「あの、沙良さんをどうするつもりですか?」
「沙良? この女のことか。おまえに害を与えていたんだから、消すに決まってるだろ」
「駄目です、沙良さんを消さないでくださいっ。悪いのは僕なんです!」
若い男は高橋の腰元に抱きつき、涙で頬を濡らした。
「どういうことだ?」
自分に暴力を振るっていた女のために泣くなんて、ただ事じゃない。そんな疑問のもと訊ねてみた。
「忙しい沙良さんの代わりに、違うコを指名しちゃったから、それで怒ってるだけなんです」
「おまえ、この女と付き合ってるのか?」
「いえ、それは……彼女はキャバ嬢でして――」
決まり悪い顔をした男に、高橋は意味深な笑みを見せた。
「なるほど。客とキャバ嬢の関係を超えていないのに、どうしてこんなに暴力を振るわれるんだ? 普段からされてるんだろ?」
「やっ、ここまで酷いものじゃないですけど」
(ドМな男が自分を痛めつけるご主人様がいなくなると焦って、涙を流していたということか。とんだ趣味だな)
「男のくせに情けない。もっと毅然とした態度をとったらどうだ」
放り出すように掴んでいた女を突き飛ばし、腰に巻きついている縄に触れて鞭に変えた。何度か鞭をしならせて、しっかりと狙いを定める。
「はっ!」
動く女の首を狙ったが、鞭の先端は頭を掠めていった。それでもはっきり見えていた女の姿が、煙になってスーッと消えていく。
「沙良さんが……」
「安心しろ、これは夢の中の出来事だ。現実世界ではちゃんと生きてる」
「貴方はいったい、なんなんですか?」
「俺は――うっ!」
若い男に振り返って、夢の番人だと告げようとした矢先だった。
高橋の目の前にいる男が、グラグラ揺れはじめた。まるで荒れた船に乗っている感覚に陥り、頭を押さえながら崩れるように跪く。
(おいおい、このタイミングで活動限界になるってマジか。キャバ嬢に思いっきり暴力を振るわれてた、見るからに情けないこの男に頼らなきゃならないなんて、どう考えても最悪だ)
「大丈夫ですか?」
「おいおまえ、男と性行為をしたことがあるか?」
「は? そんなのあるわけないですよ」
「そうか……」
「……女性ともしたことがないです」
黙ったまま見上げる高橋の視線に恥ずかしくなったのか、若い男の頬が赤く染まっていく。
「あのですね僕、今年で30になるんですけど、このまま童貞だったら、魔法使いになれるかもしれないですよね。ハハッ」
(何を言い出すかと思ったら、やっぱりこの男は馬鹿だな――)
「それなら、俺の躰を使えばいい。魔法使いにならずに済むだろう」
男の言ったことに内心呆れながら、自分の躰を封印するように付けられている細かいボタンを、ひとつひとつ外していく。すると何もしていないのに腰に巻きついていた縄が解かれて、足元に落ちていった。
「貴方、何を言ってるんですか。男相手にそんなこと……」
「俺だって本当は嫌なんだ。こんなことをしたくはない。だがそうしないと、この躰が消えてなくなってしまう」
眉根を寄せて苦しげな表情を作りながら、若い男の説得をはじめた。
「消えてなくなってしまう?」
「そうだ。俺はある人の意を受けて、夢の番人として悪夢を無きものにしてる。しかも人間のように食べ物を口にしているわけじゃないから、こうして動けなくなる」
しゃがみ込んだことでふらつきは消えたが、喋ることもだんだん億劫になってきた。
「あの、夢の番人さま。貴方の欲しいものって――」
「人間の精。つまりおまえの精液を欲している」
「それってどうやって……まさか!」
「ああ、残念ながらそのまさかだ。しかもおまえだけじゃなく、俺もはじめてだったりする」
やっとボタンを外し終えて服を脱ぎだしたら、若い男がじりじり後退りをした。
「……そうか。俺を見殺しにする気なんだな」
下半身を隠すように上手いこと服を脱いで、首を横に傾けながら寂しげな笑みを口元に湛えた。長い髪の一筋が唇に引っかかったお蔭で、哀れな姿に拍車がかかってみえるだろう。
「だって、男同士でそんなこと……ありえないですって」
「気持ち悪いからやらない。そうやって逃げて、俺を殺すのか」
「ううっ!」
「目をつぶって身を任せろ。おまえは頭の中で、女とヤってる姿を思い浮かべればいい」
現実世界で男たちをたぶらかすために散々使ってきた誘い文句は、いくらでも頭の中に入っていた。自分が生きるために、目の前にいる若い男を、なんとしてでも落とさなければならない。
命を懸けた駆け引きに、高橋の胸がいつも以上に高鳴った。そんな興奮を感じさせないようにすべく、下半身を覆っている服を両手でぎゅっと握りしめてやり過ごす。
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