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次元の境界、世界の境界、呼び方は様々なのだろうが、世界と世界の変わり目というのは、那由多が思っている以上に不思議な場所だった。
「大丈夫、少しヒンヤリするくらいだから」
強風に髪を流しながら那由多は言う。
目の前に広がるのは、巨大な水の壁。滝のように流れ落ちている訳ではない。高天原商店街を少し歩き、民家や商店がなくなってきた頃、道の真ん中に水の壁が立っていたのだ。高さは約三メートル、幅は二メートルほど。本当に、道の真ん中に水の壁が立っている。
「どうなってるんだ?」
文也が裏側へ回ると、水の壁の向こう側に文也の姿が見えた。
「薄いな……。見たところ、数ミリもない……」
グルリと一周してきた文也は、得心がいかないように何度も首を傾げる。
この世界の事には色々慣れてきたつもりだったが、やはり、まだまだ驚くべき事が沢山あるようだ。
「ここがオリュンポスの入口……。もしかすると、同じような場所がいくつもあるんですか?」
「THAT’S Right.。この世界にはね、こういったゲートが幾つも存在している。ここは、偶々オリュンポスの入口だけど、違う場所には、アールヴヘイムやニヴルヘイムなんかへ通じるゲートがある。ここからエデンへ直接いけるゲートもあるけど、そっちのゲートからだと常世の森までもの凄く遠いんだ」
「歩いて四、五年ってとこだな」
「四五年……!」
「こちら側の世界を、人間界と同じ尺度で考えると大変なことになる。ゲートを間違えると、とんでもない所へ出されるからな」
「そうなんですか……」
「だが安心しろ! この俺様がいるんだ! 道に迷う事は無い! よし! いくぞ!」
巨躯を揺らした素戔嗚は、迷う事無くゲートを潜る。不思議なことに、ゲートは物音一つ立てず、静かに素戔嗚を受け入れた。薄いゲートであったが、通り抜けた瞬間から、素戔嗚はあちらの世界に行っているらしく、典晶の目には消失してしまったかのように見えた。
「じゃあ、典晶君と文也君も」
那由多に促され、典晶と文也はほぼ同時にゲートを潜った。
一瞬だけ、ヒンヤリとしたものの、すぐに熱気が典晶の体を包み込んだ。
「うっ……」
降り注ぐ太陽の光に、典晶は目を細めた。右手で日差しを作り、周囲を見渡す。
「………」
先ほどまでいた古風な民家の建ち並ぶ通りから一転して、今度は太陽の光が降り注ぐ広大な畑の中にいた。
「ここは……」
背後から出てきた文也も同じように呟く。
「オリュンポスだ。ったく、いつ来ても何もねー所だぜ!」
「偶々、此処がそう言う場所なんだよ」
ゲートから那由多が飛び降りてくる。
「ここがオリュンポス……」
典晶は周囲を見渡した。
それは、典晶が想像するギリシャ神話に登場する舞台とは、何から何まで違っていた。広がるのは長閑な風景。見渡す限りの畑で、青々とした野菜達が育っている。少し先には、果樹園らしき物が見えた。高天原商店街以上に普通の風景だ。唯一、イメージ通りなのは抜けるような青空の下に横たえる山脈、その頂上には神殿らしき物が建っているが、余りにも遠すぎて細部まで見る事はできない。
高天原商店街は空気が重く感じたが、開放感のあるオリュンポスは人間界と同じ空気を持っていた。見える範囲では神々もいないため、本当に此処がオリュンポスなのかと疑いたくなる。
「えっと、次のゲートは……」
那由多は周囲を見渡すと、スタスタと歩き出す。素戔嗚も後に続いた。
「素戔嗚、やっぱり、オリュンポスの神々も、人間の事は余り好きじゃないのか?」
典晶は囁く様に問いかける。素戔嗚は、「ん?」と、眉根を寄せると、少し前を歩く那由多を見て、白い歯を見せた。
「アイツに何か言われたか。神は人間が嫌いとか、そんな事を言ったんだろう」
「えっ……?」
典晶は那由多を見た。彼はこちらの話に気がつかない様子で、どんどん先に行ってしまう。
「まあ、那由多はそう思っても仕方が無いだろうな。アイツの人生は俺達神々が修正不可能なほど狂わしているからな。俺達を恨んだとしても仕方が無い」
「知らなかった。やっぱり、那由多さんも色々背負っているんだな」
神妙な面持ちで那由多の背中を見つめる文也は、「な?」と、相づちを打ってくる。典晶は素戔嗚の言っている『修正不可能な仕打ち』を知っているから、余計素戔嗚の言葉が胸に刺さった。
もし、神や悪魔に両親を殺され、望まない力を一方的に授けられたとしたら。自らを親だと思い込まされ、他人の子を世話をする両親達。それを毎日目の当たりにしている那由多の心は、いかほどの物だろうか。典晶には、想像すらできない。年もさほど違わないというのに、那由多はまるで別世界の住人だ。
思い詰める表情の典晶を見て、素戔嗚は「ハッ」と、笑う。
「神も捨てたもんじゃねー。中には、人間が嫌いな奴らも沢山いるがな、それ以上に好きな奴らもいる」
素戔嗚は巨大な手で典晶と文也の頭をガシガシと擦った。乱暴で痛かったが、素戔嗚から伝わってくる暖かさは本物だった。典晶は、素戔嗚達がいるだけで、神様を嫌いにはなれないだろう。
「素戔嗚!」
前を歩いていた那由多が足を止めた。彼の前には、一人の少女が岩の上に座って休憩をしていた。
「あらあら、これは素戔嗚様、お久しゅうございます」
少女は立ち上がると、こちらに深々とお辞儀をした。
牧歌的な少女だった。大きな麦わら帽子に、黒いシャツにカーキ色のオーバーオール。日に焼けた小麦色の肌に大きな瞳、柔らかそうなブロンドの髪は汗に濡れて額や首筋に張り付いていた。首にはタオルを掛けており、彼女の足元には収穫したばかりのオレンジが籠一杯になっていた。
「お、おう……! 久しいな……!」
素戔嗚は手を上げると、顔を赤くしてあらぬ方向を見た。
少女は不思議そうに素戔嗚を見て首を傾げたが、すぐにこちらに目を向けて、「あらあら」と目を細めた。
「彼らはデヴァナガライのお友達ですか? 普通の人間が訪れるなんて、珍しいですね」
「うん、友達なんだ。手前にいるのが土御門典晶、奥が伊藤文也」
「初めまして、典晶です」
「文也です」
「あらあら、初めまして。私はヘスティアと申します」
少女、ヘスティアは深々と腰を折ってお辞儀をした。つられて、典晶と文也もお辞儀をした。その時、典晶の横で文也のリュックサックの口が開き、方位磁石や日本地図、ランプや寝袋など訳の分からない物が地面に散乱した。