テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
ガチャリ、と再び楽屋のドアが開いた。そこに立っていたのは、先ほどとは打って変わって、決意を固めたような顔つきの佐久間だった。彼はまっすぐに部屋に入ってくると、混乱している阿部の前に、再び立った。
「ねぇ阿部ちゃん…お願い、ちゃんと話がしたい」
その真剣な瞳。
阿部は、(罠にかかった…!)と、内心でほくそ笑んだ。
諦めて帰ったフリをして、やはり納得できずに戻ってきた。全ては、シミュレーション通りだ。
阿部は、今度こそ完璧な勝利を確信し、冷徹な研究者の仮面を再び被る。
そして、この勝負に終止符を打つべく、用意していた最も残酷な言葉を、静かに、しかしはっきりと告げた。
「怒ってないよ。これも、実験だから」
「え…?」
佐久間の顔が、驚きと混乱に見開かれる。
阿部は、その反応に満足しながら、畳み掛けた。
「『僕が君への関心を失くした場合、君はどうなるか』。それが今回の実験テーマだ。そして、結果は今、君が示してくれた通り」
阿部は、佐久間を真っ直ぐに見据える。その視線は、もはや何の感情も含まない、ただの分析者のそれだ。
「君は、僕がいないとダメなんだ。僕の関心がないと、そんなに悲しい顔をする。僕が笑顔で隣にいるだけで、君は幸せなんだ。違う?」
(どうだ、佐久間。これはプレゼントでもデータでもない。君自身の行動と感情が、何よりの『証拠』だ。君が僕をどれだけ必要としているか、今、自分で証明してくれたじゃないか)
これは、最も効果的な攻撃。
阿部の心は、勝利の悦びに打ち震えていた。長かった戦いが、ようやく終わる。
「もう、『俺の勝ち』なんて言えないよね?だって、君は僕に、こんな顔をさせられているんだから」
阿部は、宣告するように言った。
「…これが、僕の最終回答。僕の、勝ちだ」
反論の余地など、あるはずがない。
阿部は、今度こそ、佐久間が崩れ落ち、「完敗」の言葉を口にするのを待った。
完璧だ。これ以上の勝利はない。
一方、その言葉を聞いていた佐久間の心の中は、阿部の想像とは全く違う感情で満たされていた。
(あはは!すごい!阿部ちゃん、すごいよ!)
まるで、自分が考えた最高の脚本を、主演俳優が完璧に演じきってくれたかのような、そんな感動と興奮が、彼の胸には渦巻いていた。
悲しい顔?傷ついた顔?
違う。それは全部、この瞬間のために、阿部を最高の気分にさせるための、最高の“フリ”だったのだ。
(僕がいないとダメ、か…。うん、そうだよ。でもね、阿部ちゃん)
佐久間は、心の中で、愛しい研究者に語りかける。
(この実験をしてる間、阿部ちゃんだって、ずっと俺のことだけを見てた。俺がどんな顔をするか、どんな反応をするか、四六時中、そればっかり考えてた。本当は、俺と話したくて、笑い合いたくて、たまらなかったくせに…)
そう。これは、佐久間が阿部を必要としている証明であると同時に、阿部が佐久間を必要としている、何よりの証明でもあったのだ。
佐久間は、ゆっくりと顔を上げた。
その表情を見た阿部は、息を飲む。
そこに浮かんでいたのは、敗北の表情ではなかった。
涙で潤んではいるが、その口元は、どうしようもなく嬉しそうに、楽しそうに、弧を描いていた。
そして、次の瞬間。
佐久間は「ぷっ」と吹き出した。堰を切ったように「あはははは!」と大声で笑い始めたのだ。涙を流しながら。
「な、なんで笑うの…!?」
完璧な勝利を確信していた阿部は、完全に混乱した。
佐久間は、涙を拭いもせず、最高の笑顔で、呆然と立ち尽くす阿部に、勢いよく抱きついた。
「だって…!阿部ちゃん、バカだねぇ!そんなの、当たり前じゃん!」
「え…?」
「俺が阿部ちゃんのこと大好きなんだから、無視されたら悲しいに決まってる!そんなの、実験しなくたって分かることじゃんか!」
佐久間は、阿部を抱きしめる腕に、ぎゅっと力を込める。
「でもさ?それって逆もそうでしょ?」
「…え?」
「この実験してる間は阿部ちゃんだって、俺がいないとダメだったんだよ」
図星だった。その言葉は、どんなデータよりも、阿部の心のど真ん中を撃ち抜いた。
佐久間は顔を上げ、ちゅ、と阿部の唇にキスをした。
「はい!まーた俺の勝ち〜!」
その言葉に阿部の全身から、ぷつりと力が抜けた。
勝つとか負けるとかそんなことは、もうどうでもよくなってしまった。
「…もう降参…笑、僕の完璧な完敗だよ…」
三度目の正直は、やっぱり敵わぬ相手への最高に幸せな降伏宣言になったのだった。