テラーノベル
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叔父が来たのは、四日後の午後だった。
玲司は会社にいた。朝、出がけに「叔父が来たら、広間へ通せ。私が戻るまで、何も答えるな」と柘植に言い、千歳には何も言わなかった。言わなかったけれど、靴を履く前に、千歳の右手を一度見た。爪の線は、もう薄くなっている。
門の外で、自動車の音がした。御堂のものではない。別の、もっと大きな音だ。
「分家の旦那様が」
文が走ってきて、転びかけて、言った。
千歳は広間に出た。出なくてもよかったのかもしれない。柘植に任せて、二階にいればよかった。それでも、奥様が出ない家というものがあるだろうか、と思った。有明の屋敷で、藤乃は客が来れば必ず出た。出て、整った言葉で、相手を帰した。
千歳には、整った言葉がない。
「これが、その女か」
御堂恭介は、広間の椅子に座るなり言った。
恣幅のよい男だった。玲司より背は低いが、横に広い。声が大きく、扇子を持っていて、話すたびにそれで自分の膝を叩く。玲司の父の弟だと、柘植が小さな声で教えてくれた。
千歳は絨毯に膝をついていた。椅子は勧められたが、座れなかった。膝が、勝手に下りた。
「有明の母御から聞いたぞ。花嫁が偽者だと」
扇子が、膝を打った。
「本物の娘は家にいて、来たのは姉だと。身代わりだと。御堂の名に傷がつく。この家の当主が、姉妹の見分けもつかずに嫁を取ったと、世間が言うぞ」
玲司は、見分けていた。門の前で、一目で。千歳はそれを言わなかった。言えば、なぜ見分けたのかを聞かれる。千歳も、それを知らない。
「本物と取り替えるか、離縁か。どちらかだ」
恭介は千歳を見下ろした。
「夫人。お前はどう思う」
「……旦那様の、お決めになることです」
「旦那様か」
扇子が、また膝を打った。
「玲司は、何を考えているか分からん男だ。父親が死んでから、なおさらな。あの離れに何を隠しているのか、親族にも言わん。有明の母御は、若い女だと言っておったぞ。娘御が見たそうだ」
梢の叫びが、もう有明の屋敷を通って、ここまで来ている。四日しか経っていない。
恭介の目が、千歳の右手に落ちた。
千歳は袖で隠しかけて、手を止めた。隠すのが、少し遅れた。遅れた分だけ、恭介はそれを見た。
「その手で、御堂夫人か」
千歳は答えなかった。答える言葉を、持っていなかった。
恭介は立ち上がった。
「まあいい。玲司が戻るまで待つのも無駄だ。その間に、見せてもらおう」
「何を」
「あの離れだ」
恭介は窓のほうへ歩いた。庭の奥に、離れの屋根が見えている。
「玲司が何を隠しているか、親族として知る権利がある。夫人、案内しろ」
千歳は膝をついたまま、恭介の背中を見た。
梢が戸の隙間に顔を寄せたとき、障子の向こうで、灯りが消えた。見られたと思って、消した。あそこに誰がいるにせよ、その人は、見られたくないのだ。
「離れには、近づいてはならぬと、旦那様が」
声は、小さかった。恭介が振り返った。
「私は、ご案内できません」
「何だと」
「旦那様が、お戻りになってから。旦那様に、お聞きください」
扇子が、今度は掌を打った。
「身代わりの分際で、分家の当主に指図するか」
千歳は頭を下げた。下げたまま、動かなかった。案内しろと言われても、立たない。それだけを、決めていた。
恭介はしばらく千歳を見下ろしていた。それから、扇子を懐にしまった。
「来週、親族と仲人を集める」
声が、低くなった。
「そこで決める。玲司にそう伝えろ」
恭介は広間を出ていった。柘植が門まで送る。自動車の大きな音が、遠ざかった。
広間は、静かになった。
千歳は膝をついたままでいる。立つことを、忘れていた。絨毯の上で、膝が冷えていき、暖炉の火が、小さくなっている。
柘植が戻ってきた。
戸口で、懐中時計を出した。見て、懐に戻した。
「奥様」
千歳は顔を上げた。
「よく、おっしゃいました」
声が、違った。
これまで千歳が聞いた柘植の声は、雨より冷たい、あの声だった。今のは、違う。何が違うのか、千歳にはすぐに言えなかった。ただ、お初が「熱いですよ」と茶を置くときの声に、少し似ていた。
柘植は暖炉に薪を一本足した。足してから、千歳のほうを向かずに言った。
草原草原(くさはらそうげん)

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local99
#大人の恋愛
瑠璃マリコ
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「分家の旦那様は、先代の頃から、離れのことを口になさいます。旦那様は、一度もお答えになりません」
「……どうして」
「私の口からは」
柘植は時計を見た。今度は、懐に戻すまでが長かった。
「奥様が、ご案内なさらなくて、ようございました」
それだけ言って、出ていった。
夕方、玲司が帰ってきた。
千歳は、まだ広間にいる。膝をついたまま、暖炉の火が熾になるのを見ていた。立とうと思えば立てたはずだ。思わなかっただけだ。
玲司は戸口で足を止め、千歳を見て、それから、外套を脱いだ。
脱いだ外套を、千歳の肩にかけた。
重かった。外の冷気と、玲司の体の温かさが、両方残っている。千歳は襟を握った。
「立て」
立たされた。膝が、きしんだ。玲司は千歳を暖炉の前の椅子に座らせ、自分は立ったままだった。火が、顔に当たる。
「叔父に何を言われた」
「……何も」
「そうか」
玲司は暖炉の火を見ていた。千歳は外套の襟を握ったまま、玲司の横顔を見ていた。
「叔父は」
玲司が言った。
「有明の母御と、会っている」
コメント
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読ませていただきました…「よく、おっしゃいました」の柘植さんのあの一言が、じんわり沁みましたね。これまで冷たい雨のような声だった柘植さんが、千歳さんに初めて「熱い」温度を向けた瞬間だと思いました。玲司さんが千歳さんに外套をかけて、その重さと温もりを千歳さんが握りしめる…あの小さな仕草にぐっと来ました。身代わりでも、決して「ただの人形」じゃないんだなって思えました🌷