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それから家に戻り、私は傷の手当てをした。隣の部屋には父がいるはずだが、気配がなかった。わざと消しているのだ。父は私がこれから鬼の元へ行き、逃走を促すことを、きっと知っている。そして私を試しているのだ。影として生きるのか、ただの子どもとして生きるのか。私は影として生きる。だが今は、半人前だからと、自分に言い訳をしていた。都合の良いことだ。鬼を逃すためにここまで自分が執着することを意外に思う。すると突然、父が声を発する。
「鬼に絆かされるとはなんと情けない。お前は優秀だと、俺の勘違いであったか」
空気が一気な重くなる。父はそんな言葉を私に刺してきた。
「まあ好きにするといい。お前のおかげで、これでようやく鬼の首を狩れるというのだから」
私は黙って、家を出た。
昼間の森は夜と違い、私を歓迎するようにキラキラと輝いて見える。朝露の匂いを残しつつ、木々たちはゆらゆらと揺れていた。
まるであの鬼のように。
そうだ、彼はこの森に似ている。この木々たちに似ている。私は昨夜の記憶を辿り、彼の言う家とやらに近づいていく。しかしとても複雑な道だ。夜と昼間の違いさえあるものの、こうも複雑では着けるものも着けない。そう、私は今絶賛迷子であった。
「おかしい。あの石はなかったはずだ」
思わず眉間に皺がよる。おかしい。あの滝のような小さな落ちる川など、なかったはずだ。ため息をつく。ここまで無力だと、自然に抗えないと、少しだけ泣きたくなる。ほんの少しだけだ。ザアザアと落ちる水を眺める。岩には跳ねた水が跡を作り、色濃く泣いていた。岩に腰掛ける。もう時間がない。日は確かに傾いていた。早くあの鬼に会わなければ、父がこの森へやってきて、必ず、首を狩ることだろう。
「早くしなければ」
私は岩から腰を上げ、さらに森の奥へと足を進めた。あの鬼はいま何をしているだろうか。たった一人で、この森でたった一人なのだ。不老不死というのが正しいのなら、一体いつからこの森は住み着き、一人で生きていたのだろうか。それは果てしない時間だろうか。私には、耐えられるだろうか。
水の音が薄れた頃、木々を抜けて高い崖へと出た。いつの間にここまで森を登ったのだろう。夕陽に近い光を浴びて、思わず目を細めた。崖下には悠々と生えている緑の絨毯が広がっていた。帰るにも、帰れない。あの家には影である父がいるのだ。私はまるでこの世界に取り残されたように、この世界で迷子になったように、感じてしまった。鬼もこのような気持ちでいるのだろうか。
「どうしたんだい?」
ふと声が後ろから聞こえた。聞いたことのある声だった。澄んだ声。まるで静かに流れる川のような。そして少しの動揺を含んでいた。
鬼だ。
「君は確か。どうしてこんなところに」
私は振り向かない。この顔を見せるには、私の何かが許さなかった。拳に力がこもっているのを私は気づいていない。
「お前を探していた」
「私を?」
「今夜、お前の首を狩りに村の男どもがここへ来る。逃げろ。必ず、お前は首を狩られる」
私は力を込めてそう告げた。影が来るぞ。お前は一度死ぬのだ。しかし鬼は、
「ああ、そうか。教えてくれてありがとう。もう暗くなるから、帰りなさい。麓まで送るよ」
何事もなくそう言った。何故だ、何故、お前はそうも平然といられるのだ。不老不死だからか。しかしお前は、痛みを感じるのだろう。そう言ったではないか。お前の腹にクナイを刺した時、確かにそれは鬼でなく、人間の腹と違わなかった。人間の温かみと何も違わなかった。
「どうして!逃げろと言っている!」
私は叫んだ。伝われ。そう一心に思う。
「どうしてって」
鬼は続けた。
「なんとなく、予想はついたいたからだよ。昔から、鬼と人間は相容れない関係だから、仕方がないのだよ」
歯を食いしばる私と対照に、平然とそう言う鬼に、私は腹が立っていく。
「死なないからか。不老不死だからか。そんなの関係ないだろう!お前の血は温かい。人間と変わらない。ならお前は逃げるべきだ。痛みを感じるのなら、この森から去るべきだ!」
私は勢いよく振り向く。今日初めて鬼の顔を見た。しかしやはり、布を通しての顔だが。夕陽が彼を照らし、輝いていた。
「父がここへ来る!あの人はお前を狩ることを仕事として、長い間村へ身を置いていたのだ。わかるか、あの人はお前を必ず殺すことを、理解しろ、受け入れろ、そして慄け!早くしないと、夜が来る!」
私は叫ぶ。夜が来る。それは濃い影がこの森を覆うことを意味していた。
「私は」
鬼は静かに言った。
「私は逃げないよ」
真っ直ぐと私を見つめて。