テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
夕刻を過ぎ、擬態の森が本来の姿を取り戻し始める頃、極限まで気配を殺して亀の姿を追っていたムザイは、森の中央で悠々と反り立つ岩場の麓で呼吸を整えていた。
目標とする亀は、ちょうど岩場を挟んだ反対側の岩陰で休んでおり、数分前から動きを止めたままだった。
ムザイは魔力を抑えたまま岩場の上へと登り、悟られぬように様子を窺った。ただ亀は岩の窪みに身を隠しており、上からでは姿を確認できなかった。
しかしながら、どうやら動く気配はない。
夜が深くなるまでの間、ここで体力を温存するのは間違いない。
「この数日、奴らを追いかけてわかったことがある。奴らは夜行性で、夜更けとともに行動し、地中に住むモンスターを捕食するため土の下に潜る。しかし反対に日中は落ち着いて休める場所を求めて地上を動き回る習性があり、仕留められるチャンスは日没までに限られている。となると、恐らくはこれが最後のチャンス。……もうミスは許されない」
さらに数センチにじり寄ったムザイは、目を瞑り、真下にいるであろう亀の姿を想像した。
自分がいる岩場は、どうやら地下深くまで硬く巨大な岩盤が突き刺さったような形をしていて、仮に亀が逃亡を謀るにしても、わざわざ硬い岩盤へ向かって逃げることは考えられない。もし逃げるとするならば、方向は向かって180度反対側。それしかないと予測を立てた。
「逃さず、殺さず、如何に追い込めるか。奴らは魔力残渣の感知力が異常だ。だからこそ、絶対的に相手の魔力を避けて移動する習性がある」
後方には巨大な一枚岩、しかし前方には広大すぎるほどの森が広がり、闇雲に地下を削ったところで亀の行手を遮ることは不可能。ならばと目星をつけたムザイは、点在する木々の一本一本を選び抜き、亀を誘導すべき道を模索した。
「木の根は幹を中心として四方に広がり、地下で数多の木々と繋がっている。傾向を見る限り、亀はそれほど深くに潜るわけではない。奴らはもともと地上で生きるモンスターで、必ずと言っていいほど、地表近くを掘って移動していた。深さの基準は根が届く範囲内で、標識としては、とてもわかりやすい」
真下にいるであろう亀の位置から逆算し、数百メートル先にある小さな丘に目をつけた。その場所は森の中でも禿山になったような歪な一角で、目安とするにはうってつけな場所だった。
「スピードもおおよそ把握した。確かに恐ろしく速いが、予測できればどうにかついていける。行き先さえわかっていれば、私でも追いつけないわけじゃない」
一歩後退して徐に立ち上がったムザイは、眼下に広がる木々の一つ一つを抜粋しながら、頭の中で光の行路を作り上げていく。そして点在する光の軌道を目安に、同じ数だけ小さな魔力のこもった玉を浮かばせた。
「作業は滞りなく順々に。それでいて確実に実施する。決してミスは許されない。失敗すれば、その瞬間に全てが終わる。集中力を高めろ」
無数の光の玉を高い位置で静止させ、いよいよ岩場に手を付いたムザイは、真下にいる亀の位置を少しずつ探っていく。
魔力が亀に触れた瞬間が、作業開始の合図。
始まれば、もはや一刻の猶予もない――
「まずは奴を動かすこと。それが第一段階」
岩肌を滑るようにして下っていくムザイの魔力のスジを追って、丘の上から覗いていたフレアたちの緊張も否応なく高まった。
自分たちとは段違いな魔力のコントロール力を目の当たりにして、ウィルとロディアも息を飲み、頬を伝う一筋の汗を拭った。
「姉ちゃんの魔力が岩壁に広がってくぜ。どうするつもりなんだ?」
「恐らく亀の退路を断とうというのだろう。しかしアレが亀に触れてしまえば、また逃げられてしまうだろうな」
「え、地下に潜られてしまったらお終いですよ?! このままじゃ逃げられてしまいます!」
