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深冬芽以
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「あはは、何それ。自暴自棄?逃げるの?」
愛華の嘲笑が、雨音を切り裂く。
私は一言も発さず、ただ愛華の瞳をじっと見つめ返した。
そして、手の中のスマートフォンを、彼女の足元へ無造作に放り投げた。
パンドラの「最終選択」が点滅する画面が、水たまりに落ちて虚しく光る。
「……さよなら」
喉の奥で、声にならない音が漏れた。
私はそのまま、一切の躊躇なく、屋上のフェンスを越えて闇の中へと身を投げた。
「栞……!?」
愛華の悲鳴。結衣の無機質な目が、初めて驚愕に大きく見開かれる。
猛烈な重力と、叩きつける雨。
死の恐怖が全身を支配するはずのその瞬間、私は九条刑事から託された「あるもの」を強く握りしめた。
それは、警察が極秘に開発していた広域電磁波妨害装置。
九条が瀕死の状態で私に託したのは、パンドラのシステムそのものを物理的に焼き切るための「毒」だった。
(……結衣、愛華。あなたたちの描いた物語は、ここで終わりよ)
落下しながら、私はジャマーのスイッチを押し込んだ。
ドォォォォォン!!
耳を劈くような高周波が街中に響き渡る。
次の瞬間、アパートを囲んでいた群衆のスマホが
街頭ビジョンが、そして愛華が足元に拾おうとしたパンドラの端末が、火花を散らして一斉にブラックアウトした。
街を焼き尽くそうとしていた「傍観者リスト」が消え、人々を狂わせていた「告発の連鎖」が強制的に断ち切られる。
そして私の体は、地上に用意されていた救護用のマット
——九条が死の間際に要請していた警察の突入班が設置したもの——へと、激しい衝撃と共に叩きつけられた。
「…ぁ、……っ」
全身を走る激痛。
だが、生きている。
見上げれば、アパートの屋上から、パンドラを失い
武器を失った愛華と結衣が、豆粒のような姿で見下ろしているのが見えた。
光を失った街に、本物のパトカーのサイレンが鳴り響く。
パンドラの魔法が解けた今、そこに残されたのは、ただの「殺人未遂犯」と「狂言自殺者」の醜い姿だけだった。
私は、泥水にまみれた顔を上げ、空を仰いだ。
喉の奥から、今度こそ本物の、自分自身の掠れた声が漏れる。
「……終わったよ、お母さん」
だが、私のスマホではない、地面に落ちていた「誰か」のスマホが、再び不気味に明滅した。
画面に映し出されたのは、ジャマーの影響を受けなかった独立回路のメッセージ。
【パンドラ:Version 2.0 起動】
演出家を失っても、舞台は止まりません。
栞。あなたが「正義」を選んだ代償を、これから払いなさい。
背後から近づく足音。
それは警察ではない。
復讐に失敗し、パンドラに「裏切られた」愛華でもない。
暗闇の中から現れたのは、美波の葬儀で私を鼻で笑った、あの「傍観者」の群衆の一人だった。
その手には、ナイフが握られていた。