「……はぁ、はあ……ッ」
ルフレは自分に向かって伸びてきた棘を間一髪のところで交わし、その場で尻餅をついた。
つるつる……と戻って行く棘は何とも不気味で、リースが暴走したときのことを思い出す。
明確な殺意を感じた攻撃だったが、あと一歩のところでその殺意がふわりと消えたようななんとも言えない感覚に陥った。
(矢っ張り、嘘じゃないけど、心の何処かで弟であるルフレを思ってるんだ……)
ルクスは怒りをルフレに向けた。だが、ルフレを殺したいほど憎んで憤怒していても、彼と過ごした日々や彼が自分の弟である事実は変わらないわけで、きっと踏みとどまったのだろう。まだ完全に負の感情に飲まれていないことが分かった。
これなら、リースの時よりも助けることが簡単かも知れないと、私はルフレに駆け寄った。
「ルフレ、怪我はない?」
「あ、うん……聖女、さま」
ルフレは、まだ荒い呼吸を整えながら返事をする。
ルクスの方をちらりと見れば、彼の後ろでうごめいていた棘は別の何かへと形を変えていた。黒い歪な華のようなものがルクスの背後から生え、それは瞬く間に私達の足下にも咲き乱れた。蝶が羽を広げたようなその黒い花には見覚えがあった。
「タッカ・シャントリエリ……」
一度見たら忘れられないその花の形。確かそんな名前だったなあと思い出しつつ、その花の花言葉が、まさに今のルクスを表すようなものだった。
(孤独な主張……誰にも理解して貰えない怒り、抑えていた怒り。今きっとルクスは怖くて辛いんだと思う)
怒りを暴走させている側もかなりの体力や魔力を持っていかれる。そうして、彼から見て私達は今敵に見えるのだろう。だから、たった一人でその怒りを抱え込んで私達に攻撃を仕掛けてきている。ルクスの顔はとても辛そうだった。
早く何とかしてあげないとと、私は手のひらに魔力を集めた。
ルクスを拘束して、それから話を聞いて貰わなければ。だが、私が話したところで、彼に何かが届くのだろうか。彼がずっと抱えてきたものは、弟や自分に対しての怒りだ。部外者である私が何かを言ってもきれい事にしか聞えないだろう。
私は隣にいたルフレの方を見て、彼の肩を掴んだ。
ルフレの肩が大きく上下に動く。
「な、何? 聖女さま」
「ルクスの攻撃は私達が受け止める。それで、彼を拘束したらアンタがルクスと向き合うの」
「……」
「アンタに対しての怒り。分かるでしょ!? ルクスはアンタを嫌いっていった。でも私はそうは思わない。きっと、ルクスは色々葛藤して、結果負の感情によって暴走させられているだけ。弟のアンタの言葉しかきっと届かない」
そう、私はルフレを説得した。
彼は俯いて、唇を噛み締めた後、少し機嫌が悪そうに「そんなの分かっている」と返事をした。
素直じゃないなあと思いつつも、彼も彼で自分のせいで兄がああなってしまったのだと罪悪感を抱いているのだろう。でも、認めたくなくて、それでも助けたいという気持ちが戦っているんだと思う。
「グランツ、アルバ、援護をお願い」
「え、エトワール様。私達が前戦に出て戦いますから」
「ううん、大丈夫。私だって強くなったし……それに、アンタ達を信じてるから。私のことも信じて」
後ろで剣を構えている二人に私はそう声をかけた。
護衛騎士だから、主を守ることが役割だと、アルバは言いたいのだろう。でも、私は守ってもらうだけの存在じゃない。
前にもグランツにもアルバにも言ったけれど、守ってもらえるに値する存在でいたいから。彼らだけに背負わせるわけにはいかない。私は、魔法で光の剣を作って握りしめた。剣を振るうのはグランツとの特訓以来だけれど、あの時の木剣よりかは軽いし動けるようになっている。
