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日暮ミミ♪
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臣桜
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鷹槻れん

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#オフィスラブ
鷹槻れん

142
『桜!?』
桜はうつろな目で座り込む。
私は義父に駆け寄り、首筋に指を押し当てる。
脈が触れない。
目は見開き、ピクリとも動かない。
義父は冷たくなっていた。
急に肺に空気を吹き込まれ、私は目を見開いた。
「はっ——」
「しっかりしろ、那須川!」
部長が私を腕に抱き、心配そうに名前を呼んでいた。
心臓がとにかくめちゃくちゃに飛び跳ねて、今にも口から飛び出してきそう。
「ぶちょ——」
「しゃべるな。ゆっくり息をしろ」
言われた通り、ゆっくり酸素を吸い込んで、ゆっくり吐き出す。
「落ち着いたか?」
ようやく心臓がスキップ程度の動きに戻った。けれど、耳に響く鼓動は強く早いまま。
部長の鼓動……。
「焦らすなよ……」と言って、私を抱く腕に力がこもる。
「すみません……」
「動かすぞ。つかまってろ」
「え?」
突然、身体がふわっと浮いた。
「ぶ、部長!」
俗にいう、お姫様抱っこ。
「暴れたら落ちるぞ」
過呼吸で倒れかけた私に暴れる気力はなく、不本意ながら大人しく部長に連れ去られる羽目になった。
数分後。
恐らく、定食屋から一キロも離れていないくらいのマンションの前で、部長が足を止めた。ゆっくりと私を下ろす。
息も整い、心臓も平常運転に戻っていた。
「あの、部長?」
「俺のマンション」と言って、部長はジャケットの内ポケットからカードキーを出した。
エントランスのオートロックの扉の横にあるタッチパネルにカードを読み込ませる。
ピッと認証する音がして、扉が開いた。
部長は私の手を引き、扉を抜けた。
部長の部屋は、十階だった。マンションは十三階建て。エレベーターのボタンが十三までだったから。
「ここ……分譲ですよね?」
口をついたのは、驚くほど間抜けな質問。
なのに、部長はしかめっ面で腕を組み、正面を見ていた。
「ああ」
聞いたからどうと言うことはない。部長クラスになればマンションくらい買えるだろうし、独身ならなおのことお金には困らないだろう。
エレベーターを降りると、すぐ右と正面十メートルほど先にドアがあった。部長の部屋は正面。
今度はカードキーをドア横のカードリーダーに通した。
ピッという解錠音と同時にドアを開けた部長に腕を掴まれ、私は勢いよく部屋に飛び込んだ。同時に、再び部長の腕に抱き締められた。
「部長……?」
「お前、何なんだよ」
「え?」
「今日は一日中、変だぞ」
部長のジャケットから煙草の香りがする。
「それ……は……忙しかったから……」
「違うだろ」
「少し……体調が悪くて……」
「そんなんでぶっ倒れるかよ」
耳に部長の息がかかる。
急に恥ずかしくてたまらなくなった。
男の人に抱き締められるなんて、もう何年もなかった。
「けど……、あの……」
「なんだよ」
「は、放してくださ——」
「ヤダ」
「え?」
「いい加減、わかれよ。いい年して悪ふざけで部下に手ぇ出すかよ」
嘘————。
部長の唇が私の耳に触れた。
偶然だと思う。
けれど、私の鼓動は加速を始め、再び全身が汗ばむ。
今度は耳たぶが温かく柔らかい物に挟まれた。ぬるっと生温かく湿った感触。
偶然じゃ……ない。
部長が私の耳たぶを舐め、その水音が鼓膜の奥まで響く。
「やっ——」
恥ずかしさのあまり、私は俯いた。
「男、いんの?」
「え?」
「営業の黛……とか?」
その名前に、私は反射的に思いっきり部長を突き飛ばした。
「あんな男——!」
黛の顔を思い出し、歯ぎしりをする。
「冗談でもやめてください!!」
「悪い……」
部長は呟くと、靴を脱いで部屋に上がった。手には私の鞄。仕方なく私も続いた。
ざっと見て、3LDKの部長の家は、無駄なものはなく、さっぱりしていた。きちんと片付けられていて、掃除も行き届いている。
男の人の家なんて、何年振りだろう……。
私は恋愛には縁遠く、付き合った男も三人だけ。そのうち一人は高校生のキスもしない交際。
三人目の恋人と別れて、もうすぐ二年半になる。
「酒よりコーヒーの方がいいか?」
「……ビールじゃないの、あります?」
今日は嫌な事ばかり思い出す。それを、忘れたかった。
部長は私にソファに座るように促し、梅サワーの缶を差し出した。私はお礼を言って、栓を開けた。
口に広がる梅の酸っぱさと、喉に流れるさっぱりとした炭酸のシュワシュワに、頭が冴えた。
「私がビール嫌いなの、どうして知ってるんですか?」
部長はビールの栓を開けながら、私の隣に座った。
「見てればわかる」
「ま……ゆずみさん……のことは?」
「見てれば……わかる」
そんなはずはない。
表情や態度に出ないように注意していたし、誰にも気づかれたことはない。
部長……何か知ってる……?
