地下を出た後、三人はすぐに屋敷の客間へ戻る。放置されていた麦茶のコップが、わずかに汗をかいていた。
再び浸と和葉は圭佑と向かい合うようにして座る。
「先程お伝えしました通り、あの場所はかつてカシマレイコが人身御供となって亡くなった場所です。おわかりかと思いますが、あの棺にはカシマレイコが閉じ込められていました」
院須磨町は現代では一般的な人口の町だが、元々はかなりの過疎地域で、一時期は村といよりは集落に近かったらしい。
「当時……確か明治辺りですね。院須磨村では疫病が流行していました。都市部と違ってまともな医者もいなかったものですから、何人もの村民が犠牲になりました」
圭佑がここまで話した時点で、浸はある程度続きを察することが出来た。
「今でこそ科学技術が進歩し、大抵の病は原因がわかりますし治療することも出来ますが、当時はそういうわけにはいきません。そして医学知識のない人達にとっては災害も病も等しく祟りと変わりません」
圭佑は、目線を少し和葉に寄せつつ話し続ける。
「それで当時の村民は、正体不明の疫病という祟りから逃れるためにある手段を選びました」
「……ある、手段……?」
和葉の言葉に、圭佑は頷く。
「それが、人身御供としてカシマレイコを捧げることだったのです。神へ人間を捧げることで、疫病の流行を防ごうとしたわけです」
圭佑の話は、こう続いた。
当時院須磨村を収めていた村長は鹿島という一族だった。
村長である鹿島は、神への供物として自らの娘を人身御供として捧げることで疫病の流行を防ごうとしたのだという。
その娘の名前こそがレイコであり、カシマレイコのルーツなのだと言う。
そしてその鹿島の一族が、後の真島家だ。
「実際どうだったのかはわかりませんが、結果的に院須磨村は救われました」
真島家に残っている文献では、疫病は人身御供によって収まったとされている。だが実際何が理由で疫病が収まったのかは定かではない。
「一人の少女を地下に生き埋めにして」
圭佑がそう言った瞬間、和葉の脳裏に地下での光景が蘇る。
足場の金具には血痕がついていた。
カシマレイコが入れられていたという棺は蓋が破られており、そこにも大量の血痕がついていた。
カシマレイコは生きたまま棺に入れられ、地下に閉じ込められたのだ。
「……彼女を人身御供とする際、手足は切り落とされたそうです。抵抗が出来ないように」
「そんな……っ!」
だとすれば、地下の光景は更に悲惨なものに思える。
あまり考えたくなかったが、どうしても和葉の脳裏でイメージされてしまう。必死で棺を壊し、中から這いずり出るカシマレイコの姿が。
「……当然、カシマレイコは霊化しました。それを封じたのがあの祠だったのです」
「……では封印が解けたのは……」
「はい。五十年前……真島玲香の代です」
五十年前、カシマレイコの封印は解かれた。封印が緩んだことによって解き放たれたカシマレイコは、怨霊として院須磨町で殺戮を繰り返す。
それがカシマレイコの噂として院須磨町に蔓延し、それは日本各地へと散らばって行った。その結果、噂によって悪霊が変質し、日本中にカシマレイコが出没するに至ったのだ。
「後はご存知の通りです。真島玲香によって祓われ、そして十年前には殺子(あやこ)さんとして院須磨町に再び現れたのです」
一通り語り終え、圭佑は深く息を吐く。
冷房で冷えた部屋であるにも関わらず、脂汗を浮かべていた圭佑はポケットからハンカチを取り出して額を拭いた。
「父は……というより、鹿島の頃からこの事実は伏せ続けられていました。人身御供の歴史など、誰にも知られたくはありませんからね。父の代に関しては、二度と噂を広めまいと躍起になっていたという部分もあるのですが」
「……ありがとうございます。そのような話を聞かせていただいて」
