現地のギフトショップで正社員として働き始めたみことは、真面目な仕事ぶりと自然な気遣い、そして少し甘くて中性的なルックスから、じわじわと「人気スタッフ」になっていった。
「Mikoto、君の笑顔があるから、また来たよ!」
「今日もThank youカード書いてもらっていいかな?」
「Are you free this weekend? 一緒にランチどう?」
何度も来店する常連客、仕事終わりにさりげなく連絡先を渡してくる人――。
最初は気づいていなかったみことも、レオンに言われてようやく気づいた。
「Mikotoは人気者だね。ちょっとジェラシーかも?」
「……え、そんなこと……ないってば……」
ある夜。
すちは仕事から早めに帰ってきた。夕食の準備をしているみことの後ろ姿を見つめながら、ふと口を開く。
「……最近、名前で呼ばれること増えた?」
「……ん? うん……カードに名前書いてるからかな?」
「……男の客が多い?」
「え……? そう、かも……?」
すちの表情が少し陰る。
気づいたみことは慌ててフライパンを止め、振り返る。
「でも、俺……誰かに好かれるために笑ってるんじゃないよ。仕事だから……それに、俺が好きなのは、すちだけだよ?」
その言葉に少しだけ頬を緩めたすちだったが、内心のモヤモヤは消えきらなかった。
数日後、みことの職場にふらっと立ち寄るすち。
少しカジュアルな格好だが、周囲を圧倒するような存在感。
レオンが「彼氏さん?」と冗談交じりに聞くと、すちははっきりと答えた。
「そう。俺の大事な人だから」
その言葉に、レオンも少し驚いた表情で「おぉ」と頷く。
みことは顔を真っ赤にしながら、目を泳がせていた。
その夜。
シャワー上がりのみことを、すちは後ろから強く抱きしめる。濡れた髪を撫でながら、低く囁く。
「……誰にも渡したくない。みことが笑うだけで、あいつらが羨ましがるのが……嫌になるんだ」
「……俺、そんなに笑ってた?」
「うん。俺の前より、たくさん……」
みことは小さく笑って、すちの腕に自分の手を重ねる。
「すちの前では、安心して甘えられるの。職場では笑ってるだけ……でも、ここでは、俺が一番素でいられるのはすちの前だよ」
すちはその言葉に安心したように、みことをベッドに倒しながら唇を重ねた。
「……わかってても、独占したくなるな」
___
ある日、閉店後のギフトショップ。
みことは、一通のメモをカウンターで見つける。
「あなたの優しさに、何度も救われています。どうか一度だけ、あなたの気持ちが知りたい」
差出人の名前はなかったが、丁寧な筆跡と、優しい言葉選びに――一瞬、胸がざわつく。
(……俺なんかに、そんな風に思ってくれる人がいるなんて……)
けれど、それと同時に、喉の奥から湧き上がる言いようのない不安。
自分のなかに芽生える「他人の気持ちに応えられない」ことへの、申し訳なさと罪悪感。
(……俺は、すちだけなのに。誰かに恋されるって、嬉しいばかりじゃない……怖い)
その夜。
ぼんやりしているみことに、すちは気づく。
「みこと、今日……元気なかった?」
「……うん。ちょっとだけ、考え事」
「……誰かに何か言われた?」
みことは正直に話す。
「……手紙をもらって、それが……たぶん、気持ちが書いてあって」
一瞬、すちの顔から笑みが消えた。けれど、すぐにみことの手を取る。
「……怖い思い、した?」
「ううん。こわいっていうより……自分が、誰かに好きって思われることで、相手を傷つけてしまうかもって……そう思ったら、怖くなったの」
「……やさしいね、みことは」
すちは少しだけみことを引き寄せ、額をくっつけた。
「でもね、誰に何を言われても、みことが俺のそばにいる限り、それでいい。優しすぎて不安になるときもあるけど――全部、俺に話して。守りたいんだよ、そういうとこも」
後日。
職場でその手紙の主が誰かと察することがあった。だがみことは、あえて相手には何も言わなかった。ただ、いつも通りの笑顔で接した。
(自分が恋されることで、誰かを悲しませてしまうこともある。でも、それでも――俺が愛しているのは、すちだけ)
その夜、みことは自分からすちに抱きつき、はにかみながら呟いた。
「……俺、恋されるのって、ちょっと怖い。でも、愛することは、怖くない。すちのことだけは……全然、怖くない」
すちはふっと微笑み、みことの背中をやさしく撫でた。
「愛してくれてありがとう。……俺の全部で、守るからね」
___
日曜の午後。
風はあたたかく、光もやわらかい。
みことはすちとベンチに並んで座っていた。人気の少ない、海外の小さな公園。どこか懐かしいような雰囲気に、心が落ち着く。
ふいにみことが口を開いた。
「……俺さ」
「うん?」
「……すちのこと、好きになる前……“誰かに恋される”って、自分の価値を試されてるみたいで、苦しかった」
すちは、黙ってみことの言葉を待つ。
「けど、すちに出会って、“愛される”って、そうじゃないんだって思った。自分を試さなくていい。背伸びしなくていい。泣いても、弱くても、笑ってくれる」
少しだけ、照れたように笑ってみことは続けた。
「すちのこと、好きで……恋しくて……安心できて。だから俺、今日改めて言いたくなった」
みことはゆっくり、すちに向き直る。
その瞳は、強くて、やさしくて、まっすぐだった。
「俺、やっぱりすちがいい。ずっと一緒にいたい。俺が、すちを選ぶ。選び続ける。誰に恋されても、すちを愛す」
すちは少し目を見開いて、ふっと息をこぼした。
「……嬉しすぎて、なんか、息できないかも」
「じゃあ、人工呼吸する?」