「見すぎ……ですよ」
自分でも何を言っているのだろうと、恥ずかしくなった。誤魔化すように、缶をあおる。
「確かに、見すぎだな」
たった五パーセントのアルコールが、思考を鈍らせる。
「なんで……見てるんですか?」
「……正直に言っていいか」
「はい?」
「お前に興味がある。ぶっちゃけヤりたい」
ヤりたい……って——。
「はっ——?」
甘い愛の告白を期待していたわけではないけれど、それにしても予想外だった。
「ぶっちゃけすぎです!」
「ああ、悪りぃ。けど、本心だ」と言った部長は、真顔。
「自分でもよくわかんねぇんだよ」
「何がですか?」
「お前に……その……恋愛対象として惚れてるのか」と言って、恥ずかしそうに目を逸らす。
なんで、ここで照れる?
「いい年してアレなんだけど、俺、自分から惚れたことなくて。お前が気になるのが恋愛感情なのか性的欲求からなのか、わかんねぇ」
…………。
言葉が見つからなかった。
いやいや、正直過ぎでしょ……。
さり気に自分はモテる自慢も入ってるし。
イライラしてきた。
『ヤりたい』って言われて、『いいですよ』なんて言うと思ってるの?
私、そんな軽い女に見られてるの?
「で?」
「は?」
「私にどうしろと?」
「ああ……。いや、だからさ……」
部長は自分の缶と私の缶をテーブルに置いた。私の肩に手を回す。
ゆっくりと部長の顔が近づいてきて、キスするつもりなんだとわかった。
「煙草吸う人、嫌いです」
私は部長の口を両手で抑えた。
「ビールと煙草の味のキスなんて、感じない」
部長が私の手をどける。
「バッサリだな」
「回りくどく言う必要、ないでしょう?」
「慕われてると思ってたのは、自惚れだったか?」と言って、部長が私の手にキスをする。
横目で私を見る。
大人の色気を感じないわけじゃない。部長を格好いいとも思う。
けれど、今の私は恋や快楽に溺れている時間も余裕もない。
「上司としては尊敬していますよ」
「男として興味なし……か?」
「部長は素敵な男性ですよ。ただ、私が欲しい男じゃない」と言って、部長を押し退けて立ち上がった。
「お前の欲しい男って?」
「…………」
気まぐれな上司へのちょっとした仕返しがしたくなった。
音を立ててうどんを食べるような三十路女は、ちょっと甘く囁けば脚を開くなんて思われたままでは悔しい。
それに、部長の私への興味を掻き立てて、今夜は一人で悶々と過ごせばいい。
私と同じように……。
「そうですね……」
私は部長の脚の間に片膝をつき、彼を見下ろした。
「煙草臭くなくて……」
煙草は義父を思い出す。
「女を見下したりしない……」
義父のような、黛のような、女を道具にしか思わない男は大嫌い。
「地位と財産のある男……」
黛に対抗できる権力のある男性。
「……かな?」
私は部長の唇をペロリと舐めた。
「介抱していただいて、ありがとうございました」
私は部長に捕まる前に、マンションを飛び出した。
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