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あの日――秋葉原へ行ってから数日が経った。
楽しかった。本当に楽しかった。心の底からそう思った。だって、僕の知らないことだらけだったから、あの街は。
ふと、小出さんが秋葉原で言ってくれた言葉を思い出す。
『園川くんにも、この街を好きになってほしいから』
小出さんは僕にあの街を好きになってほしいと思ってくれた。望んでくれた。願ってくれた。そして、その通りになった。
僕はあの街が、秋葉原という街が好きになった。全ては小出さんのおかげだ。
だけど今、僕は学校の教室の中、椅子に腰掛けながら沈んでいる。心が沈んでいる。まるで泥沼の中に沈んでいくかのように。
その理由は明らかだし明瞭だ。僕は未だに小出さんをクリスマスデートに誘うことができていないのだ。
チャンスはいくらでもあった。一緒に秋葉原へ行って以来、僕と小出さんは前よりもいっそう話すようになっていたから。本やアニメや漫画、そして同人誌について。
なのに、僕は誘うことができなかった。言葉にすることができなかった。
それで気付いたことがあった。何についてと問われるならば、僕の心の中だと答えるしかない。もっと正確に言えば、恋心だ。
僕が最初に小出さんに勇気を出して話しかけたとき、僕は彼女に恋をしているのだと思っていた。一目惚れしたとも思っていた。
だけど、それは違ったんだ。
僕は恋に恋していただけだったんだ。
でも、小出さんと接していく中で、僕の『心のカタチ』は変わっていった。
いつもキョドキョドしている小出さん。本のことになると夢中になって止まらない小出さん。好きなものに一直線な小出さん。秋葉原で知った、ちょっとイタズラ好きな小出さん。僕の知っている全ての小出さん。
そんな彼女に、僕は本当の恋をしたんだ。恋に恋していた僕の『心のカタチ』はいつの間にか変わっていき、本当の意味で小出さんに恋をしたんだ。本気で好きになってしまったんだ。
だからこそ、言えなかった。誘えなかった。
断られてしまうことを怖がって。
今日の日付は十二月二十四日。つまりはクリスマスイヴ。今日が最後のチャンスだった。なのに、僕は――。
「大丈夫? 園川くん? ボーッとしてるけど」
「え!? こ、小出さん! ど、どど、どうしたの!?」
「どうしたのって。ううん、もう帰りのホームルームが終わっちゃてるのに動かないから。それになんだか最近、元気ないなって思って。心配で」
言われて気付いた。ホームルームが終わってたんだ。そして僕は教室のぐるりを見渡す。皆んなはすでに帰り支度を始めていた。でも、僕のことを心配してくれてたんだ、小出さん。
「だ、大丈夫だよ! ちょっと考え事をしてただけだから。元気だよ!」
「それならいいんだけど……。そうだ。あの、これ」
小出さんは僕に用紙の束を手渡した。パンチで開けた穴に紐を通して括ってある。もしかして、これって……。
「うん、私が書いた小説。渡すの忘れちゃってて。ごめんね」
「――小出さん」
書いた小説を僕に手渡すと、小出さんも帰り支度を始めた。今、言わなきゃ。誘わなきゃ。勇気を出さないまま、今日を終わらせたくはない。もしそうなったら、僕は一生後悔することになるだろう。
「こ、小出さん!!」
乾いた教室の中、僕の声が響き渡った。そして、鞄を手に持って、これから帰ろうとしていた小出さんは足を止めて僕を振り返る。
でも、出ない。声が、出ない。どうして言えないんだ! 言葉にできないんだ! 誘うこともできないんだ!
「……どうしたの、園川くん? なんか変だよ?」
言わなきゃと思えば思う程、僕の喉が締め付けられるような感覚を覚える。こんなこと、生まれて初めての経験だった。
「――ごめん、なんでもないよ」
「そっか。それじゃあ園川くん、また来週ね」
僕に手を軽く振り、小出さんは教室を出て行った。それをただただ見送る僕がいた。
「終わった、な」
それからしばらくの間、僕はその場から動くことができなかった。生まれて初めて恋の辛さを知り、その苦味を感じながら。
『第17話 恋心だよ小出さん!』
終わり