「あの、エトワール様、私はどうすれば」
と、ヒカリが尋ねてきた。
彼女は自分に出来ることは無いかと、彼女も自分の主を助けるために動きたいのだと訴える。その真っ直ぐな瞳を見つめ、私は微笑んだ。
彼女の実力は先ほど見せつけられた。ヒカリも一緒に戦ってくれるならこれほど心強い人はいないだろうと思った。それに、魔力量がある彼女なら……と、私はヒカリにも指示を出す。
「ヒカリも私の援護をして、魔法攻撃はヒカリが防いで、それで近付いたらルクスを拘束。勿論、傷つけずにね!」
「わ、分かりました、エトワール様」
ヒカリは慌てて返事をする。
物理攻撃はあの二人に防いでもらうとして、ヒカリには魔法攻撃の防御と攻撃を、そして三人とも共通で、一歩もルフレに近づけさせないと指示を出す。
私の合図で、三人は駆けだし、私も光の剣を握りかけだした。
「どいつも、此奴も鬱陶しいんだよ!」
そう叫んだルクスの攻撃がまた始まり、私達めがけて黒い火球が投げられた。
ヒカリはそれを光の盾で防ぎ、防ぎきれなかった火球はグランツが切った。その連携の完璧さに、驚きつつも、一番驚いていたのはルクスだった。
幾ら彼が強くても、暴走させられていていつも以上に力が増していてもこの数と連携には叶わないだろう。彼は、大きく舌打ちを鳴らし、さらに魔法攻撃を仕掛けてくる。それは無茶苦茶で的が定まっていない。
(ルクス……)
私は彼の苦しそうな顔を見ながら、ただひたすらにルクスの動きを読んで、彼が放った魔法を弾き返した。
「なんで、どうして当たらないんだよッ!」
ルクスは焦ったように叫ぶ。
あの小さな身体から繰り出される魔法攻撃は、あまりに強大だったが、防いでしまえばそれまでだった。最後まで魔力を制御しきれていないのが目に見えて分かった。
まだ彼は魔法の扱いに慣れていないのだと。きっと、慢心していたのだろう。自分が魔法を使えるからと。でも、その傲慢さが彼の命取りになるのだ。
私はルクスに向かって走り出す。
彼が繰り出す魔法を全て、弾いて、跳ね返して。私は、ルクスの目の前まで迫った。
「クソッ……!」
ルクスの目の前まで魔法で飛躍したのだが、ルクスは最後の悪足掻きにと私の目の前でこれまでよりも大きな黒い火球を作り出した。
さすがにこの距離じゃ避けられないと、私は申し訳ない程度に光の剣で守りの体勢に入るが、最大の魔力を込められたその火球はさらに肥大化し、私を飲み込もうとする。
「当たれぇッ!」
そうルクスが叫んだと同時に、大きな火球は私めがけて放たれ、私はそれを受け流すことが出来ず、地面にたたきつけられた。
「エトワール様!」
「聖女さま!」
「あ……ぅ……」
コンクリートの地面にたたきつけられた衝撃で、全身に激痛が走った。光の剣は粒子となって消えていき、服も炎でかなり焼き焦げてしまった。腕には赤黒い火傷の跡が見える。
一歩も動けない。
倒れた私にアルバやグランツ、ルフレが近寄ってくる。皆が皆、私を心配し叫んだ。
「エトワール様……!」
「だいじょう、ぶ、だから……」
そう私が言っても皆首を横に振るばかりだった。
大げさなと返したかったが、生憎返せる余裕がなかった。
だが、それがルクスの最後の攻撃だったようで、すぐに彼は地面に膝をついて、肩を大きく上下に動かしていた。
「……はあ、かっ……はあ」
そんな弱り切ったルクスの元に、ルフレは近寄っていく。
「ルクス」
「何だよ……」
ルクスは、ゆっくりと顔を上げると目の前にきた弟のルフレをこれでもかという見幕で睨み付けた。
