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第178話:事前ミーティングと、裏の顔
「……はぁ、はぁ、はぁ……っ」
北海道、帯広市。
築三十年のボロアパート、四畳半。
俺——株式会社インフィニティ・ワン代表取締役社長、秋谷雪(40歳)は、三万円のゲーミングチェアの上で、まるで酸素の薄い高山にいるかのように荒い息を吐いていた。
PCモニターには、ディスコードの通話待機画面が表示されている。
時刻は14時58分。
業界トップ層の男の娘VTuber『猫川まるき』陣営との、事前ミーティング開始まで残り2分。
「おい結愛……。やっぱり俺、腹が痛い。急性胃腸炎かもしれない。なんなら腰の爆発の余波で視力も落ちてきた気がする……っ」
『ルシフェル様。見え透いた仮病で逃亡を図るのはおやめください。すでに先方は通話ルームに入室し、こちらの接続を待機しています』
画面の端で、我が社の冷徹な経理兼アシスタントである結愛(ゆあ)が、容赦なく俺の逃げ道を塞ぐ。
『相手は、チャンネル登録者数数百万人を抱える巨大IPのトップ。ここで粗相をすれば、株式会社インフィニティ・ワンの業界内での信用は完全に失墜します。社長としての最低限の威厳を保ち、粗相のないよう対応してください』
「い、威厳って言われてもな……っ! 相手は陽キャのトップランナーだぞ!? 月給10万円で特売の袋麺食ってる40歳のおっさんが、どんな顔して喋ればいいんだよ!」
『泣き言を言っている間に、時間です。接続します』
「あ、待て、心の準備が——」
ピロンッ。
無慈悲な電子音と共に、ディスコードの通話が繋がった。
俺はビクッと肩を跳ねさせ、反射的に居住まいを正した。
どんな声が聞こえてくるのか。
配信で聞くような、あざとくて可愛らしい、高音の「男の娘ボイス」で挨拶されるのだろうか。
しかし。
スピーカーから響いてきたのは、俺の予想を根底から覆す、とんでもなく『澄んだ音』だった。
『——初めまして。本日はお忙しい中、お時間をいただきありがとうございます。猫川まるきの運営、およびプロデュースを担当しております、鰹節うめお(かつおぶしうめお)と申します。秋谷社長、よろしくお願いいたします』
「…………えっ?」
俺は思わず、間の抜けた声を漏らしてしまった。
男の娘、ではない。
ましてや、裏方の男性スタッフでもない。
スピーカーの向こうにいたのは、明らかに俺より一回り以上年下の、若く、ハキハキとした女性の声だった。
だが、ただの若い女性ではない。
声のトーン、滑舌の良さ、一切の無駄がない言葉のチョイス。
電話口の第一声だけで、相手がどれほど優秀で、どれほどの修羅場をくぐり抜けてきた「本物のビジネスマン」であるかが、びりびりと伝わってくるような、圧倒的な【覇気】を纏っていた。
「あ、えと……株式会社インフィニティ・ワンの、代表……秋谷、です。ルシフェルの中身、というか……その……」
俺の情けない吃音に対し、鰹節うめお先生は、くすりと上品な笑い声をこぼした。
『ふふっ。配信で拝見する「スーパーボトム社長」のキャラクターそのままで、なんだか安心しました。でも、本日はビジネスのお話ですから、クリエイターとして、そして同じ【経営者】として、対等にお話しさせてくださいね』
経営者。対等。
その言葉の響きに、俺の背筋に冷たい汗がツーッと流れ落ちた。
鰹節うめお先生。
結愛から事前に渡された資料によれば、彼女は若くして大ヒット作を生み出した天才漫画家でありながら、自らVTuber事務所を立ち上げ、数億円規模のビジネスを回す『怪物級のクリエイター兼社長』だ。
同じ「社長」という肩書きでも、四畳半で腰を爆発させながら確定申告に泣いている俺とは、住んでいる次元が違いすぎる。
『早速ですが、ルシフェル社長。先日のヨモさんの配信、そして御社の一連のムーブメント、本当に素晴らしいですね。私、感動してしまいました』
「か、感動……ですか?」
『はい。アメリカの税務署(IRS)との戦いや、腰を壊しながらも会社を守ろうとする泥臭い姿。それを海外向けの『怠惰な猫耳娘』という最強のギャップを持つタレントに扇動させることで、世界中のリスナーの同情とエンゲージメントを爆発的に獲得する。……完璧な【ストーリー・マーケティング】です』
「…………」
『普通なら炎上しかねないギリギリのラインを、見事にエンタメに昇華している。あのシナリオを描いたルシフェル社長のプロデュース能力には、正直、嫉妬すら覚えましたよ』
うめお先生の、一切の淀みない分析。
俺は、三万円のゲーミングチェアの上で、ただただ硬直していた。
(……ち、違う……っ!)
