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保育園の後、今夜はバーの仕事がある日。
制服に着替え他にも、髪を縛り、薄くメイクをして、耳にシルバーのカフスチェーン付きのピアスを付けるのがバーでの僕のスタイルだ。
保育園ではメガネに緩いハーフアップだから、昼間の知り合いに会う危険性も考えてのカモフラージュのつもりで雰囲気を変えている。
本当なら何もせず髪の毛も下ろしっぱなしにしていたいし、正直めんどくさい……
でも、自分都合で昼夜働いているし、周りに迷惑をかけたくない気持ちから使い分けている。
◇
今日は初めて見かける二人組のサラリーマンが仕事の延長線なのか、店に入ってきた。
見た感じ、営業職らしい雰囲気で、こういった利用も特に珍しくもない。
……ただ、一緒にきた──若い男の方からのやたらと視線を感じる。
二人の相手はマスターがしていて、楽しそうに談笑はしていたが、やはり視線を感じた。
でも、そんなこと珍しくない。
──きっと僕が男なのか、女なのか観察してるんだろう。
僕もいつも通り、他の客の注文や短い会話のやり取りをする。
話しかけては来ないものの、その客は退店するまでやたらとこちらを見ていた。
◇
翌日、今夜もバーで働いていると、閉店前にその男がまた店に来た。
よく見ると、僕より少し若い印象だった。
身だしなみに気を遣っているのか、センター分けの緩いウェーブの髪型からは”できる営業マン”といった雰囲気だ。
彼は僕の目の前の席に座ると
「昨日も来たんですけど、覚えてますか?」
と、唐突に声を掛けて来た。
「はい……」
「このお店、雰囲気がいいですよね。閉店前にすみません」
話し方はハキハキと明るい──でも、なんか話し方に違和感があった。
押しの強いタイプは面倒だな……
そう感じると、無意識に身構えてしまう。
「まだ大丈夫です。ご注文は?」
「じゃあ、ウィスキーロックで」
僕が酒を提供するまで、彼の視線をずっと感じた。
彼が何を話し出すのかと少し身構えていたけど、酒を出すまでの間特に会話はなかった。
何か考えているのか、グラスの中身が空になると
「また来ますね」
と、爽やかに微笑むと、帰って行った。
昨日同様に、彼から視線を感じたけど、特に印象にも残らない。
僕にとって、彼の視線の理由なんてどうでもいい。
閉店作業を終える頃には忘れてしまっていた。
店が終わると同時にスマホにメッセージが入る。
《外で待ってる》
《わかった。片付けたら出るから》
ジュリじゃないもう一人の相手──壮一からの連絡だった。
◇
「……お疲れ様です」
マスターへ挨拶をして店外へ出ると、壮一が地下の店内へと続く階段の上で待っていた。
僕を見つけると、笑顔で近くへ来て
「お疲れ」
と、声を掛けて来た。
当たり前のように僕の荷物を持つと、横に並んで歩き出した。
壮一は、長身で短髪、がっしりとしたスポーツマン体型で、僕より余裕で頭1つ分は背が高い。
僕は壮一が何の仕事をしているのかは知らないし、知りたいとも思っていない。
壮一はたいてい呼べば来るし、急に連絡をしても断られない。
だから、彼と会うタイミングは、その日の気分で決めている。
仕事で限界まで疲れている時以外は、壮一と過ごすことが多い。
僕の隣で、嬉しそうに歩く壮一と一緒に自宅へ向かった。
◇
また別の日に、あの若い会社員が来た。
僕の前のカウンター席に座ると、軽く挨拶をしてから自己紹介をしてきた。
「これから常連になるんで、名前を知りたいんですけど……俺は日渡千景です。この近くの会社で営業しています」
「……あ、はい」
突然の出来事に驚きを隠せなかった。
「あの、あなたの名前は?何て呼んで良いんですか?教えて下さい!」
まだ酒を出していないのに、陽気に話しかけてきた。
店に来るたび、よく笑うヤツだな……くらいにしか思っていなかったけど、案の定今日も愛想がいい。
彼の質問に答えないといけない空気感に押され、
「……ツキです」と渋々答えた。
「ツキさん。苗字は?」
「……すみません。フルネームはちょっと……」
「馴れ馴れしかったですよね!すみません。よかったら仲良くしてください」
いちいち大げさなくらい爽やかな反応だった。
僕としては、急に踏み込んでくる奴と仲良くなるなんて嫌に決まってる。
僕と仲良くなってどうするつもりだ?
嬉しそうなこいつに、塩対応を決め込むことを決意した瞬間だった。
その日を境に、急に店に通い始めた日渡千景を少し警戒しながら、それでも店に来ると嬉しそうに話しかけてくるので、冷めた対応でかわし続けた。
接客業なのに、態度が悪いと思われてしまうことは、わかってる……
でもそれは、客に無駄な興味を持たれないためと、大して身体も大きくない自分を守るためで──
マスターにも許可をもらっている、僕なりの接客術だ。
今夜も彼との会話は盛り上がらなかったけど、店に来ると必ず笑顔で僕に話しかけてくる……
だんだんと、あの”にこにこ顔”が、ヘラヘラしているように見えてきた。
こうして日渡千景は、とくに害があるわけでもないので、マスターも僕に助け舟を出すこともなく──
本当にただの常連客になっていった。
◇
また別の日──
今夜もにこにこしながらカウンター越しに僕を見ている。
さすがの僕も……
「こいつ、いっつも何が楽しいんだ?本当はバカなのか?」
と、若干イラつきながら、目を合わせないように注文された酒を作っていた。
──すると。
「ツキさんって、恋人いるんですか?」
「いないよ。……興味ないし」
「そうなんだ。じゃあ、何歳?」
「……ご想像にお任せします」
「……へー」
適当にあしらってはいるが、別に嘘はついていない。
千景のグラスが空になった。
「また来ます」と、やはり今日もヘラヘラ笑いながら閉店間近に帰って行った。
◇
今夜はジュリと店の前で待ち合わせをしている。
ジュリは店から出てきた僕に気づくと「お疲れ様♡」と言って嬉しそうに飛びついて、頬にキスをしてきた。
今日もジュリは僕に対して安定の溺愛モードだ。
だけど、さすがに外だと恥ずかしくて、困った表情になってしまう。
それでも、ジュリは嬉しそうだ。
二人で手を繋ぎながら歩き、タクシーに乗ってジュリのマンションへ向かった。
◇
その時、店から少し離れた場所で、僕とジュリの様子を睨み付けるように千景が見ていた──。
そして、彼がバーに通い詰めていた目的を、
──僕が知るのはもう少し先になる……