「……ほんと、かわいいな」
すちは優しく微笑んで、みことの頬に触れ、額を寄せた。
「俺もみことを選び続ける。……怖いときは、俺がいる。全部、受け止めるから。だから、これからも一緒に歩こうね」
ふたりはそっと唇を重ねる。
選び、選ばれる幸せ。
それが、“愛”という名前のぬくもりに変わっていった。
___
現地での新しい職場にもすっかり慣れたある日。
柔らかな雰囲気と誠実な仕事ぶりで、みことは同僚たちから好かれていた。
その中の一人、同年代の男性同僚が、ある日、少し踏み込んだ言葉をみことに向けてきた。
「……君って、やっぱりすごく魅力的だよ。誰か特別な人って、いるの?」
周囲に人はおらず、静かな給湯室。
みことは少しだけ目を伏せ、そして、まっすぐ相手の目を見て、口を開いた。
「……います。俺には、大切な人がいます」
きっぱりとした言葉。その中に、少しの緊張と、強い確信が宿っていた。
「その人のことが大好きで……その人といる時間が、俺にとっていちばん安心できる場所なんです。だから、誰に何を言われても、気持ちが揺らぐことはありません」
言葉を飲み込むように黙った同僚に、みことは柔らかく、でも優しく続けた。
「あなたが俺を好きでいてくれることには、感謝します。けど……俺は、もう心を決めてる。ずっとそばにいたいって思える人がいる。ごめんなさい」
沈黙の中に、澄んだ空気が流れる。
同僚は、少し寂しそうに微笑んだ。
「……そっか。ちゃんと伝えてくれて、ありがとう。君の強さ、かっこいいよ」
給湯室をあとにしたみことは、少しだけ胸を撫で下ろし、スマートフォンを取り出す。
「……すち、俺、ちゃんと断ったよ」
“誰に恋されても、俺が愛するのはすちだけ。”
そんな言葉が、胸の中に、熱く、まっすぐに灯っていた。
___
夕食を終えたあと、みことは少し落ち着かない面持ちで、ソファに座っているすちの隣に腰を下ろした。
「……ねぇ、すち。今日、職場でね、ちょっと言い寄られたんだ」
その一言に、すちは手にしていたカップを静かにテーブルに置いた。
視線は穏やかだが、微かに眉が寄っている。
「……それで?」
みことは指先をきゅっと握り、少し恥ずかしそうに笑った。
「ちゃんと断った。俺にはすちがいるから、誰に何を言われても揺らがないって。伝えたよ、はっきりと」
一瞬、すちの目が大きく見開かれた。
けれど、すぐに柔らかく細まり、笑みが浮かぶ。
「……ありがとう。みこと」
すちの大きな手が、みことの手を包むように握る。
そして、静かに、心からの言葉をこぼした。
「みことが……誰にどう思われようと、俺のところに帰ってきてくれるって、分かってる。でも、ちゃんと選んでくれたことが、すごく嬉しい」
その目には、確かな安心と、誇りが宿っていた。
「君は、俺の誇りだよ」
みことの目が潤む。
嬉しくて、心が熱くて、たまらなくて。
「……俺も、すちのこと、ずっと守りたい。こんな俺だけど、もっと頼れるようになりたいって思ってる」
「十分、頼りにしてるよ」
すちはみことの髪を優しく撫で、唇にそっとキスを落とした。
そのまま抱き寄せると、みことはすちの胸の中で安心しきったように息を吐く。
「……すちがいてくれて、よかった」
「俺もだよ。みことが、俺の隣にいてくれて、本当に良かった」
夜の静けさの中、ふたりは寄り添いながら、言葉以上の温もりを分かち合った。
ただの恋じゃない――心で結ばれている証を、何度も確かめるように。
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すちは、最近ずっと自分でも気づくくらいに、機嫌が揺れていた。
みことの帰りが少し遅れるだけで、
仕事で誰かとよく話していたと聞くだけで、
心の奥がざわつく。
――不安ではない、だけど。
たとえようのない焦りのような、得体の知れない熱が、胸の奥でふつふつと広がっていく。
「……俺って、こんなに独占欲強かったっけ」
ひとり呟いた夜、みことは台所で珈琲を淹れていた。
その背中を見つめながら、すちは小さく笑う。
「……でも仕方ないか。好きすぎるんだもん、みことのこと」
その晩、みことは気づいたように振り返った。
「すち、最近ちょっと寂しそうな顔してる」
「……バレてたか」
冗談のように笑うすちに、みことは近づいて、マグカップを置き、正面から見上げた。
「誰かに好かれるたびに、不安になってる? それとも……俺を信じられなくなる?」
すちは少し驚いた表情を浮かべ、そして困ったように、けれど誠実な眼差しで答える。
「信じてる。心から。でもね……怖いんだ。みことが優しすぎるから、誰かに奪われそうになることが」
みことはふっと笑って、小さく首を振った。
「じゃあ、もっと言うね? 俺はすちが好きで、誰になんてなびかないって。世界中探しても、すちみたいな人はいないから」
その言葉は、真っ直ぐで、あたたかくて。
すちの中の氷みたいな嫉妬が、じんわりと溶けていくのが分かった。
「……みこと」
抱き寄せた身体は小さくて、けれど強くて、信じる力に満ちていた。
自分が守らなきゃ、と思っていたけれど、
いつの間にか、みことに守られていたのかもしれない。
「ありがとう。疑うんじゃなくて……信じたくなる。お前が、俺のものだって」
「……すちのだから。何度でも言ってあげるよ」
そう言って微笑むみことに、すちは心から微笑み返すしかなかった。
嫉妬は、愛の裏返し――でも、深い信頼の前では、ただの影に過ぎない。
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