俺の心の中で、40歳の悲鳴がこだまする。
シナリオなんかじゃない。プロデュースなんかじゃない。
IRSに怯えていたのも、腰を粉砕したのも、ヨモが勝手にキレて海外から数百万のスパチャを巻き上げたのも、全部ただの【ガチの事故】だ。
俺はただ、荒れ狂う資本主義の濁流の中で、溺れないように必死で犬かきをしていただけなのだ。
だが、この天才クリエイターの目には、俺の無様な生存本能すらも、「計算し尽くされた高度な経営戦略」として映っているらしい。
「あ、いや……その、あれは……たまたまというか……運が良かっただけで……」
『ご謙遜を。偶然であの熱量は生み出せません。だからこそ、私は今回のコラボをオファーさせていただきました』
うめお先生の声が、一段と熱を帯びる。
『今回の配信では、猫川まるきというフィルターを通して、ルシフェル社長のその【底知れぬ計算高さ】と【底辺を演じるリアル】を、徹底的に深掘りさせていただきます。私のリスナーも、間違いなく御社のファンになりますよ』
「ひっ……!」
『当日は、台本なしのフリートークで攻めさせていただきます。ルシフェル社長の生のリアクション、期待していますね。……何かご質問はありますか?』
「な、ないです……! よろしくおねがいします……っ!」
俺はもはや、蛇に睨まれたカエルのように、ひたすら首を縦に振ることしかできなかった。
『ふふっ。では、明日の本番、楽しみにしていますね。秋谷社長』
ガチャリ。
通話が切れ、四畳半の部屋に静寂が戻る。
「…………」
俺は、燃え尽きた灰のように、ゲーミングチェアの背もたれにぐったりと寄りかかった。
『お疲れ様でした、ルシフェル様。見事なまでに先方のペースに飲まれていましたね』
結愛の氷点下の声が、傷ついた心に塩を塗り込んでくる。
「結愛……。俺、明日……死ぬかもしれない」
若く、賢く、圧倒的な実績とオーラを持つ、三億円を稼ぐ本物の天才社長。
対する俺は、月給10万円で税金に怯え、見栄とハッタリだけで生き延びている40歳のハリボテ社長。
明日のコラボ配信は、対談などという生易しいものではない。
「猫川まるき」という可愛らしい皮を被った天才による、俺のメッキを剥がすための【公開処刑】なのだ。
「誰か……俺をタワマンに匿ってくれぇぇ……ッ」
帯広の四畳半に、コラボ前夜の恐怖に震える40歳社長の悲鳴が、虚しく吸い込まれていくのであった。
コメント
1件
うわ…読んでてめっちゃ胸がぎゅってなった( ; ; ) ルシフェル社長、ただの事故で必死にもがいてるだけなのに、天才クリエイターの目には全部“計算尽くされた戦略”に映っちゃってるのが切なすぎる😂💦 「底辺を演じるリアル」って台詞、めっちゃ響いた。逆に“本当のリアル”だからこそ人の心動かすんだろうな。四畳半で腰壊しながら生きてる社長のギャップ萌え、大好きです🥀
191
레몬인
201
そあち♡໒꒱
88
なんたろ
1