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#主人公目線
私の住むマンションは、堀田が向かった駅とは逆方向にある。
彼女と別れた場所からは、徒歩でおよそ三十分。タクシーを拾おうか、それとも歩いて帰ろうか迷い、ひとまずその前に、とあるカフェに寄って行こうと思いついた。兄の友人であり、私とも親しい男性がその店で働いているのだ。
普段からそれなりの頻度で顔を出してはいたが、せっかく近くまで来たのだ。二週間前にも行ったが、今日も彼の顔を見ていきたい。何しろ彼は私の片想いの相手なのだ。
飲食店とその他諸々の店が立ち並ぶ大通りに沿って歩く。うきうきとした気分で店に向かう途中で、ふと思い出した。毎月買っている雑誌の発売日が今日だった。
「コンビニに寄って行こう」
私は今いる場所から最も近いコンビニに入った。早速雑誌コーナーに向かおうとして、はたと立ち止まる。塚本が雑誌を眺めていたのだ。私は慌てて踵を返した。しかし残念ながら、あっという間に気づかれてしまう。
「また会ったね!」
肩越しに見た塚本の顔には、心底嬉しそうな笑顔が広がっていた。
私は無表情のままぺこりと頭を下げ、急いで店を出た。
「待って!」
塚本は後を追いかけてきた。なんとかして振り切らなくてはと思いながら、私は足早に店を離れた。
しかし彼はすぐに私に追いついた。私の歩調に合わせて大股で歩きながら、声をかけてくる。日本酒の店でもそうだったが、今のコンビニでの私の態度についても、特に気にしていないように見える。
「家はこっちの方なの?俺と同じ方向みたいだし、良かったら一緒に帰らない?タクシー拾おうか」
私はまっすぐ前を向いたまま、黙々と歩き続けた。
そんな私にめげた様子もなく、塚本は話しかけ続ける。
「さっきは君に会えて嬉しかったんだ。ランチで会ったのは、確かひと月くらい前だったよね。また会えたりしないものかと思って、ロビーなんかで君の姿を探してみたり、昼にはあの店に行ってみたりもしたんだ」
私は塚本の言葉を右から左へと聞き流しながら、目前に見えてきた交差点を目指してひたすら歩く。横断歩道の青信号が点滅し始めていたが、急げば渡れそうだ。ついでに塚本を撒けるかもしれないと思い、私は駆け出した。
しかしあと一歩というところで、赤信号に変わってしまう。
「あぁ、残念……」
つぶやく私の隣で、塚本がくすりと笑う。
「ほんと、残念だったね」
私はため息をつき、塚本に渋面を向けた。
「どうして着いてくるんですか」
「君が逃げるから、かな」
「別に、逃げてなんか……」
私はごにょごにょと口ごもった。
塚本はおかしそうにくすくすと笑う。
「明らかに逃げてたでしょ。俺はただ、君と仲良くなりたいだけなんだけど。俺、君にとってそんなに受け付けないタイプ?」
「そういうわけじゃ、ないですけど……」
私はもごもごと答えた。そもそも嫌いと言えるほど、この人のことは知らない。
そんな会話を交わしているうちに、歩行者信号が青に変わった。
対面からやって来る人の流れに逆らって、私は横断歩道を進む。
その途中で年配の男性と肩がぶつかってしまった。ふらりとよろめいたところを塚本に助けられた。彼に借りを作りたくなかったのにと思いながら、自分の油断を悔しく思う。しかし礼は言っておくべきだからと、私は彼に頭を下げる。
「すみません、ありがとうございます」
「どういたしまして」
塚本は軽やかに言い、私と並んで道路を渡る。
「家はもう少し先?」
「えぇ、だいぶ」
本当はそう遠くはないが、適当に簡単に短く答えて、私はそそくさと彼に頭を下げる。
「私はここで失礼します」
目的のカフェまでもうすぐだ。早く向かおうと、私は歩を速めた。
ところが彼はまだ私の後を着いてくる。まるでストーカーみたいだと内心ひやりとしながら、彼に訊ねる。
「あの、塚本さんの家は、本当にこっちの方なんですか?」
「本当にこっちだよ。この先にあるマンションなんだ」
彼は私の問いに嬉しそうに答え、そして付け加えた。
「遠野さんから初めて質問してもらえた」
そんなことでなぜ喜んでいるのかと呆れながら彼の言葉を聞き流し、私は淡々と、しかし丁寧に彼に告げる。
「もしも私に合わせて歩いて下さっているのなら、どうぞお気になさらずに、先に行ってください。その辺、タクシーも走っていますし」
「俺のことは気にしないで大丈夫だよ。急いで帰る必要なんて全くないしね」
私としては、早く行ってほしいという気持ちを言外に含ませたつもりだった。
しかし彼には通じなかったようだ。私が彼を煙たがっていることに気づいていないのか、それとも、気づいているくせにわざとなのか。仕事はいつも何時頃に終わるのか、だの、休日は何をして過ごしているのか、だのと、質問を投げかけて来た。
私はそれらを適当にはぐらかしていた。そうこうしているうちに目的だったカフェの前に到着する。万が一にも彼が店に一緒に入るなどと言い出さないように、私は先手を打つつもりで言う。
「ここで失礼します。これから友達と会う約束をしているので」
「友達?これから?」
「はい」
本当はそんな約束はないが、私はきっぱりと頷いた。
「本当に?」
疑うような塚本の問いに、私は大きく頷いた。さらにやや強い口調で付け加える。
「本当です。うそじゃありません」
言ってしまってから、少しだけ後悔する。今の強調の仕方はかえって怪しかっただろうかと、彼の表情をそっと盗み見た。
彼はきょろきょろと辺りを見回していたが、私に視線を戻して訊ねる。
「これから来るの?この店で待ち合わせ?」
「えぇ、そうです。少し遅れるから、それまでこの店で待つようにって連絡があったので。それではこれで!」
これ以上言葉を交わせば、ぼろが出るかもしれない。そうなる前に早く店の中に入ってしまおうと、私はカフェの扉に手をかけた。やや重いガラス戸を引こうとした時、塚本の声が背中に飛んできた。
「またね、遠野さん!」
「え?」
慌てて振り返ったが、塚本の後ろ姿はすでに遠くにあった。
その背中を見送りながら、私は首を捻る。ランチの時には自分から名乗らなかったし、名前を聞かれもしなかった。日本酒の店で出くわした時も、彼に名前を知られるような場面はなかった。私の過去の記憶の中に、「塚本」という名の知り合いもいないはずだ。それなのにどうして彼は、私が「遠野」だということを知っていたのだろう。
ドアの前でしばらく悶々としていたが、その気持ちが長く続くことはなかった。なぜなら、この扉の向こうには私の好きな人がいるのだ。気を抜けば口元が緩く綻びそうになる。それを引き締め、自然な笑みを浮かべる努力をしながら、私は店のドアをぐいっと開けた。
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