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「もういいだろう。その辺にしとけ」
堪え性のないグレンシスは、ティアに手を伸ばす。
「ひぃ……!」
大きな手から逃れようと身をよじったティアは、追い詰められた小動物のように、車内の隅に逃げる。
「ほぅ」
グレンシスの眉がピクリと動く。これは、実力行使の合図である。
身体が大きいグレンシスは、足も長ければ、腕も長い。
そんな彼が馬車の踏み台に片足を置いて手を伸ばしたら、あっという間にティアは捕らえられてしまう。
「手こずらせるな。行くぞ」
グレンシスはティアの脇に両手を差し入れて、馬車から引きずり出した。
ティアを片腕に抱き直したグレンシスは、反対の手で馬車の扉を閉めると大股で歩き出す。
態度とは裏腹に、ティアを抱えるグレンシスは、壊れものを扱うように慎重だ。
少し離れた丘までゆっくりと歩き出したグレンシスに抱かれているティアは、自分の両手をどうしていいのかわからず、胸の辺りで彷徨わせている。
本来なら、抱いてもらっているグレンシスの負担を軽くするために、彼の肩に手を置くなりすべきなのに。
幼い頃、バザロフにそうされた時は、ティアは何の躊躇もなく、あの太い首に腕を巻き付けていた。
けれど、同じことをされているとはいえ、相手が違えば対応だって変わってくる。気持ちだって全然違う。
なにせ、今、自分を抱いているのは、片想い中のエリート騎士なのだ。
娼館育ちの自分が気軽に触れていい相手ではないし、彼の首元に腕を回すなんて天が許しを与えても、自分が許さない。恐れ多すぎる。
そんな理由で、ティアはグレンシスに極力触れないよう頑張っているのに、当の本人はその涙ぐましい努力に気づくどころか、呆れ顔になる。
「器用なことをするな。ほら、しっかり掴まっていろ」
「でも……」
「でも、じゃない。ったく、毎回毎回、こんなことを言わせるな。いい加減慣れろ」
コノヤロウ。という暴言を、ティアは寸前のところで飲み込んだ。でも、いっそ言われた通り、騎士様の首に腕を回して、そのまま絞めて差し上げようかと思ってしまう。
捻挫した足が腫れているせいでティアは、こうしてどこに行くにしてもグレンシスに抱かれている。
正直なところ彼に触れられる度に、心臓がバックンバックンするから、痛む足で歩いたほうがまだマシだ。
グレンシスは簡単に慣れろというけれど、一体、どうやって慣れたらいいと言うのか。
こんなこと、慣れるわけがない。それにこんな贅沢、慣れたらいけないのだ。この幸せな時間には終わりがあるというのに。
自制するティアとは対照的に、グレンシスはこれから先もこの時間が続くかのように接してくれている。
(……この騎士様は、一体、自分をどうしたいの?)
うんざりとした気持ちで、ティアは鼻歌を歌いだしそうなほど、ご機嫌でいるグレンシスを睨みつけようとする。
でもその直前、グレンシスの足が止まった。休憩場所に到着したのだ。
休憩にと選んだ場所は、街道から少し離れた小高い丘。頂上には、大きなケヤキがあり、広い木陰を作っている真夏の休憩にもってこいの場所だった。
帰還仲間であり部下の騎士3名は既にお茶の準備を整えて、ティア達の到着を待っていた。
そして、ティアとグレンシスが到着した途端、王宮騎士達はバトラーへと変身した。
「さっ、ティアさん、お茶どうぞ。今日は暑いですから、冷たいお茶を用意しましたよ」
そう言いながら、オレンジのスライスを入れた紅茶を、木のコップに注ぐトルシス。
「ティアさん、お菓子もどうぞ。これ、途中の村で買って来たんです」
自信満々に、クランベリーとナッツが入ったパウンドケーキを並べた木の皿をティアの目の前に突き出すカイル。
「果物もありますよ。今、切りますから、ちょっと待っててくださいね」
小型のナイフを懐から取り出して、慣れた手つきで熟れた桃の皮をむき出すバルータ。
そんな騎士達を目にして、ティアはゆっくりと瞬きを2回した。
けれど、これは見間違いでもなければ、夢でもない。現実だ。
にこにこと笑いながら、いそいそと世話を焼く騎士たちの姿を目にして、ティアは困惑してしまう。
この光景は、王都へと帰還し始めてからずっと変わらないが、やっぱり何度目にしてもティアは慣れることができなかった。