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卒業式の日は、やけに静かだった。
実際には、体育館は騒がしくて、
拍手も、校歌も、
全部ちゃんと鳴っていたはずなのに。
僕の中では、
音が一枚、薄くなっていた。
若井が隣に立っている。
式の間、何度か視線が合って、
目だけで笑い合った。
それだけで、十分だった。
式が終わって、
校舎の前は写真を撮る人で溢れていた。
若井が何か言っている。
「撮ろうぜ」と言っているのが、
口の形で分かった。
僕は頷いた。
シャッターの瞬間、
若井の肩が、少しだけ僕に寄る。
音は聞こえないのに、
その距離だけが、やけにリアルだった。
涼ちゃんは、最後に現れた。
もう制服じゃなくて、
少し大人びた服を着ていた。
「卒業、おめでとう」
その口の動きは、はっきり読めた。
涼ちゃんは僕を見て
それから若井を見て
何も言わずに、軽く頷いた。
それが、
「任せた」の合図みたいで。
僕は、少しだけ背筋を伸ばした。
高校が終わっても、
無音病が終わるわけじゃなかった。
若井の声は、相変わらず聞こえない。
それどころか、
静かな場所にいると
聞こえなかったはずの声が
あとから心に戻ってくる。
あの時の笑い。
廊下の視線。
名前を呼ばれた気がした錯覚。
後遺症みたいに、
感情だけが遅れてやってくる。
大学進学を控えた春。
カフェで向かい合って座る二人。
周りの雑音は聞こえるのに、
若井が何を話しているのかは
やっぱり分からない。
僕は、ふと視線を落とした。
(この先も、ずっと)
(このままなのか)
胸の奥が、静かに痛んだ。
帰り道、僕は立ち止まった。
「……ねぇ」
若井が振り返る。
「僕さ」
言葉が、喉で詰まる。
「たまに、怖くなる」
正直に言った。
「聞こえないだけじゃなくて
……心まで、遠くなる感じがして」
若井は、しばらく黙っていた。
それから、
ゆっくり、近づいてきた。
若井は、僕の額に、自分の額を軽く当てた。
距離が、近すぎて、
口の動きが、よく見えた。
「逃げるな」
短い言葉。
「遠くなっても、 戻ってきて」
僕の喉が、熱くなった。
「僕さ」
僕は、やっと続けた。
「この病気のせいで、色々失った」
友達。
安心。
普通。
「でも」
若井を見上げる。
「若井だけは、残った」
若井は、少しだけ笑った。
「残ったんじゃない」
口の形が、そう言っていた。
「選んだ」
夜。
一人になると、
相変わらず静かで、
時々、過去の声が浮かぶ。
でも今は、
その静けさの中に、居場所があった。
聞こえない声。
でも、離れない存在。
僕は思う。
この後遺症は、
完全には消えない。
心に残る、薄い傷みたいに。
それでも。
隣に若井がいる限り、
この静かな世界は、
独りじゃない。
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