ルクスの心の内を知る前までのルフレだったら、きっとたじろいでいただろうけれど、ルフレは何か覚悟を決めたようだった。
ルクスは、目の前に自分の怒りを暴走した原因であるルフレがいる状況だったが、もう魔力を出せるほどの体力が残っていないようで、ただただ睨み付けることしか出来ないようだった。
それをルフレは目を細めて見る。
「ルフレ……」
「エトワール様、動いてはダメです」
私は、もう魔力が出せないからと言ってまだ暴走状態であるであろうルクスに無防備に近付いていったルフレに手を伸ばした。もしもの事を考えれば、危険だと。まだクエストクリアの文字が出ていないから、終わりではないのだと。
そんな私をアルバが止める。
駆け寄ってきたヒカリに治癒魔法を掛けられながら、私はあの双子の行方末を見守った。
「……何とか言えよ」
「ルクス、ルクスはまだ僕のこと嫌い?」
ルフレはそうルクスに尋ねた。
ルクスは少し考えた後「嫌い、嫌いだ!」と噛みつくように叫んだ。
ルフレはそれを聞いてもピクリとも顔も身体も動かさなかった。それに驚いたのか、ルクスは目を丸くした。
その目はまるで傷ついた子供のようなめをしていた。自分が嫌われてしまったのではないかと、怯える目にも見えた。彼の快晴の瞳はだんだんとその曇りが晴れていく。
「そう、ルクスは僕のこと嫌いなんだ……」
「嫌いに決まってんだろ! 僕の後を金魚の糞みたいについてきて、お前だって、僕のこと羨ましいとか思ってたんだろう!? お前だって、お前だって僕が生れてこなければって思ってたんじゃないのか!?」
と、ルクスは叫んだ。
それは八つ当たりだった。
ルクスはダンと、ルフレの胸を殴った。そうして、彼の胸に頭をぶつけ、顔が見られないようにと泣いていた。
魔力が尽きて、大分頭がクリアになってきたのか、自分のしたことを悔いて、それでもまだ怒りは残っていてと、感情がぐちゃぐちゃになっているに違いない。
それが整理できなくて、プライドの高いルクスは我慢していた涙が零れてしまったのだろう。ぐず……ずびっ、と鼻を啜る音が聞えた。
ルフレはその間何も言わなかった。ただじっと、自分に向けられる怒りやその他いろんな感情を受け止めているようにも思えた。
「そうすれば、ルフレは……捨てられるなんて心配しなくて良いじゃないか」
ルクスはぽつりと零した。
それは、ルフレとルクスにしか分からないないようで、ルフレが捨てられる? と私の頭の中では疑問が浮かぶ。
ルフレはそれを聞いて「そうだね……」と寂しそうにいった。それは、まるで肯定しているようで、ルクスはさらに泣く。
「やっぱりそうだ……僕達、双子で生れてきたのが間違いだったのかな」
そう零したルクスの言葉は酷く痛々しくて、聞いていられなかった。
私は、ヒカリの治療をはねのけて彼ら二人を抱きしめに行きたかったが未だ身体が満足に動かせなかった。
そんな私を見てか、ヒカリはすみません。と一言云うとその手を一旦止めた。アルバは、何をしているんですか。とヒカリに対して抗議の声を上げたが、ヒカリは再度私に頭を下げて、彼らの元に走って行った。
「僕が生れてこなければ、双子じゃなかったら、こんなに惨めで悲しくて……ルフレの事嫌いにならなかったのかな」
「……そんなこと言うな」
と、ルクスの言葉に対してそれまで黙っていたルフレが口を開いた。
ルクスはえ? といったように、顔を上げる。すると、ルフレの右手がルクスの左頬に直撃した。
パシン――――
乾いた音とともに、ルフレの声が地下に響いた。
「僕もルクスのことがだ――――いきらいだったんだよ!」