声が大きくなったフレアの口を塞ぎ、「黙って見てな」と耳元で呟いたイチルは、三本の指を立てた。そしてカウントダウンの要領で一つずつ指を減らし、最後の一つをたたむ瞬間、小さく「GO!」とスタートの合図を出した。
ムザイは一気に魔力を解放し、亀の後方を囲んだ岩場全体に薄い魔力を張り巡らせた。魔力の一部が甲羅に触れ、異変を察知した亀は、周囲を窺う暇もなく、地中へと潜り始めた。
「ああッ!」と叫んだ面々の声とは対照的に、冷静に飛び上がったムザイは、岩場に張り付かせていた魔力を拡散し、大岩を爆破させた。
「―― よしッ、前方へ出た!」
岩場方向ではなく、前方方向へ逃亡を始めた亀の動きを見極めながら、岩場が崩れる衝撃を利用して高く飛び上がったムザイは、空中に溜めていた光の玉を、まるで光の道でも作り上げるかのように、順々に投げ放った。
手元を離れた玉は、狙いを定めた森の木々たちに吸われ、幹を貫く一直線の炎の柱となって立ち昇った。地下を逃亡していた亀は、ムザイの魔力を避けよう避けようと方向を変え、導かれるように光の道を辿っていく。玉は亀の動きを先導するように、森の木々に吸い込まれては、夕刻の森に美しい光のポールを打ち立てた。
曲がりくねった光の航路は、ただ一つの終着点を目指し、亀という小さな船の行く先を照らしているようにも見えた。
「逃げる方向を制限して、亀の進路を操っている。そんなことができるのか、Aクラスの冒険者というものは……」
ロディアの言葉に息を飲んだフレアは、口を押さえるイチルの手を振りほどき、「頑張れ!」と叫んだ。
ムザイは自らのイメージする最短の距離を走りながら、いよいよ迫ったその瞬間を目指し、一気にスピードを上げた。
「コンマ一秒でも早く前へ出る。それができなければ、ここまでの苦労は水の泡だ。動け、私の身体。亀などに遅れを取ってどうする?!」
空気の壁をギュンと踏み込んで飛び上がったムザイは、ムササビのように大の字に体を開きながら、禿山の頂点に亀よりも一瞬速く到達した。そして精神を統一し、残っていた全ての魔力を集約して生み出した炎の玉を、禿山の頂点へと向かって撃ち込んだ。
『 暴風彫刻! 』
放たれた炎球が地面に吸い込まれると、激しい閃光が地の底から湧き上がり、もともと禿山だった場所を恐ろしいほどの爆炎が包み込んだ。
その場のなにもかもを吹き上げた爆炎は、一瞬で全てを蒸発させ、巨大な穴だけを残し、姿を消した。
「な……、無駄になった炎をすぐに消し、山だった場所を一瞬で大穴に変えただと?! なんだよ、その魔力量とコントロールは。す、凄すぎる」
ウィルの言葉なぞるように一瞬にして生み出された大穴は、確実に亀の進路上に乗っていた。
光に導かれて進んだ亀は、前方で起こった巨大な魔力の爆発を確実に感知していた。しかし超スピードで進んでいる自分の動きを制御できず、為す術もなく進み続けるしかなかった。
ズポンという音と共に、亀が横壁を突き破って大穴に侵入した。激しく動かしていた手足は空を切り、ついにはバランスを崩して上下逆にひっくり返った。しかも重力に押されるがまま落下した穴の底では、左手を悠々と掲げる何者かが待ち構えていた――
「最後はやさしく、包み込むように。柔肌の赤ん坊を抱くようにやさしくだ」
穴底に落下した亀の甲羅をガッシリと掴んだムザイは、森中に響き渡るほどの声量で雄叫びを上げた。その姿を目撃した仲間全員も、拳を突き上げて叫んでいた。
「まぁ、よござんしょ。ひとまず食材の準備は成功、と。しかしまだまだスタート地点に立っただけだぜ。まだまだ問題は山積みですよ、未熟な冒険者さんたち?」
喜び勇む皆の姿を横目に見ながら、イチルは目を回して倒れていたミアの頬をパンと叩き、「帰るぞ」と伝えた。目を覚ましたミアは、袖で喜びの声を上げている面々を一瞥し、意味もわからず叫んだ。
「はッ、ここはどこ、私は誰。そ、そうだ、か、カメは。カメはどうなったの~!!?」
――――――
――――
――
―