「いずれは明るみに出なければならないことです。俺は最近の事件を聞いた時、この話を霊滅師協会へ打ち明けるべきかずっと迷っていました。そうすべきだとは思っていても、俺は父が怖かったんです。幼い頃からずっと。いなくなった今も」
圭佑の父は佐江にも圭佑にも厳しかったという。浸と和葉には想像も出来ないが、数年経った後でも心を縛るような何かが、圭佑と父の間にはあったのだろう。
話し終えた圭佑の顔は、妙にさっぱりとしていた。長年溜め込んでいた色んなものを吐き出せたからなのかも知れなかった。
「むしろお礼を言わせてください。あなた方が訪ねてくださったおかげで、俺も踏ん切りがつきました」
深く深く、圭佑は浸達に頭を下げた。
***
雨宮霊能事務所を出てから、露子と絆菜は夜海を探して院須磨町内を歩いていた。
和葉程の霊感応がなくても、霊の気配のする場所を探すくらいのことは露子にも出来る。
そうして歩いている内に、二人はある廃工場へと辿り着いた。露子の感覚だと、この辺りから霊の気配がするらしい。
「しかしすまんな。私が仕留めそこねたばっかりに」
「別にいーわよ。撃退は出来たんだし、お互いこうして無事なんだし」
廃工場へ入りつつそう言う絆菜に、露子はそう返す。
「優しいな、お前は」
「別に優しくはないわよ。アンタはあの時やれる以上のことをやった。だから責めない。それだけよ」
絆菜の霊魂は、以前よりも遥かに淀んでいる。正直なところ、もう悪霊化していないことが不思議なくらいなのだ。
「……アンタ、もうやめない?」
「何がだ?」
「自分でもう、わかってるハズよ」
露子の言葉に、絆菜は一度黙り込む。だがすぐに露子をまっすぐに見つめながら口を開いた。
「私は戦い続けるよ。お前達に救われた命は、お前達のためだけに使いたい」
「……そういうのもういいわよ。アンタの時間はもう残り少ないんだから、余計なことに使わないで」
ピシャリと露子が言い放つと、絆菜はすぐに顔をしかめた。
「余計なことだと? その言葉は訂正しろ。それに私の命の使い方は私が決める。お前にとやかく言われる筋合いはない」
普段は露子の言葉を受け流す絆菜だったが、今回ばかりは頭に来たのか言い返す。
かつての絆菜にとっては、唯一の肉親であった妹の春子が全てだった。春子のためだけに生き、春子のためにゴーストハンター達と戦い続けた。
そして春子が成仏してからは、今度は雨宮霊能事務所と露子が絆菜にとっての全てになっていた。救ってくれた人達へ恩返しがしたい、それが絆菜の命の使い方だった。
それを余計なことだなどと言われれば頭に来てしまうのも仕方がないのかも知れない。
そしてこんな風に言い返されて、黙って頷いたり謝ったり出来るような露子ではない。彼女もすぐに顔をしかめ、剣呑な空気が漂い始めた。
「余計なことは余計なことでしょ! アンタの命はアンタのモンよ! 他人のために使うな!」
「恩人のために使って何が悪い!? 自分のためだけに生きれば、それで幸福だとでも言いたいのか!?」
「そうじゃなくて! アンタの時間は残り少ないのよ! 最後の時間くらい、自分のために使いなさいよ! 他人のために使い切って、それで終わりだなんてあたしだったら冗談じゃない、ごめんだわ!」
気がつけば、露子の目には薄っすらと涙が浮かんでいた。昂ぶった感情を抑えきれていない。
そしてそれは、露子の警戒心を完全に削いでしまっていた。
「――――露子!」
まず、真っ先に絆菜が気づいた。そこからワンテンポ遅れて露子が気づき、上を見上げた。
そこにいたのは、急速に落下してくる一体の悪霊だった。
すぐに露子は身をかわし、落ちてくる悪霊を回避する。
