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#再会
#死に戻り
「遥、お前……どこ行ってたんだよ」
低く押し殺した声に、思わず立ち止まる。
背中越しに視線を感じた。振り返る気にもなれない。
「……別に」
それだけ答えると、すぐさま声が返ってきた。
「は? “別に”ってなんだよ」
「……」
「言えねえことしてたってことか? ――だったら、ちゃんと罰受けろよ」
そう言った彼の目は、まったく笑ってなかった。冗談のニュアンスも、優しさも、どこにもなかった。
「ほら。さっさと脱げよ」
その瞬間、背筋に冷たいものが這い上がる。
脅しでも冗談でもないことは、長く一緒にいた自分が一番よく知ってる。
「やだよ、今日は……」
かすれた声でそう言って、一歩だけ身を引いた――
その瞬間、腕を乱暴につかまれて、バランスを崩す。
気づいたときには、背中がベッドに叩きつけられていた。
「やめろって……!」
精一杯の声で叫ぶ。でも、彼はまるで聞いていなかった。
「うるさい。お前は黙って抱かれてりゃいいんだよ」
吐き捨てるような声に、背筋が凍る。
いつものことだとわかってるのに、心臓はまだ慣れてくれない。
逃げようとしても、手首をがっちりと押さえつけられて、身動きが取れない。
重くて、苦しくて、言葉が喉に詰まった。
「や、やめ……ろって……」
「ほら、こうすれば気持ちいいんだろ?」
「……やめろっつってんだろ……!」
なんか――目がヤバい。
冷たくて、どこか狂ってる。見てるこっちの方が息が詰まりそうになる。
「い、いやだってば……!」
かすれた声が震える。視界の端が滲んで、じわっと涙が浮かんだ。
でも彼は、そんなの見ても何ひとつ変わらない。聞く気なんか、最初からない。
叫び声と怒鳴り声がぶつかり合って、部屋の空気がどんどん濁っていく。
「……俺の言うこと聞かねえと、もっとひどい目見るぞ?」
低い声。無感情なようでいて、その奥に滲む何かが、ただただ怖い。
わかってる。いつもこうだ。
でも今回は特に、胸の奥がひやりと凍る。
動こうとしても、押さえつけられた身体はびくともしない。
ただ、ぎゅっと目を閉じて、耐えるしかなかった。
どっか遠くで、時計の針が進む音がした気がした。
時間なんて止まってしまえばいいのに。
そう思ったくせに、ちゃんと過ぎてるのが妙にリアルで、嫌だった。
天井をぼーっと見上げながら、俺はただ震えてた。
何にも考えたくなくて、考えられなくて。
心のどこかで、「早く終われ」って、そればっか願ってた。
……静かになったのは、少しあと。
怒鳴り声も、暴れる音も、もうしない。
代わりに残ったのは、重くて気まずくて、やけに静かな空気だけだった。
翌日も、同じことが繰り返された。
「……やめろっ、痛い……って!」
「なんで抵抗すんだよ?」
恋人の声は低くて、どこかヒステリックに震えていた。
その手が、俺の首にかかる。息が詰まりそうで、全身が固まった。
「お前が黙らねぇからだ。ちゃんと、俺のルール思い出せよ」
ぐっと首を締める力が増して、
視界がぼやけ、苦しさに思わず肩が跳ねた。
「ほら……顔見せろよ」
その顔が近づくたびに、心臓がバクバク鳴って、怖くて目を逸らした。
何かを壊そうとするみたいに、奥へ奥へと入り込んで、俺のすべてを無理やり引き裂いていく。
どれだけ時間が経ったのか、わからない。
苦しさも、痛みも、とうに通り過ぎて、感覚が薄れていく。
静まり返った部屋の中で、俺はただ、空っぽのまま横たわっていた。
何もできず、ただこの絶望に押し潰されそうになりながら――
抗う気力すら残っていない自分が、そこにいた。
翌朝。
ぐったり横たわる俺を一瞥することもなく、彼は無言で出かけていった。
ぼんやりとシャワーを浴びようとバスルームに向かい、何気なく鏡を覗いた瞬間、息が詰まる。
赤く腫れた痕、爪が食い込んだような引っかき傷。
胸元に散らばったその跡は、生々しすぎて、思わず目をそらした。
「っ、くそ……」
身体の節々が鈍く痛んで、だるさが骨にまで染みる。
肺の奥がギュッと締めつけられるみたいで、呼吸も苦しかった。
心のどこかが、じわじわと崩れていくのがわかる。
音もなく、でも確実に。
限界なんて、もうとっくに通り過ぎてたのかもしれない。
“俺だったら、大事な人にはそんな顔させないけどな。やっぱ、笑っててほしいし。”
なぜか、あいつの言葉が頭に浮かんだ。あのイケメン、カッコつけ野郎。
初対面であんなこと言えるなんて、マジで変わってる。だけど、妙にまっすぐで、ずるいくらい優しかった。
“なぁ遥。……またなんかあったらさ、ちゃんと言えよ。俺、力になるから。”
助けてほしいなんて、きっと言えない。
でも、もしもう一度だけ会えたら――
そのときは、俺の話、また聞いてくれんのかな……なんて。
俺の恋人は――クズだ。
そんなの、とっくにわかってた。見ないふりしてただけだ。
……やり直せるのかも、なんて。
ほんの一瞬、そんな期待が頭をよぎる。
でもすぐに、それを打ち消すみたいに口が動いた。
「――無いな」
その言葉が、自分で思った以上に冷たくて、やっと実感が追いついた。
スーツケースに最低限の荷物を詰め、無言で部屋を出た。
手の中の合鍵が、妙に重たく感じる。
玄関の鍵を閉めると、「ガチャン」という音が小さく響いた。
その音を聞いた瞬間、胸の奥で何かが静かに、はっきりと終わった気がした。
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