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橙色と藤色のコントラストが覆う空を見上げながら、私は自宅の門をキィっと開いた。
ふんわりと漂ってくる甘い花の香りを肺の中いっぱいに吸い込んで、仕事に疲れた心身のリフレッシュをはかる。
小さな庭に咲き乱れるたくさんの花々はすべて、一緒に住んでいるアリスが選んだものだ。
私はそこまで花の種類とかに詳しくはないのだけれど、どうやら花の種類からその花弁の色の組み合わせまで、色々と考慮しながら種や球根を植えていったらしい。
私の実家の中庭にも昔からたくさんのバラが植えられているのだけれど、あちらとはまた違う美しさがここにはあった。
そんな庭の花々に癒されてから、私は玄関の扉を開ける。
この住宅街の中にあって、ひと際異彩を放つデザインの我が家。
日本の一般的な家屋とは思えないレンガ造りの茶色い洋館。
壁面には緑色の蔦が這い、その蔦すらも実はアリスのデザインによるものだった。
一見すれば立派な洋館――というよりも、あからさまに『なんか魔女が住んでそうな感じ』の怪しい家だ。
周囲の家々と比べてみても、明らかに浮いて見える。
まぁ、けれどそれも仕方ない。
実際、この家には『魔女』が住んでいるのだから。
「ただいまぁ」
玄関を抜けて家の中に声をかけると、キッチンの方からエプロン姿のアリスがパタパタと足音を立てながらこちらにやってきて、
「おかえりなさい!」
そう言って、にっこりと優しい微笑みを浮かべる。
庭の花々やその香りも私の心を癒してくれるけど、やっぱり私にとっての一番の癒しは、アリスのこの微笑みだ。
高校で初めて知り合ってからウン十年。この微笑みに、果たして私はどれだけ救われてきたことだろうか。
一緒に暮らすようになってからも、もう十数年か……時の流れの速さに心底辟易してくる。
けれど、それだけ長い年月を共にしてきてなお、アリスの美しさや可愛らしさは高校の頃から何一つ変わってはいなかった。
実年齢からは考えられないくらい、アリスの姿は若々しい。
どうやら魔法使いというものは、個々人に宿る魔力の高さによって、老いていくスピードが変わるのだとかなんとか。
アリスはまさに『美魔女』といって間違いなかった。
……まぁ、私も同じく「それなりの魔力」を有しているので、実年齢から考えれば、その見た目は相当若い部類に入るのだろうけれども。
思いながら私は玄関先の鏡に目をやり、それからふと思い出したように居間の方に視線を戻して、
「――そういえば、真奈は? 今日も魔法の練習に来てないの?」
するとアリスは、途端に悲しそうに目を伏せて、
「……うん」
肩を落としながら、そう言った。
あの夏の一件以来、真奈はあまりこの家を訪ねてこなくなっていた。
原因はたぶん、私が口を酸っぱくして注意ばかりしてしまうから、だと思う。
あの神社の狐が言ったという言葉が気になって、ついつい過剰に声を掛け続けてしまったのが良くなかったのかも知れない。
アリスからも相当注意を受けていたのだろうし、母親である真帆だって普段から注意していたのだろうけれど、そこへきて伯母である私からも注意を受け続ければ、それはまぁ、相当ウザったく思っていることだろう。
さすがに、ちょっと注意しすぎたか……?
「実は昨日の夕方にね、真奈ちゃんとそのお友達をあの神社のふもとで見かけて、うちに呼んだの」
「えっ、そうだったの? それって、真奈たちだけ? 翔くんや真帆は?」
アリスは黙って首を横に振る。
私は思わず深いため息を漏らして、
「……あれだけひとりで行くなって言ったのに。どうせ『友達がいるから、ひとりじゃないもん』とか屁理屈を言ってたんでしょ?」
えぇ、とアリスは頷き、
「そのあと、真奈ちゃんは頬を膨らませながら帰っていったんだけど――」
「そりゃぁ、全然納得してないね」
「うん、私もそう思う」
やれやれ、あの姪っ子ときたら。
真奈は真帆の若いころに似て、どこか無鉄砲なところがある。自分の思っていることに素直というか、何というか、あまりに危なっかしくて仕方がない。
「それで、真奈は、どうして友達とそんなところに?」
「それが、私がどんなに訊ねても、ずっと黙り込んだまま、答えてくれなくって……」
「何をしていたのか、わからない?」
ううん、とアリスは首を横に振ってから、
「一応、お友達のミハルちゃんが教えてくれたわ。ジャッカロープを捕まえようとしていたんですって」
「ジャッカロープ……? なんだったっけ、それ」
どこかで聞いたことがあったような、なかったような?
「鹿のような角を生やしたウサギのことよ。あの神社の周辺では、昔から稀にその姿が目撃されているの。とても珍しい幻獣よ」
「へぇ、そんな生き物がいるんだ。知らなかった」
と私は答えたところで、
「――ゲンジュウ?」
思わず首を傾げてしまう。
「幻の獣、幻獣。一説では、あちら側の生き物って言われているわ。その角は万能薬になるから、昔からたくさんの魔法使いが探し回っていて、時々市場に出回って高値で取引されることもあるの」
「それで、真奈はジャッカロープを」
「……たぶん」
アリスは胸に手を当ててうつむく。
まったく、あの姪っ子ときたら、友達まで巻き込んでいったい何やってんのよ――
あれだけ皆から注意されていたっていうのに、言うことも聞かずに、なんてことを。
「私、どうしたら良かったのかしら……」
アリスがため息交じりにそう言って、私は「う~ん」と思わず唸ってしまう。
なにが正解かなんて、正直まったくわからない。
無駄に反発心を抱かせるような結果になってしまったのは間違いない。
真奈も真帆に似てどこか難しい性格をしているし、あまり執拗に注意すべきではなかったのだろう。
でも、じゃぁ、どうするべきだったのか、どう言い含めるべきだったのか。
アリスのように優しく諭すように言ってもダメ。
私のようにしつこく注意し続けるのもダメ。
当然、母親である真帆の注意も大して役には立っていないだろうし――
どうしたものか、と途方に暮れていた、その時だった。
――ジリリリリッ
インターホンの機械的な音が鳴り響いた。
「……誰かしら」
アリスは独り言ちて、パタパタと玄関へ駆け寄り、扉を開ける。
「は~い」
その間延びしたような声のすぐあとに、
「み、ミハルちゃん! どうしたの、そのかっこう!」
慌てたような声で叫んだ。
私も何事かと玄関に向かい覗き込むと、そこには手足にたくさんの切り傷を作った、泥だらけの女の子の姿があって。
「あ、アリスさん! ヒサギさんが、ヒサギさんが――――っ!」
その瞬間、私の背筋は、凍り付いた。