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その日の昼休み。成瀬は、いつもより早く教室を出ようとしていた。
——あのメモのこと、誰かに聞かれたらどうしよう。
机を閉めた瞬間、背後から声がした。
「成瀬」
振り向くと、クラスの女子二人が立っていた。
どちらも、悪意というより“確信”を持った目をしている。
「ちょっと聞いていい?」
「……なに?」
「黒川とさ、最近近くない?」
胸が、ぎゅっと縮む。
「席も隣だし、休み時間も一緒だし」
「付き合ってるとか?」
空気が止まる。
否定すればいい。
ただ「違うよ」って言えばいい。
なのに、言葉が出なかった。
そのとき。
「成瀬、行くぞ」
間に入るように、黒川蒼が立っていた。
「え、黒川?」
「次の授業、移動教室」
嘘だ。
でも、蒼の声は冷静だった。
「詮索するほどのことじゃないだろ」
女子たちは一瞬黙り、気まずそうに視線を逸らした。
「……ごめん。深い意味じゃないから」
そう言って、二人は去っていく。
成瀬は、しばらく動けなかった。
「黒川……」
「大丈夫」
蒼は短く言った。
「守るって言ったろ」
その一言が、胸に刺さる。
移動教室の途中、誰もいない廊下で成瀬は立ち止まった。
「さっきの、無理してない?」
「してない」
「でも……」
蒼は足を止め、成瀬の方を向いた。
「俺は平気。でも」
少しだけ、声が低くなる。
「成瀬が一番つらいなら、話は別」
成瀬は俯いた。
「正直、怖い」
「うん」
「変に見られるのも、噂されるのも」
蒼は否定しなかった。
「それでも」
成瀬は、ゆっくり顔を上げた。
「黒川が、いなくなる方が……もっと嫌だ」
蒼の目が、わずかに揺れる。
「それって」
「まだ答えは出てない」
成瀬は続けた。
「でも、逃げたくないって思った」
沈黙。
それから蒼は、ほんの少し笑った。
「十分」
「え?」
「それ聞けたなら、待てる」
その日の放課後。
二人は、いつもの距離で並んで歩いた。
手は触れない。
でも、離れもしない。
校門の前で、成瀬が立ち止まる。
「……黒川」
「なに」
「名前、蒼って呼んでもいい?」
一瞬、驚いたように目を見開いてから。
「学校では、やめとけ」
「じゃあ、二人のときだけ」
蒼は、少し照れたように視線を逸らした。
「……好きにしろ」
成瀬の胸が、静かに温かくなる。
遠くで、誰かが二人を見ている気配がした。
でも、もう前ほど怖くない。
——この気持ち、ちゃんと向き合おう。
成瀬はそう決めて、隣を歩く蒼の背中を見た。
まだ答えは出ていない。
でも、確実に一歩進んでいる。
そのことだけは、はっきりわかっていた。