタジオに展開される。
『……ルシフェル様』
その時、耳に押し込んだイヤホン越しに、いつもの絶対零度の声が響いた。結愛だ。
『感動に水を差すようで大変恐縮ですが。先ほどから、モキャプスーツの頭部マーカー付近に、異常な湿度の変化を検知しています』
「……えっ?」
『神崎Pから事前に共有されたマニュアルによりますと、そのスーツの繊維には微細なセンサーが編み込まれており、極端な水分(涙や鼻水)が付着すると、基板がショートして【全額弁償】になる恐れがあるとのことです』
俺の肩が、ビクッと跳ねた。
『ちなみに、現在ルシフェル様が着用されているVer2.0対応の特注スーツ一式の価格は、およそ【一千万円】を超えます』
「いっ……いっせんまん!?」
俺の涙は、一瞬にしてサハラ砂漠のようにカラカラに干上がった。
『はい。もしスーツを破損させた場合、株式会社インフィニティ・ワンは即座に債務超過に陥り、ルシフェル様は明日からマグロ漁船、あるいは海外の治験ツアーに参加していただくことになります。泣くなら、安全な帯広の四畳半に帰ってからにしてください』
「す、すいませんでしたァァァァッ!!」
俺は慌てて顔を天井に向け、これ以上一滴の涙もタイツに染み込まないように、必死にまばたきを繰り返した。
バーチャル進化の、圧倒的な感動。
しかし、それを遥かに上回る『一千万円の賠償』という資本主義の圧倒的な恐怖が、底辺魔王の涙を強制的にシャットアウトさせたのであった。
コメント
1件
いやあ、もう冒頭から涙腺に来てしまいました……。量産型フリー素材から始まって、帯広の四畳半で孤独に配信してたおっさんが、ついに港区の本格スタジオでモーションキャプチャーですか。画面の中の魔王が自分と完璧にシンクロした瞬間の感動、めちゃくちゃ伝わってきました。「俺が……本当にこの世界で進化している……!」には一緒に胸が熱くなりましたね。 で、そこからの結愛の一千万円爆弾。感動を強制シャットアウトさせる資本主義の容赦なさ……この緩急がたまらないです(笑)。涙がサハラ砂漠のように乾くって表現、秀逸すぎます。進化の感動と現実の狭間で震える底辺魔王、めっちゃ好きです。