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「ねえ碧羽。ちょっといい?」
10月の昼下がり、学級日誌を書いていると、凜に声を掛けられた。
「おお、どうしたの。」
「実は、ちょっと碧羽に聞いてほしい話があってさ。」
その真面目なトーンに事情を察し、あまり人の居ない階段の踊り場へと凜を連れ出した。
凜は、幼稚園から今日までずっと仲良くしている友達だ。
元気で明るく、勉強は出来ずとも友達の多い陽キャタイプだが、敵を作らないのが上手く、きっと本当は頭が良いのだろうと踏んでいる。
「で、どうしたの。」
「その、田島くんのことなんだけどさ。」
まさか彼女にこの話題を振られるとは思っておらず、つい息を呑んだ。
「多分さ、きっといじめられてるよね。」
「……どうしてそんなこと僕に聞くの。」
こんなこと、質問せずとも分かっているのに、何故聞いてしまうのだろう。
「だって、碧羽も緋縅さんにいじめられてたじゃん。」
僕は六年生の時、緋縅さんにいじめられていた。
そんなに壮絶なものでも無いが、不登校になるほどに追い詰められたものだ。
あいさつを無視されるところから始まり、棘のある口調で注意されたり、裏で陰口を言われたりした。
いじめにより30日以上休むと”重大事案”として取り扱われるらしく、報告書の作成のために先生から話を聞かれることもあった。
だが、その時の対応もひどいもので、緋縅さんを守るような言動が多く見られた。
……と、概要としてはこんなものだろうか。
正直、あまり思い出していて気持ちの良いものではないので、この話はしたくない。
トラウマのフラッシュバックに苦しみ、夜に部屋で叫んで暴れることだってあった。
そのあたりは凛だって分かっているはずなのに、何故わざわざ掘り起こすのか。
「……それはもう先生に言った?」
「いや。碧羽のやつ見て、先生って頼りないって思っちゃったからさ。」
「そっか。まあ、全ては田島が嫌だと思うかどうかだからね。今度それとなく聞いてみるよ。」
この話題を早く終わらせたくて、口だけの約束を取り付けることにした。
ただ、田島の現状には、同じくいじめられた身として興味はあった。
『心配してくれてありがとう。でも、これは全部僕が悪い。それに、このクラスはもう変わらないと思う。だから我慢するしかないんだ。田島』
そう書かれた紙を母さんの前に広げた。
「大丈夫かってメモ用紙に書いて渡したら、こんなの返ってきたんだよ。」
そう説明しながら、要点だけが書かれたメモから彼の真意が読み取れず首をひねる。
そんな僕とは対照的に、母さんは全てが分かったように頷いていた。
「なるほどね。つまり、田島くんはもう諦めているんだね。」
「何で?やられっぱなしじゃ悔しいじゃん。」
そう尋ねると、母さんは食器を洗う手を止めこちらに問いかけた。
「じゃあ聞くけど、碧は日本語の通じない相手と話し合える?」
「そりゃあ出来ないけど……。」
「碧の思ってるほど、中1って大人じゃないよ。」
そんなこと言われなくても、そのギャップに苦しめられてきた僕は痛いほど分かっている。
人よりも精神の成長が早いというのは、学校の先生や精神科の先生からも散々言われてきた。
それだけなのに、デリカシーのない言葉の数々に囚われ、気を使いすぎて疲れてしまう。
少し、緋縅さんのことを思い出した。
”トランスジェンダー”というだけで人のことを軽蔑し、人に危害は加えないという説明を聞かずにいじめる彼女。
胸が、ちくりと痛んだ。
次の日、学校に行くと、黒板に相合い傘が描かれていた
『田島裕貴 篠山先パイ♡』
或真や夕弦たちのグループがやったのだろう。
篠山先輩は確か、田島と同じ卓球部の二年の先輩だったはずだ。
その傘を見て笑うやつらに、田島がやめろよと冗談交じりに咎める。
(田島は今、どんな気持ちでやめてと言っているのだろうか。)
正直、田島は或真たちと同族だと思っていた。
でも実はもっと大人で、彼自身が道化を演じているのだとしたら?
同じ苦痛を味わっているのかも知れない彼は、僕の知らない田島だった。
と、不意に母さんの言葉が思い出された。
『碧は田島くんを助けたいってよりも、自分がいじめられた、弱者だった頃を思い出すから不愉快なんでしょ。』
その夜、僕は暫く寝ることが出来なかった。