テラーノベル
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鏡の中の自分は、ひどく他人のように見えた。
淡い象牙色をしたドレスの胸元をナディエルに整えられながら、リリアンナは小さく吐息を落とす。
そんなリリアンナへ、ナディエルが何度目になるか分からない視線をそっと向けていた。
鏡の中のリリアンナは、綺麗に背筋を伸ばして座っている。長いことクラリーチェ先生について習ってきただけのことはある。淑女らしく整った美しい所作も、いつもと変わらない。
それでも――なにかが、決定的に違って見えた。おそらくはどこか沈んで見える表情のせいだろう。
さきほど外から戻ってきてからずっと、リリアンナは元気がなかった。
声は穏やかで、指示も的確。貴族令嬢としては文句のつけようがない。
けれど、すべてにいつもの〝熱〟がなかった。
こうして鏡の前に座っていても、常ならばリリアンナは鏡越しに背後のナディエルを見つめ、表情をころころと変えながらいろんな話をしてくれる。
それがないのだ。
デビュタントを目前に控えて緊張しているというのもあるだろう。
でも、リリアンナの性格からして、それならそれで『ねぇ、ナディ。私、すっごく緊張してるの! どうしよう!』などと自分を頼ってくれるはずだ。
それすらないのはやはり異常事態に思われた。
「リリアンナお嬢様、先ほど外で何かあったんじゃありませんか?」
問いかけても、リリアンナは曖昧に微笑むだけで、何も話してはくれなかった。
まるで興味がないみたいに両手に抱えられていた花かごの花は、ほかの侍女が花瓶に生けてこの部屋の窓辺に飾ってくれた。けれど、愛らしい花々にも、リリアンナは気がないらしい。
「お嬢様、せっかくだからいくつか萎れないように細工をして、髪に飾り付けてはどうでしょう?」
花瓶のなかの花を撫でながらナディエルが問えば、リリアンナは力なく首を振った。
「あまり……見ていたい花じゃないの……」
その言葉が起きたことの片鱗をにじませているようで、ナディエルは思わず贈り主の名を聞いてしまっていた。
「……ごめんなさい、ナディ……。今は……その話もしたくないの……」
だけどリリアンナは一瞬泣きそうな顔をして、うつむいてしまう。
老執事ラウの話によれば、花売りの少年が外で花を贈りたいと待っている人がいるから……と、リリアンナを屋敷から連れ出したらしい。
そうしてそれに気付いたランディリックが、リリアンナを連れ戻しに行ったという話も聞いた。
旦那様が連れ戻しに行かれたのなら大丈夫だと思っていたのに……。
戻ってきた時、リリアンナの傍に彼の姿がなかったのは、どういうことだろう?
(旦那様は一体どこへ行ってしまわれたの?)
リリアンナが話そうとしてくれないので、ナディエルが知っているのは断片的な事実だけ。
不明なことが多すぎて、モヤモヤしてしまう。
(リリアンナお嬢様、何をそんなに落ち込んでいらっしゃるの?)
明らかに主人が塞いでいる様子なのに、理由がわからないから、どう慰めていいのか分からない。
それがとってももどかしい。
ナディエルは気持ちばかりが焦って、胸の奥が落ち着かなかった。
「……ナディ」
不意に名前を呼ばれ、手が止まってしまっていたことに気付いてハッとする。
「私は大丈夫よ。――続きを……お願い」
そう言って向けられた微笑みは、柔らかい。
だが、いつものように思わずこちらもつられて笑顔になってしまうような、明るさがない。
それが、ナディエルの胸にチクリとした痛みを落とした。
「……かしこまりました」
返事をしながら、ナディエルは再びドレスの背を整え始める。
今日は、リリアンナにとって、大切な社交界デビューの日。
祝福されるべき日だ。
なのに、鏡に映るリリアンナの瞳は、どこか伏せられたまま――。
(……会場では……お嬢様が、ちゃんと笑えるようになっていますように)
リリアンナの不安そうな顔を見て、ナディエルはそう祈らずにはいられない。
控えめなノックの音がしたのは、そんな折のことである。
ナディエルが反応するよりも早く、扉の向こうから声が届いた。
コメント
1件
ナディエル、心配ね。