テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
191
레몬인
201
そあち♡໒꒱
88
なんたろ
1
第125話:次の地獄へ〜一次選考突破の歓喜と、印税という名の事業収益〜
「うおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!」
五月某日。帯広市内にある株式会社インフィニティ・ワンの自宅兼オフィス(201号室)に、四十歳のおっさんの鼓膜を突き破らんばかりの絶叫が響き渡った。
俺――秋谷(あきや)は、八十万円のゲーミングPCのモニターを両手でバンバンと叩きながら、歓喜のあまり三万円のゲーミングチェアから飛び上がった。
「通った! 通ったぞォォォ!!」
「……秋谷社長。鼓膜が破れます。近所迷惑ですので少しボリュームを落としてください。警察に通報されますよ」
モニター越しで、いつも通りインカムをつけてキーボードを叩いていた結愛(ゆあ)が、冷ややかな視線をこちらに向けた。
だが、今の俺にその絶対零度の視線は全く効かない。俺の心は今、燃え盛るマグマのように熱く、激しく滾っていたのだ。
「結愛! 見ろ! これを見ろォ!!」
俺はデュアルモニターの片方の画面を、力強く指差した。
そこに表示されているのは、国内最大級のライトノベル新人賞の特設サイト。
そして、『第一回選考・通過作品発表』という見出しの下に並ぶ膨大なリストの中に、俺が血と汗と胃薬を削って書き上げた十万字のタイトルの横に、確かに『秋谷雪』というペンネームが燦然と輝いていたのだ。
「一次選考、突破したぞ!! 何千、いや何万とある応募作品の中から、俺の書いた『ざまぁ』小説が次のステージに進んだんだ!!」
「……ほう」
結愛は手を止め、モニターに映るその文字をジッと見つめた。
「あの、毎晩配信を終えたあとに目の下にクマを作って、キーボードにヨダレを垂らしながら書いていたあの小説が、ですか」
「言い方にトゲがあるがその通りだ! 俺は認められたんだよ! 40歳の、元ナマポでなんの取り柄もなかったおっさんの魂の叫びが、プロの編集者の目に留まったんだ!!」
俺はガッツポーズを決め、部屋の中を無駄にウロウロと歩き回った。
嬉しかった。本当に、狂いそうなくらい嬉しかった。
VTuberとしてバズったのは、アリスというトップアイドルのおかげだったり、税金にビビって喚き散らしたのがウケたりと、どこか「運」と「勢い」の要素が強かった。
だが、小説は違う。
誰の力も借りず、たった一人で四畳半(今はオフィスだが)に引きこもり、一文字一文字、自分の頭の中からひねり出した完全な『俺の実力』だ。
それが評価されたという事実は、俺のすり減った自尊心をこれ以上ないほどに満たしてくれた。
「へへっ……! これでもし大賞なんか獲っちまったらどうするよ!? 賞金は三百万だぞ! しかも書籍化して、印税がガッポリ入ってくる! そしたら俺、夢だった高級外車とか買っちゃうかもな! いや、まずはこの万年腰痛を癒やすために、超高級なベッドでも――」
俺が口元をだらしなく緩ませ、資本主義の甘い夢(印税生活)に浸りきっていた、まさにその時だった。
「……おめでとうございます、秋谷社長。素晴らしい成果ですね」
結愛が、珍しく労いの言葉を口にした。
だが、その直後。画面越しに見える彼女の銀縁メガネの奥の瞳が、獲物を狙う鷹のように鋭く光ったのを、俺は見逃さなかった。
「……えっ?」
「一つ、社長の夢を壊すようですが、重要な事実をお伝えしておきます」
結愛は、手元のマイ電卓を引き寄せ、タンターンッ!と小気味よい音を立てて『=(イコール)』キーを叩いた。
「もしその小説が受賞し、賞金や『印税』が発生した場合。そのお金は、一円残らず全額、株式会社インフィニティ・ワンの『事業収益(雑収入および売上)』として法人口座に組み込まれます」
「…………は?」
俺の笑顔が、顔面でピキッと凍りついた。
「な、なんだって?」
「ですから。あなたは『秋谷雪』、すなわち株式会社インフィニティ・ワンの代表取締役としての名義で応募しましたよね。さらにこの小説は、VTuberとしての配信企画から派生した『法人格としての事業活動』の一環です。よって、そこから発生する利益はすべて会社のものです」
「ま、待て待て待て!! なんでだよ! 俺が! 俺の睡眠時間を削って! 俺の脳ミソで書いた俺の小説だぞ! なんで会社の金になるんだよ!!」
「インフィニティ・ワンの代表取締役であるあなたの業務成果だからです。当たり前でしょう」
結愛は、氷のように冷たい声で、日本の法人税制の残酷な真実を突きつけてきた。
「いいですか、秋谷社長。法人の売上が一億円になろうと、あなたの個人的な取り分は、期首に設定した『役員報酬(月給)』の額から一円も増えません。もし会社の口座から勝手に賞金や印税を引き出して高級外車やベッドを買えば、それは『業務上横領』となり、税務調査で一発アウト。最悪、逮捕です」
