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会場を埋め尽くす観客の熱気と、何十台ものカメラが放つ威圧感。
『アイアン・シェフ・フェス』の決勝ステージ。
中央に立つ蓮は、万雷の拍手を浴びながら、これ以上ないほど輝かしい笑顔を振りまいていた。
「……さあ、いよいよ実演調理の開始です! 王者・蓮シェフが披露するのは、自身の原点にして頂点、『至高のフォアグラソース』の完成形だー!」
実況の声が響き渡る。
僕は蓮の背後、数歩下がった定位置に控えていた。
手袋の中の右手が、ステージの照明を浴びて熱を帯びる。
「カナタ、オイルだ。最高の瞬間を見せてやる」
蓮が低い声で命じる。
僕は、あの銀色のボトルを彼に手渡した。
「もちろんです、シェフ。……世界を、驚かせてやりましょう」
蓮は流れるような動作で、超高温に熱せられた巨大な鉄板にオイルを引いた。
ジューッ、という心地よい音と共に、高級な香りが会場に広がる。
ここまでは、僕が教えた「完璧な演出」通りだ。
「この料理は、私の魂そのものです。かつて切磋琢磨し、志半ばで消えた親友への想いを込めて……」
蓮がカメラに向かって、潤んだ瞳で語りかける。
会場からは感動の溜息が漏れた。
盗んだレシピを、偽りの涙で飾り立てる。
その滑稽な芝居のピークで、僕は懐から「特製燻製塩」を取り出した。
「シェフ、仕上げのスパイスを」
「ああ。……これですべてが決まる!」
蓮は僕から受け取った塩を、確信に満ちた手つきで鉄板の上に振り撒いた。
その瞬間だった。
「───っ!? 何だ、この臭いは……!?」
最前線の審査員たちが、一斉に鼻を突いた。
黄金色に輝くはずだったソースが、鉄板に触れた瞬間、粘り気のある真っ黒な泥へと変貌していく。
僕が仕込んだオイルと塩、そして超高温の熱。
それらが連鎖反応を起こし、厨房にあるまじき「腐敗臭」を撒き散らしたのだ。
「えっ……嘘だろ? なぜだ、温度は完璧だったはず……!」
蓮の顔から血の気が引いていく。
焦った彼は、さらに火力を強めようと操作ミスを犯し
黒い泥はボコボコと不気味な泡を立て、鉄板の上で炭のようにこびり付いた。
「おい、蓮!どうしたんだこれは!」
主催者が駆け寄るが、異臭はもはや隠しようがない。
生放送の画面には、真っ黒に汚れた鉄板と、脂汗を流して狼狽する「天才」の姿がアップで映し出される。
「カナタ! おい、カナタ! どうなっている!? お前が調整したんだろう!?」
蓮が狂ったように僕の胸ぐらを掴んだ。
マイクがその声を拾い、会場全体に響き渡る。
自分では何もできない「天才」の正体が、剥き出しになった瞬間だった。
「……どうしたんですか、蓮シェフ」
僕は、掴まれた手をゆっくりと振り払った。
そして、カメラが僕たちを捉えていることを確認し、右手のグローブをゆっくりと、一本ずつ外していった。
「そのレシピの『本当の扱い方』……お前には、一生理解できないと思っていたよ」
グローブを脱ぎ捨てた僕の右手。
そこには、赤黒く引きつれた、醜い大きな火傷の痕が露わになっていた。
「な……っ、その手……。お前、?なんで……お前が……っ!!」
蓮の瞳に、初めて「恐怖」が宿る。
数年前、彼が焼き潰したはずの男の残像が、目の前の「カナタ」と重なったのだ。
「召し上がれ、蓮。……これはお前の罪の味だ」
会場の照明が、僕が仕込んだ演出によって、一斉に紫外線ライトへと切り替わった。
台の上に置かれたレシピノート。
その最終ページに、血のような赤色で、あるメッセージが浮かび上がる。
『泥棒に、栄光の味は分からない』
数千万人の視聴者の前で
王者の仮面が、音を立てて崩れ落ちた。
エージェント67
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