感じる霊力から察するに大した相手ではない。すぐさま銃を取り出し、悪霊目掛けて発砲する。一発では祓えず、二発、三発と立て続けに弾丸を叩き込む。
だが次の瞬間、悪霊は露子の弾丸とは別の要因で姿を消した。
「!?」
そこに現れたのは、黒いモヤのような何かだった。ソレは瞬く間に悪霊を飲み込んでいき、咀嚼するように蠢く。
ぞわりと。二人の背筋に寒気が走る。
この黒いモヤは間違いなく、以前出会ったあの黒いモヤだ。悪霊を飲み込み、意味不明な言葉を残してその場から消えたあの黒いモヤである。
だが以前と違うのは、以前よりも遥かに強い霊力を持っていることだ。そしてその分、感じられる負のエネルギーも強い。
「こいつは……っ!」
そして今度は、黒いモヤは少しずつ人の形へと変化していく。
ソレは、長い黒髪の女の姿へと変わっていく。だがその身体には右腕しかなく、女は宙に浮いたまま不気味な笑みを浮かべて二人を見ている。
その顔立ちは――――どこか真島冥子に似ていた。
「っ……!」
妙な威圧感に気圧されつつも、露子は何度も引き金を引く。だが弾丸は全て、霊壁によって防がれてしまっていた。
「霊壁っ……!」
すぐに露子は銃を薤露蒿里に切り替えようとしたが、それよりも女が右腕を振る方が早い。その動作によって放たれた霊力が、露子の身体を勢いよく吹き飛ばす。
「かっ……!」
数メートル程吹き飛ばされ、露子は背中から地面に叩きつけられる。
「お前……!」
女を睨みつけつつ、すぐに絆菜はナイフを構えて接近する。恐らく霊壁は突破出来ないが、少しでも露子から相手の意識をそらす必要がある。
ナイフでどれだけ切りつけても、霊壁を突破出来る気配はない。絆菜はすぐに作戦を切り替えて、注意をこちらに引き付けながら走り回ることにする。とにかく今は、露子の薤露蒿里だけが頼りだ。
「私は……速いぞ」
絆菜は、スピードには自信があった。
全速力で動き回れば翻弄出来ると信じていた。
しかし女は、絆菜を上回るスピードで絆菜を追跡する。
「――――っ!」
すぐに距離を詰められ、絆菜は首を右腕で掴まれた。
「ぐっ……」
そして次の瞬間、凄まじい勢いで絆菜の身体に負の霊力が注ぎ込まれた。
それが女の意図したものだったのか、偶然だったのかはわからない。だが確実に、絆菜の霊魂は淀んでいく。全身に毒が回っていくように、絆菜の霊体を負の霊力が駆け巡る。
「が……あぁ……っ!!」
「――――放しなさいっ!」
身悶える絆菜の耳に、露子の声が届く。そしてそれと同時に、銃声が聞こえた。
露子が放ったのは薤露蒿里の弾丸だ。それは女の霊壁に着弾し、爆散することで霊壁を破壊する。そしてその衝撃は、霊壁ごと女の霊体にもダメージを与えた。
女はそれによって絆菜から手を放し、ぐるりと首だけを動かして露子を見る。生気のない真っ赤な瞳がギョロリと動いて露子を見ていた。
「足、いるか……?」
そう言った女に、露子はもう一度薤露蒿里の弾丸を放つ。だが女はそれを回避すると、凄まじいスピードで廃工場から外へと逃げていく。
「待ちなさいっ!」
すぐに追いかける露子だったが、結局女を見失ってしまう。
気分が悪くなる程感じられていた女の霊力も、もう今は感じなかった。
それよりも、急激に淀んでしまった絆菜の霊力の方が強く感じられる。露子が慌てて絆菜の元へ戻ると、絆菜は身悶えながら苦しんでいた。
「ちょっと! しっかりしなさいよ! ねえ!」
そう言って揺さぶると、絆菜の身体が厭な音を立てて膨張と収縮を繰り返す。絆菜は白黒の反転した目で露子を必死で捉えながら、その場でのたうち回っていた。
「う、うそ……」
「あぁぁ……っ!!! ああああああッ!」
淀んだ霊力が、絆菜の身体から漏れ出していた。
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