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翌日、日曜日。
藍さんのマンションの敷地内にある小さな緑地に、私は降りてきた。
芝生と小さな遊具とベンチがあって、住人らしい親子ずれが遊んでいる。
藍さんとお母さんのおかげで、体調もかなり回復し食事もとれるようになった。
落ちてしまった体重のせいで体力はまだまだだけれど、こうやって外の空気を吸いに出れるようにもなった。
ヨイショッ。
近くのベンチを見つけて腰を下ろす。
明日の月曜には病院の予約があって、経過が悪ければ入院になる。
結構食べれるようになっているから入院ってことはないと思うけれど、九州までの移動の許可は出ないかもしれない。
そうなったら、私はどうすればいいんだろう。
「ホテルを借りるって言えば、藍さんに反対されるわよね。でもアパートは解約してしまったし、他に頼れる友人もいないし・・・いっそ黙って逃げ出そうかしら。ダメダメそれはできない。ここまでお世話になった人を裏切るなんて、人として最低。この子のためにもどこかに隠れないといけないのに」
ブツブツと独り言をつぶやきながら、お腹をさすった。
「あのー」
「えっ」
いきなり後ろから声をかけられ、ビクンと体が反応した。
「突然すみません」
もう一度声がかかり私も振り返る。
「あ、あなたは」
そこにいたのは見覚えのある顔だった。
「覚えていてくださいました?」
にっこりと笑う女性。
「はい。パーティーでお目にかかりました」
そうだ、この人は平石家の関係者。
マズイ。
直感的にそう感じた。
「お隣いいかしら?」
私が頭の中で色々思いを巡らせているうちに女性は隣に座ってしまった。
***
「ごめんなさいね、聞こえちゃった」
「はあ」
やっぱり。
聞こえてたからこそ声をかけられたんだろうと思う。
問題はどこまで聞こえていたかと、この人の素性。
「よかったら私に手助けさせてもらえないかしら」
「それは・・・」
「そうよね、いきなり言われても困るわよね。私、こういうものです」
そう言って一枚の名刺を差し出された。
『NPO法人ウーマンネット代表平石琴子』
NPO法人?
ボランティア団体ってことかなあ。
「女性向けのシェルターを運営しているのよ」
「シェルター?」
「行き場のない女性の隠れ家みたいな場所ね」
「隠れ家ですか?」
「そう。DVや貧困など事情は様々だけれど、困っている女性を一時的に保護する場所を提供しているの」
だから、私に声をかけてくれたんだ。
なんとなく納得できた。
でも、
「琴子さんは平石家の方なんですよね?」
どうしてもそのことが気になった。
「そうね。お嫁に来て、平石を名乗るようになったわ」
平石家のお嫁さん。
きっと、平石家にはたくさんの分家があってお嫁さんだって何人もいるんだろうけれど、少しでも奏多にかかわりがある人だと思うとつい警戒してしまう。
今はまだ、奏多に知られたくないから。
***
「大丈夫よ、仕事柄個人情報を漏らすようなことはしないから」
私の不安が分かってしまったらしく、琴子さんの方から切り出してくれた。
でもなあ・・・
「アパートを解約して、行くところがないんでしょ?」
「それはそうですが」
だからって見づ知らずの方に迷惑はかけられない。
「頼るお友達もいなくて、逃げ出そうとしているんでしょ?」
「それは・・・」
これ以上藍さんの家にお世話になる訳にもいかないけれど・・・
「妊娠、しているのよね?」
「・・・ええ」
やっぱり全部聞かれていた。
だから、こんな提案をしてくれたんだ。
「難しく考えることはないわ。一週間でも、十日でも、一ヶ月でも、あなたが落ち着くまでいればいいの。そのために私たちは活動しているんだから」
「でも・・・」
私はDV被害者でも、生活困窮者でもない。
ただ自分の身勝手で行き場を失っただけ。自業自得でしかないのに。
「私たちはどんな小さな命でも、同じように生きる権利があると思って活動しているの。あなたを守りたいって言う前に、おなかの赤ちゃんを守ってあげたいのよ」
なるほど。そういわれれば、琴子さんが必死に誘ってくださるのも理解できる。
「来てくれるわね」
コクン。
私はうなずいて、お世話になることを決めた。
***
その後の琴子さんの行動は素早かった。
電話を何本かする間に私の行き先の手配をして、マンションにいた藍さんのお母さんに事情を説明して明日の受診後に病院へ迎えに来る段取りをつけていた。
「芽衣さんのことは私どもで間違いなく保護しますので、ご心配なさらないでください」
穏やかな笑顔で言う琴子さんに、お母さんも反対することはない。
「芽衣ちゃんはそれでいいの?」
ただ一人藍さんだけは、本当にいいのかと聞いてきた。
きっと、奏多に話すべきだと思っているんだろう。
「彼には時期が来たら話します。今は自分の生活環境を整えるのが先だと思うので」
「でも、」
やはり藍さんは納得できないみたいで、何か言いかけて言葉を止めた。
「今の芽衣さんには考える時間が必要なのよ、きっと」
藍さんの肩にそっと手を置いた琴子さんが言ってくれる。
「ごめんなさい、藍さん」
私のことを心配していってくれているのに。
「いいのよ。芽衣ちゃんがそれでいいなら、もう何も言わない」
「・・・すみません」
心配してくれる藍さんやお母さんのためにも、こんなに良くしてくださる琴子さんのためにも、しっかりしよう。
まだ出てもいないお腹に手を当てながら、どんなことをしてもこの子を守っていくんだと決心していた。