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local99
#大人の恋愛
瑠璃マリコ
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三人目も、同じ道を辿る。
前の二人の奥様と同じように、死ぬ。そういう意味だ。
私は紙を持つ手が震えるのを、もう片方の手で押さえた。
怖がっている場合ではない。
帯に挟んだ父のルーペを抜いて、窓辺の明るいところに紙を広げる。
紙は、ありふれた半紙だった。そこへ十個の文字が、少しずつ曲がって貼られている。
まず「三」「人」「目」「モ」「ジ」「ヲ」「辿」「ル」。
小さくて、角張った明朝体。記事の本文や広告から、一字ずつ拾ったのだろう。インクが薄く灰色がかって、紙は茶色っぽくざらついている。裏に別の記事の字が透けていた。
新聞だ。この大きさは五号活字。字の右肩の撥ねの癖からすると、『東都日報』の本文だろう。父が昔、見出しを組みに行かされた新聞社の活字と、同じ形をしている。
残る二つ、「同」と「道」は、ひと回り大きい。
線の太さに強弱があり、紙は白くて目が詰んでいる。光にかざすと、うっすら艶がある。
雑誌の上質紙。それも見出しに使う明朝だ。この線の入りと抜きの具合には見覚えがある。婦人雑誌の『婦人の窓』が、毎号の題字の脇に使っている書体だった。
ルーペを「道」の上で止める。
しんにょうの最後の払い、その手前の小さな撥ね。そこが、ほんのわずかに欠けていた。
「……はねが欠けてる」
思わず職人言葉が口をついた。
「欠けた活字で刷ったんだわ。同じ号の同じ頁なら、どの一冊にも同じ欠けが出る」
活字は一本ずつ癖を持っている。一度欠けたら、差し替えるまでずっと同じ欠けを紙に押しつける。
つまりこの「道」がどの号のどの見出しから切られたのか、本物を見れば突き止められる。
最後に、糊。
爪の先でそっと端をめくると、白く乾いた糊の中に、潰れた米粒の形が残っていた。
生麩糊ではない。飯粒を練った続飯だ。
活版所では、製本に生麩の糊を炊いた。飯粒を練るのは、台所で障子の繕いをする女たちのやり方だ。
「和館の台所……」
鏡台は、女中なら掃除のついでに開けられる。
新聞のほうは、手がかりになりそうにない。
『東都日報』なら、この屋敷では家令室にも書斎にも、たぶん台所にも届いている。古新聞は焚きつけにも包み紙にもなる。誰でも切り抜ける。
狭められるとしたら、雑誌のほうだ。
婦人雑誌を、わざわざ取っている場所。そこから「同」と「道」が切り取られている。
私は紙を元通りに四つに折り、懐紙に挟んで帯の内側へしまった。
鏡に映った自分の顔が、思ったより落ち着いて見えた。
怖いことは怖い。けれど、紙の上に残った跡なら、私は読める。それだけが、この家で私が持っている唯一のものだった。
*
夕方、侯爵様が帰ってきて、また厨房に立った。
夕餉は鶏と葱の煮物と、白飯と、今朝より少しだけ焦げの少ない卵焼き。
私は袂に、あの紙を入れていた。
見せるべきだろうか。
この家の中に、私を脅す誰かがいる。侯爵様は「何も食べるな」と言った。この人は何かを知っている。
けれど。
もしこの人が千鶴さんを殺したのなら、私は手の内を全部さらすことになる。紙を読む目があることも、嗅ぎ回るつもりでいることも。
「どうした」
不意に言われて、箸を落としそうになった。
侯爵様の灰色がかった目が、私の袂のあたりを見ていた。
「……いいえ。何でもございません」
「そうか」
侯爵様はそれ以上何も訊かず、煮物の鉢を私のほうへ少し押した。
「昼は、食べたか」
「はい。お包みくださったお握りを、お部屋で」
今朝、厨房を出るときに渡された竹皮の包みには、握り飯が三つと沢庵が二切れ入っていた。私一人には多すぎる量だった。
「足りたか」
「多すぎるくらいでした」
「なら、明日は二つにする」
侯爵様は真顔のまま、手帳に何か書きつけた。まさか、握り飯の数だろうか。
「本所の父上の具合は、どうだ」
今度は私が、驚いて顔を上げる番だった。
「……ご存じなのですか」
