テラーノベル
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「───静かにしてください」
徹さんの低く、地を這うような声に、場は氷ついたように静まり返った。
隣に立つ私でさえ、その気迫に一瞬呼吸を忘れるほどだった。
「徹、親族の前でなんて無作法な……」
静江さんが嗜めようとするが、徹さんはそれを鋭い視線で遮った。
「無作法なのはどちらですか。……俺の大切な婚約者を、寄ってたかって値踏みし、辱める。それが高橋家の誇るべき『教養』なんですか?」
「徹くん、落ち着いて。皆さんはあなたの将来を心配して……」
麗奈さんが取りなそうと手を伸ばすが、徹さんはその手を冷たく撥ね退けた。
「俺の将来を決めるのは俺自身です。麗奈、君との間にあったのは単なる親同士の約束であって、俺の意志じゃない。……俺がこの人生で唯一、自分の意志で、必死になって手に入れたのは、結衣だけなんです」
徹さんは私の震える手を引き、親族一同を見渡した。
「彼女は、皆さんが言うような『何も持たない女』じゃない。……仕事では誰よりも現場の声に耳を傾け、俺が独りよがりになりそうなとき、真っ直ぐな言葉で軌道修正してくれる」
「偽装から始まったのは事実ですが、結衣はなにも悪くない。元々彼女の誠実さに触れ、救われ、最初から恋をしていたのは……俺の方です」
「徹……あなた、正気なの?」
静江さんの声が震える。
「正気です。……もし、高橋家の名を守るために、彼女の誇りを傷つけなければならないというのなら、そんな名前、俺には必要ありません」
徹さんは、懐から一通の書類を取り出し、テーブルの上に置いた。
「徹さん…?それって……」
驚きを隠せず、私が呟くと
それは、実家との縁を切る覚悟を記した手紙だった。
「俺は、高橋徹としてではなく、一人の男として田中結衣の隣にいたい。……母さん、これ以上彼女を否定するなら、俺は今日この瞬間をもって、この家を出ます」
「……っ!!」
親族たちの間に、激震が走る。
跡取り息子が家を捨てる。
それはこの名家にとって、何よりも恐ろしいスキャンダルだ。
私は、徹さんの横顔を見上げた。
私を守るために、彼は積み上げてきた全てを投げ出そうとしている。
その覚悟の重さに、涙が溢れて止まらなかった。
「……徹さん、そんな、そんなことしたら…!」
「いいんだ、結衣。……俺は、君がいない世界で高橋家の主になるより、君の隣で笑っていられる無名の一人でありたい」
静まり返った大広間。
静江さんは青ざめた顔で書類を見つめ、麗奈さんは言葉を失っている。
誰もが徹さんの「本気」に気圧されていたその時、意外な人物が口を開いた。
「……ふん。相変わらず極端な奴だな、お前は」
声を上げたのは、部屋の隅でずっと黙って酒を飲んでいた
徹さんの祖父であり、高橋家の前当主・正蔵さんだった。
#ワンナイトラブ
おまる
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