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彼女の名前は何だっただろうか…。思い出せない。
彼女の名前どころか、僕の名前も分からない。
それはきっと、必要のないもので、無駄なもの…。
唯一その名を呼んだあの頃の彼女は、もういない。
「送り人さん。おはようごさいます!」
「………はい、お早う御座います。」
返事をするのに時間が掛かってしまった。
やはり、彼女からそう呼ばれるのにはまだ慣れない。
彼女が巫女になる前は、お互いのことを名前で呼び合っていたのだが、今となってはその名前も使われなくなってしまった。
彼女が僕の名前を呼ばないのには理由がある。
彼女には、巫女になる前の記憶がないのだ。
というのは、この家に昔から伝わる一種の忘却術のようなもので、この術は対象の都合の悪い記憶だけを意図的に無くすことができる。その分、しっかりと記憶を消すには、どれほどの時間の記憶を消すかに比例してそれだけの時間その対象は眠り、起きた時には記憶がない状態になる。
この術で記憶を消されたのは彼女だけではなく、僕の記憶も一部消されている。
それはおそらく、僕と、僕の双子の少女の名前。
彼女がまだ巫女になる前の記憶が消されなかったのは、行動パターンを頭の中に残しておくことで、彼女を逃さないようにするためだろう。
きっと僕は、二度と彼女の名前を呼ぶことも、彼女に名前を呼ばれることもなければ、思い出話をすることもないのだろう。
それでも僕はあの日の約束を…。