「医者を一人、通わせるよう手配した。費用のことは気にしなくていい」
それだけ言うと、侯爵様は席を立って流しへ向かった。袖をまくった腕が、黙々と鍋を洗う。
この人のことが、一日ごとにわからなくなる。
私はその夜、紙を見せなかった。
*
翌日の午前、洋館の応接間に真柴さんが訪ねてきた。
灰色の背広に、黒い腕カバー。手には細長い桐の箱を捧げ持っている。
「奥様。ささやかでございますが、御婚礼のお祝いに」
箱の中には、黒い軸に金の飾り輪の万年筆が収まっていた。舶来のものだと一目でわかる。
「こんな立派なもの、いただけません」
「これから奥様には、御礼状やら御挨拶状やら、お書きいただくものがたくさんございます。どうぞお使いください」
真柴さんは自分の胸ポケットから、同じ型の万年筆を抜いて見せた。
「私も同じものを、もう二十年使っております。インクはこれでございます」
小さな硝子瓶。中の色は、黒に青が溶けたような深い色だった。
「青黒でございますね」
「よくご存じで。書いたときは青く、乾くと黒く落ち着きます。書類が長持ちいたしますので」
試し書きの紙に、真柴さんが「久遠寺」と書いてみせる。流れるような、整った字だった。
私は思い切って訊いた。
「真柴さん。このお屋敷では、婦人雑誌をお取りになっていますか。女学校の頃に読んでいた『婦人の窓』が、懐かしくて」
真柴さんは、考えるように左の眉を指でなぞった。
「『婦人の窓』でしたら、三部お取りしております。大奥様のお部屋に一部、お嬢様に一部。それから、女中部屋に一部。若い者の行儀見習いになるからと、大奥様のお計らいで」
すらすらと出てくる。この人は本当に、屋敷のすべてを知っているのだ。
「お読みになりたければ、お嬢様にお願いしてみましょう」
「いえ、それには及びません。ありがとうございます」
真柴さんは桐の箱の蓋を閉めながら、ふと声を落とした。
「奥様。何かお困りのことがございましたら、どんな小さなことでも、私にお申しつけください。この家は広うございますし、古い家には古い家の、何と申しますか、澱のようなものがございますので」
帯の内側の紙が、急に重くなった気がした。
この人になら、話してもいいのではないか。家の誰よりも、私に親切にしてくれる人だ。
けれど口を開きかけて、やめた。紙の跡がもっと読めてからでも遅くはない。
「ありがとうございます。そのときは、きっと」
真柴さんは、目尻に皺を寄せて頷いた。
三か所。大奥様、百合絵様、女中部屋。
あの「道」は、そのどれかから切り抜かれた。
真柴さんが帰ったあと、私は万年筆の蓋を取り、半紙の隅に自分の名を書いてみた。
栞。
濡れた青が、ゆっくりと黒に沈んでいく。
*
昼下がり、和館の仏間にお参りをして、渡り廊下を戻る途中だった。
仏壇には、先代の侯爵様の位牌と並んで、新しい位牌が二つあった。どちらが千鶴さんのものか、私には手を合わせることしかできなかった。
窓から射す光が明るい。私は袂からあの紙を出し、もう一度光にかざした。
裏から透かすと、貼られた文字の影が重なって、裏返しになって見える。
ほかに何か、見落としていないだろうか。
「奥様」
低い声に、心臓が跳ねた。
渡り廊下の和館側の端に、タキさんが立っていた。いつからそこにいたのか、足音ひとつしなかった。
私は紙を胸に引き寄せた。遅かった。
タキさんの鋭い目は、まっすぐ私の手元に注がれている。切り抜きの文字が並んだ、半紙の上に。
「その紙、どこで拾われました」
コメント
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読みました……このエピソード、めちゃくちゃゾクゾクしました🥀 まず、脅迫状の文字を一枚ずつ読み解くシーンが本当に丁寧で、主人公の「紙の跡なら読める」という静かな強さに心を掴まれました。活字の欠け方や糊の種類から情報を引き出す職人技、すごいです。 侯爵様との距離感も気になる…優しいのに何も言わない、でも握り飯の数までメモする不器用な気遣いに、もうドキドキしっぱなしでした。タキさんのラストの登場も怖すぎます😭 続きが気になりすぎるので、次話も絶対読みますね🌙