「た、逮捕ォォォォ!?」
「会社の利益が増えれば、その分『法人税』として数十パーセントが国に持っていかれます。社長個人の手元には、いつも通りの固定給が振り込まれるだけです。……ご理解いただけましたか?」
俺の脳内で、先ほどまで乱舞していた三百万の賞金と印税の札束が、巨大なシュレッダー(法人税)に吸い込まれ、粉微塵になっていく幻覚が見えた。
「うそ、だろ……」
俺はフラフラと後ずさりをした。
「稼いでも、稼いでも……俺の自由になる金は増えないのか……? 印税でウハウハの印税生活は……タワマンは、高級車は……全部、幻だったってのか……っ!」
「それが『法人成り』というものです。個人の税金が安くなる代わりに、会社のお金を自由に使えなくなる。あなた自身が望んで選んだ道でしょう?」
容赦のない正論のストレートパンチ。
俺は、あまりの絶望とショックに、体が硬直した。
その瞬間。
『ピキッ』
「――あ」
四十年間、重労働とデスクワークで酷使し続けてきた俺の腰から、聞いたことのない、そして絶対に鳴ってはいけない、乾いた破裂音が響いた。
「ぎ、ぎゃあああああああああああああああっ!!?」
俺は叫び声を上げ、その場にカエルのように崩れ落ちた。
「い、痛えええええええ!! 痛い痛い痛い!! 腰が! 俺の腰のボルトが外れたァァァァ!!」
「秋谷社長!?」
さすがの結愛も、俺が突然床でのたうち回り始めたのを見て、画面の向こうで少しだけ慌てたように身を乗り出した。
「な、なんてこった……印税が全部没収されるショックで……ぎっくり腰になりやがった……っ! 神様、あんまりじゃねえか……っ!! 一次通過の祝いが、横領の危機とぎっくり腰って、どういうバグだよォォォ!!」
床の畳を掻き毟りながら、俺は血の涙を流した。
「……本当に、世話の焼ける人ですね」
結愛は画面の向こうでため息をつきながら、冷たく言い放った。
「自業自得です。手の届くところに救急箱があるはずですから、這ってでも自分で湿布を貼ってください」
「いっ、ひぃぃっ! 冷たい! お前の言葉、湿布より冷たい!!」
「黙って安静にしていてください。……それと、社長が床で転がっている間に、今後の会社の『経営戦略』についてお話ししておきます」
「け、経営戦略……?」
俺が痛みに顔を歪めながら見上げると、結愛は冷徹なビジネスウーマンの顔に戻り、モニター越しに俺を見下ろした。
「先ほども言った通り、小説が受賞して莫大な印税が入ってきた場合、そのままにしておけば莫大な法人税を持っていかれます。それを防ぐためには、会社として大きな『経費(投資)』を使う必要があります」
「投資……つまり、節税か?」
「ええ。ジェミニともシミュレーションを行いましたが、現在のインフィニティ・ワンの収益ペースを考えると、もはや国内の動画配信だけでは利益が圧縮しきれません。……そこで、二つの選択肢を用意しました」
結愛は、二本の指をスッと立てた。
「一つ。VTuber事業の『海外進出』。英語圏、またはアジア圏に向けて、新たなタレントを雇用し、グローバルな市場へと打って出る」
「か、海外……!? 俺、英語なんて『ディス・イズ・ア・ペン』しか分からねえぞ!?」
「二つ」
結愛は俺の悲鳴を無視して続けた。
「帯広市内に、リスナーやVTuberが集まれる『リアル店舗(コンセプトカフェ等)』を経営する。あなたの異名である『駆け込み寺』を、本当に物理的な店舗としてオープンさせ、実業へと多角化する」
「り、リアル店舗……!? 飲食の経営なんて、素人が手を出したら一瞬で自己破産する魔境だろ!?」
海外進出か、リアル店舗経営か。
どちらに転んでも、四十歳の元ニートが抱えきれるような規模の話ではない。
「さあ、秋谷社長。どちらを選びますか? どちらを選んでも、数千万単位のお金が動く、文字通りの『次の地獄』ですが」
結愛の銀縁メガネが、キラリと妖しく光った。
床に這いつくばったまま、俺は完全に理解した。
俺の人生は、もう後戻りできないところまで来てしまったのだ。
底辺から這い上がり、税金を納め、会社を作り、小説の一次選考を突破し、ついに一二五話という節目を迎えた俺を待っていたのは。
「……あぁ、もう分かったよ! どっちにしろ地獄なら、とことんまで付き合ってやらぁ!!」
腰の激痛に耐えながら、俺は帯広の空(天井)に向かって吠えた。
インフィニティ・ワンの飛翔は止まらない。
資本主義という名の終わりのないデスゲームは、俺を乗せたまま、さらにスケールを増して加速していくのだった。
コメント
1件
読了しました🥀 一次選考突破おめでとうございます!!って心から祝福したいのに…結愛さんの法廷闘争(?)で印税が全部会社の収益になるって宣告されてからの、ぎっくり腰のコンボが笑いと切なさのダブルパンチすぎました😂💦 資本主義の現実をこんな痛快に描けるの、さすがです。次への地獄、待ってます🌙