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ディオナの雰囲気は、ずっと見てきたものとは大きく異なった。それが夢魔としての本来の彼女の姿で、その危険性を理解して瞬時に迫ったのは、ヒルデガルドだけだった。だが、ディオナはクレイを抱いたまま空高く飛んで──。
「さあ、見て。クレイ。今のあなたでは、彼女たちに太刀打ちできる? できないわよね、可哀想に。でも、私なら手伝ってあげられる。そうでしょう?」
頬を撫でられ、傷を触れられ、クレイは全身から力が抜け、彼女の言葉のすべてが染み渡ってくるような感覚に陥る。桃の香りが鼻腔をくすぐり、思考がまとまらない。心地良い海の中を漂う感覚に、彼は意識がぼんやりし始めた。
「そうだな……その通りだ、ディオナ」
「でしょう。じゃあ、私に力をくれるわよね?」
くすくす笑って、彼の首筋に噛みつく。
ヒルデガルドが杖を差し向け、雷撃を放った。だが、軽々と弾かれ、彼女を止めることができない。クレイの魔力を自分の力に重ねて壁を張ったのだ。
「まずいな、奴はクレイの力を吸収しているぞ。イーリス、君の力を貸せ!」
「うん、わかった! 役に立てるか分かんないけど……!」
二人で竜翡翠の杖を手に、空へ高く掲げる。もはやクレイの状態など気にしている場合でなければ、呼びかけている暇もない。ヒルデガルドは急いで魔力を込めて、ディオナごと完全な消滅を狙った。
「いくぞ、イーリス。杖を離すなよ──《クリア・ゼロ》!」
光が伸びていく。だが、ディオナの張った壁が、ヒルデガルドの魔法と相殺した。空に広がった薄紫の魔力の壁にぶつかって、一気に魔力を削がれる。ディオナは大きな笑い声を響かせて、彼女を嘲った。
「馬鹿ねえ、あなたの魔法は確かに強いけど、とっくに対策済みなのよ! 知ってるわ、無属性の魔法! 直撃した対象を完全消滅させるなんて脅威にもほどがあるもの。でも、そのぶん魔力の反動は大きい。そうでしょ?」
ヒルデガルドが膝をつく。イーリスが彼女を支えた。
「……悪い、イーリス。君の魔力まで借りたのに」
「ううん、ボクは平気だよ。でもアイツはまだ……!」
「わかってる。あいつは、もう完全にクレイを取り込んだ」
ディオナは眼鏡をはずし、クレイと一緒に手放して落とす。完全に力を吸収されてしまったクレイは、もはや使い切った道具も同然の用済みだ。ただそこにいるだけで強烈な魔力の波動を全身にびりびりと感じるほど、彼女は強くなっていた。
「もう大賢者も限界ぎりぎりってところね。わざわざ馬鹿な勇者様を唆して冥界まで押し込んでやったのに出てくるだなんて予想外だったけど……ふふ、誰かと胸の熱くなるような戦いでも繰り広げてたのかしら?」
薄桃の光から鞭を手に、彼女はけたけた笑い、高く振るって──。
「さあ、もうこんな戦争はおしまいにしましょ? だって無駄だもの。勝てるって分かってるのに、わざわざ時間をかけるだなんて、ねえ!──《デスラトクション・ヴァイパー》!」
ディオナを中心に、巨大な竜巻が起きる。魔力の流れる風はあらゆるものを粉々にしながら巻き込んでいく。直撃すれば一巻の終わりだ。少ない魔力で、ヒルデガルドは壁を張った。
(幸いにも、奴が放つ竜巻は私たちのいる方向だけ……。もう一度、《クリア・ゼロ》を撃つだけの魔力はない。ならば、極限まで耐える以外に助かる道はない)
杖を突きたて、深呼吸をする。
「アーネスト、私から絶対に離れるなよ! イーリス、私と君の魔力を限界まで吐き出してでも、首都を守るぞ! 飛空艇の時よりも厳しいかもしれないが、ここが踏ん張り時だ! 命懸けで耐えろ、それが私が指示できる最善だ!」
巨大で分厚い、これまでにないほどの大結界で、イルネスの全力を受けたときとも比べられない巨大な破壊力を持った竜巻を受けとめた。全身が引き裂けそうな痛み。大結界の維持に尽くす二人は、血を吐きながらも耐え続けた。
弱音は吐かない。決して下がらない。──それでも、限界だ。
「だ、めだ、ヒルデガルド……! ボク、もう……!」
「ああ、流石に耐え切れん!」
結界が破られるのは秒読みだ。ヒルデガルドは、傍にいたイーリスのローブの襟を掴み、アーネストに預けて。
「走れ、アーネスト。結界のおかげで威力は落ちてる。君なら数秒で、この竜巻の範囲外まで走れるはずだ。……すまん、イーリスを頼む」
「っ……! わかった。死ぬなよ、ヒルデガルド」
イーリスは既に力を使い過ぎて気を失っている。その状態でよく持った、とヒルデガルドは微笑んで、苦渋の決断の中を走り去っていくアーネストを見送った。今の自分にできるのは、もうこれくらいしかない、と。
「情けないのう、大賢者よ。まだぬしにはやることがあるじゃろう」
「イルネス……。どうして戻ってきたんだ?」
結界に罅が入る。もうじきか、とイルネスはヒルデガルドの前に立って、それをジッと見上げながら。
「もう皆の退避は済んだ。ぬしの仲間も、この顛末を遠くから見守っておる。ゆえ、儂が来てやったというわけじゃな。フフフ、誇りに思えよ」
結界が砕けて崩れていく。イルネスは、なんの躊躇いもなく竜巻へ向かって歩いた。太い尾を揺らし、自信に満ちた足取りで、手をひらひらと振りながら。
「生きてミモネに伝えよ。──約束、守れなくてすまぬ、とな」