「多分大丈夫だろ」
想がそう太鼓判を押すのには、ちゃんと根拠がある。
結葉が作る想のお弁当は、想にたくさん食べさせたいという思いが一緒に入れてあるみたいに、中身が結構みっちり詰まっているから。
恐らく垂直落下したぐらいでは寄り弁になんてなっていないだろう。
それでもやっぱり作り手としては、中の様子が気になるらしい。
「でも……一応どうだったか教えてね」
言い募るように眉根を寄せる結葉に、想は「了解」と言ってもう一度ククッと笑った。
***
そのハプニングのおかげで、結局出かけることに対して、それ以上は追求されなかったことにホッと胸を撫で下ろした結葉だ。
実は先日純子から、「ゆいちゃん、家事手伝い、本当によくやってくれてるから。ちょこっとだけど」と言って、ほんの少しお金を渡された。
結葉は「住まわせて頂いているご恩もあるので」と固辞しようとしたのだけれど。「もらってくれないなら、金輪際ゆいちゃんにはお手伝い、頼まないんだからっ」と口を尖らされて、仕方なく受け取った感じだ。
このお金。本当は一円たりとも手をつけるべきではないと思っていたのだけれど、一つだけどうしても〝やりたいこと〟が出来てしまった結葉だ。
想に言えば、そのための微々たるお金くらい、すぐに用立ててくれることは分かっていたけれど、これだけは彼に頼りたくないとも思ってしまって。
(ごめんなさい、純子さん。働き始めたらちゃんと戻しておきます)
そう心の中で折り合いを付けて、結葉は純子から受け取ったお金を、手渡された時の封筒のままカバンに仕舞った。
(私、お財布も持ってないんだ……)
そう思いながら。
***
偉央からの書類を想から手渡されたあの夜。
結局結葉は、自分宛の手紙だけ、どうしても開封することが出来なかった。
(何が……書いてあるの?)
そう思ったら、怖くて封を切れなくて。
想が、あの手紙だけ「結葉宛だから」と未開封のままにしてくれていたことも仇になってしまっていた。
その手紙を、昨夜結葉は、意を決してやっと開封して中身を取り出してみたのだけれど――。
薄い色合いの灰色で罫線だけが引かれた、飾り気のないA4サイズの便箋に、たった二行。
――ごめんね、結葉。
――許されるなら、もう一度だけ、君の手料理が食べたかった。
それは、手紙と呼ぶには余りにも短い文章だった。
偉央は、その端正な見た目に似合った、美しい文字を書く男だ。
そうして、文字の大きさはどちらかというと控えめで、筆圧もそんなに高くない。
そんななので、広い紙面の中、その二文はとても儚げに見えて。
薄手の紙面のところどころが丸く波打っているのに気付いた結葉は、思わずそこを指先でなぞった。
そのことに重きを置いてもう一度よく見てみたら、書かれた文字の最後の句点「。」の端っこが、ほんの少し滲んでぼやけていて。
「涙……?」
そうとしか思えなかった。
偉央は、結葉の前ではいつも凛としていて、涙を見せるような弱い男性ではなかったけれど、そのポツポツと紙面に散らばる違和感を目にして、そう確信した結葉だ。
小切手に添付されていた、想へのメッセージ同様、小さなメモ用紙に書けば事足りるようなその短い文面は、諸々の条件と相まってとても寂しそうに見えて。
あの広いタワーマンションの一室で、偉央が一人ポツンと佇んでいる姿まで目に浮かんできてしまった結葉は、ギューッと胸が締め付けられるような痛みを覚える。
「偉央さん……」
手紙の中の偉央は余りにも弱々しくて、結葉のイメージからかけ離れていて。
結葉は彼のことが心配で堪らなくなってしまった。
***
今朝想に宣言した通り、結葉は街に出ていた。
多くのショップが開店する十時過ぎを目掛けて外出してみたのだけれど、考えてみればここ数年、一人でこんな風に街に出てフラフラとショッピングを楽しんだことはなかったな、と思い出した結葉だ。
(どうしよう。私、いま、すっごく楽しいっ)
もちろん、休日などは偉央と一緒に大型モールに買い物に出たりはしていた。
だけど、あれはずっと偉央に監視されている感じがして気詰まりがして、心からウィンドウショッピングを楽しめていなかったから。
そう言えば想に助けてもらってすぐの日、彼と一緒に出かけた市外のモールは、偉央とのショッピングと違って大分開放的な気分でアレコレ見て回ることが出来た。
でも、あの時はまだ気持ちに今ほどゆとりがなかったから。
(一人で自由に動き回れるのって……こんな感じだったっけ)
独身の頃は普通に出来ていたことだし、何なら一人でうろうろするのは寂しいから、誰かお友達と来ればよかったなぁとか思っていたと言うのに。
今は誰にも気兼ねせずマイペースにウロウロ出来ることが、ひたすらに幸せだと思ってしまった。
ただ、独身の頃と違うことがあるとすれば、いまは自由に使えるお金がないと言うこと。
一応カバンの中に、〝家事の対価〟という名目で純子から渡された三万円が入っているのだけれど、それは、単純に純子からの厚意に過ぎない。
だから、甘えてはいけないと思っている結葉だ。
コメント
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愛は無くなっても情は残るんだよね。 お買い物、何を買うのかな?