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《JAXA/ISAS 相模原キャンパス/プラネタリーディフェンス作戦室》
朝の更新は、
数字の変化より先に
部屋の空気を変えた。
「……中心ライン、
わずかに南へ。」
若手研究者が
画面を拡大する。
昨日まで「東北南部~関東北部」を貫いていた白い線が、
ほんの数十km、
ゆっくりと南へ寄った。
「誤差の範囲内とは言えます。」
「ただ、
セクター別の確率配分が
昨日よりも“関東寄り”に
再配分されました。」
白鳥レイナは
一瞬だけ目を閉じ、
すぐに開いた。
(わずか数十km。
人間の感覚なら
“隣の町”の差。)
(でも、
その差で
人生が丸ごと変わる。)
「官邸向けの表現は?」
若手が尋ねる。
レイナは、
迷いなく答えた。
「“東北南部~関東北部”は維持。」
「ただし、
“関東側へわずかに寄った可能性”を
注記として添える。」
「自治体向けには、
“関東北部の準備優先度を
一段上げる”と伝える。」
(これが
“地図を塗る仕事”の残酷さだ。)
(色は薄くなるんじゃない。
場所を移しながら濃くなる。)
《関東北部・小さな町のスーパー》
入口の貼り紙が増えていた。
『品薄商品につき、
お一人様一点まで』
ミネラルウォーター。
カセットコンロのボンベ。
乾電池。
棚は、
数日前より確実に薄い。
レジの女性店員が
同僚に囁く。
「昨日の総理の会見見た?」
「“中心ラインが関東寄り”って
専門家が言ったの、
ニュースで切り取られてた。」
同僚が苦笑する。
「もう、
“東日本”って言葉だけで
みんな買いだめするよね。」
「この町、
高リスク帯に“入ったかも”ってだけで
こうなるんだもん。」
そこへ、
制服姿の中学生が
母親と一緒にやって来た。
母親はカゴに
水を入れながら、
小声で言う。
「ねえ、
おばあちゃん、
西に行ってもらった方がいいかな。」
中学生が
唇をかむ。
「……ばあば、
行かないって言うよ。」
「だって、
じいじのお墓があるって。」
母親は
手を止めた。
(“行くべき”と
“行きたくない”の間に、
誰の人生が挟まってるのか。)
中学生は、
水のペットボトルを見つめた。
(もし、
本当にここに落ちたら。)
(ばあばの家も、
学校も、
全部、なくなるのかな。)
考えた瞬間、
目の奥が熱くなって、
彼は慌てて視線をそらした。
《地方の駅・ホーム》
スーツケースを引いた人が
増えていた。
学生、
小さな子どもを連れた母親、
若い夫婦。
“西日本行き”の新幹線が
到着するたび、
乗車口には小さな列ができる。
駅員がマイクで
淡々と案内をする。
「本日も、
指定席は大変混み合っております。」
「自由席をご利用の方は、
ホームの黄色い線の内側で
お待ちください。」
黄色い線。
その言葉に、
ふと誰かが笑った。
「……黄色い線の内側ね。」
「今の日本、
線だらけだな。」
笑ったのに、
笑いは続かなかった。
《アメリカ・ホワイトハウス》
ルース大統領は、
タブレットに映る日本地図を見ながら
短く息を吐いた。
「Center line shifts south.」
補佐官が頷く。
「統計上の中心が
関東側へ寄った可能性があります。」
「SNSと市場は
すでに反応しています。」
ルースは、
机の上のメモを指で叩く。
「核のカードの件、
日本に“こちらから先に”話をする。」
「世論が先走って
“日本が核を拒否したせいで”みたいな
筋書きが出来上がる前に。」
補佐官が答える。
「サクラ首相との
ホットラインを確保します。」
「…ただ、
日本国内の世論は
かなり敏感です。」
ルースは
しばらく黙り、
それから低い声で言った。
「敏感で当然だ。」
「俺は軍人として
“最後の手段”を持っていることの
重さも知っている。」
「だが、
“最後の手段を持たない国”の
恐怖は、
もっと重いのかもしれない。」
《黎明教団・集会スペース》
大きな白い布の前で、
支部のリーダーが
信者たちに語っていた。
「中心ラインが南へ寄った。」
「つまり、
“光の中心”は
さらに人の多い場所へ向かっている。」
ざわめく信者たち。
「恐れるな。」
「恐れは、
古い世界に縛られている証拠だ。」
「オメガは、
破壊から創造へ向かうための
光だ。」
その言葉に
うなずく者もいれば、
泣き出す者もいた。
(ここにいる人の中には、
本当は“救われたい”だけで
この場に座っている者もいる。)
(でも救いの言葉は、
時に“他人の命を軽くする”言葉にもなる。)
《総理官邸・夜の会見》
カメラの赤いランプ。
毎晩の会見が
今日も始まる。
サクラは、
いつもよりゆっくり話した。
「本日の解析で、
落下コリドーの中心ラインが
わずかに南へ、
関東側へ寄った可能性が示されました。」
「ただし、
これはまだ誤差の範囲であり、」
「“今日の時点で
どこか特定の県に落ちる”と
断定できるものではありません。」
彼女は
一度、息を吸う。
「ですが、
私はここで
一つだけお願いがあります。」
「“線の中にいる人”に対して、
どうか
“逃げろ”“残れ”と
決めつけないでください。」
「家族には家族の事情があり、
地域には地域の事情があり、」
「動くのが難しい方もいます。」
「国は、
動ける人だけを守る国ではありません。」
「動けない人、
動かないと決めた人、
動こうとして迷っている人。」
「その全員を
守るために存在します。」
フラッシュが光る。
「そのために、
避難シミュレーションと
医療・物資・治安対策を
さらに前倒しで進めます。」
「“見えない線”に
日本中が分断されないように。」
「そのために
政府ができることを
全力でやります。」
画面の向こうで、
誰かが泣いていた。
泣いている理由は、
怖いからか。
ホッとしたからか。
それとも、
もう決められないからか。
分からない。
ただ、
サクラの声が
今日も“現実”として
そこに残った。
Day14。
オメガ予測落下日まで、あと14日。
中心ラインは
ほんの少し南へ動き、
社会はその数十kmに
大きく揺れた。
地図の線が動くだけで、
人は家族と揉め、
駅に並び、
水を買い、
祈りにすがり、
そして眠れなくなる。
それでも、
明日は必ず来る。
だから今日も、
誰かは決め、
誰かは決められないまま
夜を越えていく。
本作はフィクションであり、実在の団体・施設名は物語上の演出として登場します。実在の団体等が本作を推奨・保証するものではありません。
This is a work of fiction. Names of real organizations and facilities are used for realism only and do not imply endorsement.